歓喜に包まれたシリアの独裁崩壊 その裏で少女が体験した新たな恐怖

毎日新聞 2025/6/3 12:00(最終更新 6/3 12:00) 有料記事 2295文字
デモで掲げられた「アラウィ派の虐殺をやめろ」と書かれた看板=パリで2025年5月7日、ロイター

 半年前、シリアの首都ダマスカスは歓喜に包まれていた。親子2代にわたる独裁が崩れ、「自由」が訪れたと、多くの市民が信じた。

 だが、北西部の街の片隅で、18歳の少女はカギをかけた自宅の奥で息を潜めていた。「革命」の陰には、語られざるもう一つの物語があった。

 <この記事の主な内容> ・「歓喜」とはほど遠い恐怖 ・自宅にまで現れた戦闘員

 ・密航業者の手引きで脱出

少女を襲った宗派の壁

 「初日から、すでに怖かった。外に出るなんて考えられなかった」

 昨年12月8日、反体制派がダマスカスを制圧し、アサド前大統領はロシアに亡命した。交流サイト(SNS)では次々と速報が伝えられ、各地で住民が路上に繰り出した。

 だが、シリア北西部ラタキアで暮らしていた高校生の少女はこのとき、歓喜とはほど遠い恐怖に包まれていた。

 反体制派はイスラム教スンニ派が中心だ。一方、ラタキアにはアサド氏と同じシーア派系の少数派アラウィ派の信徒が多く暮らす。

 少女の一家もそうだった。アサド政権下でアラウィ派は軍や情報機関に重用され、独裁政権の支持層だとみなされていた。

 父(47)は医師で、貿易会社にも勤めていた。親族に軍関係者はおらず、政権との直接的なかかわりはない。

 少女自身が自分の宗派を知ったのは高校生になってからだった。友人にはスンニ派も多く、宗派の違いを気にしたことはなかった。

 しかし、政権崩壊後、状況は一変する。突然、友人たちとの連絡が途絶えた。街ではアラウィ派の住宅が放火された。検問所で拘束される人が続出し、銃声が鳴り響く。家の中にいても、心が休まることはなかった。

 「世界はあのときから変わってしまった」。少女は不思議そうな表情でぽつりと語った。

迫られた退去、失われた日常

 同じころ、近くに住む叔母(45)の家にも、戦闘員が押しかけた。

 「我々は住む場所が必要だ。今すぐ出て行け」

 銃を手にした戦闘員に追い出され、叔母一家6人は家を失った。飼っていた3頭の犬と13匹の猫も射殺されたという。

 「あなた方は解放に来たのか、それとも略奪に来たのか」

 そう叫んだ叔母に、男の一人は「お前たちには関係ない」と吐き捨てるように言った。

 父の職場でもアラウィ派の従業員が次々に解雇され、やがて父も職を失った。

 「こんな不安定な情勢では暮らしていけない」。そう考えた父は2月下旬、密航業者に1500ドルを支払い、隣国レバノンへ逃れた。生活の基盤を築いたら、家族を呼び寄せるつもりだった。

 だが、父が去ってから約10日後、恐れていた事態が起きた。ラタキア周辺で、アラウィ派への虐殺が始まったのだ。少女の自宅にも、数人の戦闘員がやって来た。

銃口とヘジャブ

 その日、ラタキ…

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