轟音上映ってうるさいの? 爆音とどう違う? ミュージシャンが行ってみたら衝撃を受けた / 劇場版モノノ怪第二章 火鼠
アニメ好きの中でも『モノノ怪』は知る人ぞ知る作品だと思う。癖の強い和風の世界観は、おそらく見る人を選ぶ。しかし、サイケデリックな色使いで描かれるめくるめく人の業は圧倒されるものがあり、まさしく考えるより感じる作品だ。私(中澤)の最も好きなアニメの1つと言える。
そんな『モノノ怪』の劇場版第二章「火鼠」が2025年3月14日に公開となった。当然、速攻で観に行こうと予約したのだが、よく見たら(轟音上映)との記載がある。轟音上映で大丈夫なのだろうか? 若干不安になったからこそ行って確かめてみた。
・専用シアター
一応ミュージシャンの端くれである私(中澤)は音が大きくても音自体は聞ける。しかし、もうオッサンだから「爆音だから最高」みたいなところは卒業してしまってるんだよな。劇場版モノノ怪 第一章ではただでさえ悲鳴にエグみを感じたし。
一方で、どうやら轟音上映は爆音上映とは別物らしく、TOHOシネマズが導入している轟音シアターでしか行われないものの様子。爆音とどう違うのだろう?
チケット購入したTOHOシネマズ池袋のシアター入口には「轟音」の文字が。シアター内に入ると、スクリーン下に客席を向いた専用スピーカーもある。すでに怖い。
・と思いきや
と思いきや、映画が始まるとうるささは感じなかった。音量での迫力ではなく、振動で迫力が伝わってくる。また、迫力以上に感じるのは臨場感。特に、オープニング曲がかかった時に顕著なんだけど、音の中に取り込まれるような感覚があった。
大きさによる圧ではなく、音の世界に没入するような音響だからこそ、音量は抑えられるのかもしれない。不思議なのは、ドルビーシネマほど音が散って聞こえたりするわけではないところ。
・飲みこまれる
周りに世界が広がると言うより、平面に飲みこまれるニュアンスである。(轟音上映)って申し訳程度に書かれていたけど、これ地味に凄い。っていうか……
「火鼠」がめちゃくちゃ名作だ。第一章においては和風サイケで圧倒する醍醐味が全面に出ていたのに比べ、今作ではその奥の儚さまで踏み込んでいる。舞台が大奥だけに。
ずっと変わらないシステム。その器に色々な理由で流れ着いてくる人、いなくなる人。まるで陶器の中にじゃらじゃらとビー玉を入れたみたいな独特のキャラの存在の軽さが、猛烈に諸行無常を感じさせる。
・最高傑作か
そう言えば、私が本シリーズにハマったキッカケは深夜のノイタミナのオムニバス『怪 ~ayakashi~』の中でやっていた『化猫』だった。この『化猫』3話が、後に『モノノ怪』シリーズとなって独立したのだが、移ろう人の世の儚さと業は始祖にして至高だと思う。
「火鼠」はテレビシリーズ含めて最もそれに近い感銘があった。確かに、私はモノノ怪の世界観自体が好きだけど、それにしたって傑作と言わざるを得ない。なんなら、劇場版第二章からでも見て欲しいくらいである。2026年春に公開になるという最終章第三章「蛇神」が一気に楽しみになった。
世界観で圧倒してくる『モノノ怪』だからこそ感じた轟音上映との相性の良さ。第三章も絶対轟音上映で見たい。きっと音楽系映画や迫力押しの映画などとも相性が良いに違いない。その没入感は想像以上でした。
参考リンク:劇場版モノノ怪 執筆:中澤星児 Photo:Rocketnews24.
▼『モノノ怪』の良さが引き出されていて最高でした
▼『劇場版モノノ怪 第二章 火鼠』本予告