【取材ノート】あれから17年、メイショウタバルの宝塚記念制覇をきっとサムソンも喜んでいる

宝塚記念を制したメイショウタバルと武豊騎手(2025年6月15日撮影)

15日日曜に阪神競馬場で行われた宝塚記念(G1、芝2200メートル)は、武豊騎手が手綱をとった石橋厩舎のメイショウタバル(牡4)が勝利した。2人には以前に、同じ“メイショウ”の勝負服を巡るドラマがあった。当時を取材した伊嶋健一郎デスクが取材ノートで振り返る。

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石橋厩舎のメイショウタバルが、“メイショウ”の勝負服を着た武豊騎手に導かれて宝塚記念のゴールを先頭で駆け抜けた。ジョッキーとトレーナー、2人の抱擁シーンにはジーンときたファンも多かったはず。2人がともに騎手だった頃は当然、ともに勝利へ向かうことはできなかった。が、メイショウサムソンの時は少しだけ違った。

05年にデビューしたメイショウサムソンの鞍上にはずっと石橋騎手がいた。06年皐月賞、ダービーの2冠を達成し、古馬となった07年には天皇賞・春も制した。そして持ち上がった凱旋門賞遠征プラン。続く宝塚記念は2着に敗れたが、松本好雄オーナーからゴーサインが出た。

ただ、鞍上は武豊騎手と発表された。新馬戦から07年宝塚記念まで18戦、すべての手綱をとってきた石橋騎手ではなかった。松本オーナーは「今回は私のわがままを聞いてもらおうということにした」と説明。両騎手同席のもとで方針を伝えた。「豊くんは経験も豊富だし、欧州にも精通している。石橋くんには非常に厳しいが、私のわがまま。凱旋門賞には最高の乗り役を用意して向かいたい」と話した。

松本オーナーにとっても凱旋門賞挑戦は1つの夢であり「この馬で行かなければ、どの馬で行くのか」という言葉もあった。「最高の騎手で、最高の舞台へ挑みたい」というオーナーの思いを、石橋騎手も受け入れた。

「悔しくないと言えばうそになる。でも、別に嫌ではなかった。2人がいる場所で、はっきりとした形で言っていただいたから。この仕事に乗り替わりは付きもの。そういう経験は俺だけじゃなく、誰もがすることだから」

結局、その07年は馬インフルエンザの発生があり、サムソン自身も出国検疫中に陽性となり、断念せざるをえなくなった。ただ、国内に切り替えた秋の初戦、天皇賞・秋の鞍上は武豊騎手だった。

レジェンド武豊騎手にとっても相当なプレッシャーだったことは想像に難くない。それでも勝利という結果で応え、レース後には尊敬する先輩・石橋騎手への感謝を述べた。

「石橋さんからは、本当に全部、すべてを教えてもらった。心強かった」

聞いていたとおり、サムソンは「スタートが上手」だった。最内1枠1番から好位につけて、直線は余裕を持って抜け出した。

サムソンは翌08年、改めて武豊騎手とともに凱旋門賞に挑戦した。結果は10着だったが、大応援団とともに声援を送った松本オーナーは「これだけの人をサムソンはフランスまで連れてきてくれた。それだけでも感謝です」と話した。

それから17年の時をへて、松本オーナーの所有馬メイショウタバルが、石橋調教師に仕上げられ、武豊騎手の手綱で宝塚記念を勝利した。

サムソンもきっと祝福しているだろうな、と勝手に想像していた。【中央競馬デスク=伊嶋健一郎】

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