ペヤング50年で584種 激辛から「変な味」まで振り切った商品続々
関東でカップやきそばの定番となっているまるか食品(群馬県伊勢崎市)の「ペヤングソースやきそば」が発売から50周年を迎えた。「ペヤンガー」と呼ばれる熱烈なファンを生むほど愛されてきたロングセラー商品が支持される理由とは。
50年続く「いくらでも食べられる味」
「オリジナルの味は50年間、全く変えていない」。ペヤングホールディングス上席課長の小島裕太さん(36)はそう話す。
Advertisement1975年の発売当初から画期的な商品だった。
今でこそ一般的となった四角い容器は「屋台の焼きそば」をモチーフにした業界で初の仕様。カップ焼きそばの世界で、ソースは粉末だけだったが、混ぜやすいように液体ソースを採用した。具材は保存性などを考慮し、パック包装にした。
麺の量も型破り。それまで業界の主流だった60~65グラムに対し、1・5倍の90グラムにした。レギュラーサイズであっても、パッケージに「Big!」の文字が躍るのはそのためだ。
商品名は「ヤング」の「ペア」が仲良く食べてほしいという願いを込めたと広く知られる。発売当時の流行語の通り、直後から「バカうけ」。すぐに増産体制に入った。
ただ、今のような人気を得るには、少し時間がかかった。94年8月22日付の毎日新聞に、こんな記事がある。
<カップ焼きそば市場で、ひとり勝ちしているのは76年5月に発売された『日清焼そばUFO』。(中略)北関東ではまるか食品の『ペヤングソースやきそば』がトップ。大消費地の東京でも『UFO』を追撃する1番手だ>
北関東から関東全域へと浸透し、現在の市場を作り上げるまでに秘策はあったのか。
小島さんによると、特別な戦略があったわけではない。2代目社長の故丸橋善一氏が開発したソースの味が、長い時間をかけて消費者に染み込んでいった結果なのだという。
「ウスターソースがベースで、あっさりし過ぎず、かといって濃すぎない。食べ飽きることがなく、いくらでも食べられる」
この味で多くの人の胃袋をつかんだ。
激辛、大盛りに振り切れる訳
近年は「振り切った」商品でも話題だ。
まずは激辛。「激辛やきそばEND」「獄激辛やきそばFinal」など複数の商品が送り出されてきた。2012年2月に発売した真っ赤なパッケージの「激辛やきそば」が先駆けだった。
小島さんは開発担当者の一人。激辛だからといって決して辛口ではなく、穏やかに語る。
「激辛をうたう商品でも、ネット上では『そんなに辛くない』という意見もあった。どうせなら本当に辛いのを作ろうと。コンビニエンスストアのバイヤーからは『もうちょっと辛さを抑えて』という声も寄せられたが、あの辛さにした」
想像以上の激辛ぶりは消費者にインパクトを与え、話題となった。
量で振り切った「超大盛」。最大で通常サイズの約7・3倍、4184キロカロリーにもなる商品はなぜ誕生したのか。
きっかけは丸橋嘉一現社長(60)が見たコンビニの風景だ。
ペヤングと一緒におにぎりを買う若者を見かけ「ペヤングだけでは満足できないのか」とひらめいた。
そして04年8月に発売したのが、レギュラーサイズの2倍となる「超大盛」。大盛ブームの火付け役としてヒットした。
さらに丸橋社長は「超大盛」と一緒におにぎりを買う人を見てしまった。
そこで18年6月、約4倍サイズの「超超超大盛GIGAMAX」が誕生した。奇をてらった商品にも見えるが「若者のお腹(なか)を満たしたい」というコンセプトはブレない。
これまで開発した商品は584種類
風味で差をつけた商品も数多い。「ペヤング にんにくMAXやきそば」も、丸橋社長のひらめきだ。新幹線の車内でシューマイ弁当を食べている人がおり、おいしそうな匂いが漂ってきた。食欲が刺激され、「においを押し出した商品化はできないか」と考案した。
「MAX」を冠した商品には「これでもか!」と、特定の味を利かせた。パクチー、豚骨、黒ごまなどを送り出してきた。
他にも「ミステリー」などSNS(交流サイト)上で「変な味」と話題になったものも含め、この50年で生み出したやきそばは584種類になる。
新商品開発について、小島さんはこう説明する。「社長が日常で見かけた光景から『こんなのはできないか』というアイデアを出してくる。それを開発担当の私たちがとりあえず形にしてみる。たとえ失敗しても、うちには、変わらない人気商品の『ペヤングソースやきそば』がある。だから、振り切ったことができる」
ペヤングの長年の「弱点」とは?
快進撃を続けてきたペヤングだが、「弱点」もあった。
それは「やきそば」なのに焼いていない点。だが、それも克服する商品が現れた。19年に家電メーカー「ライソン」(東大阪市)が発売した「焼きペヤングメーカー」(生産終了)。ほかのどの商品でもなく、ペヤングを焼くためだけに特化したホットプレートだ。
きっかけは「カップ焼きそばって、焼いていないよな」というライソン社内の飲み会での何気ない会話。山俊介社長(43)は「どうしてもやりたくなった」という。
商品化するまでが大変だった。
ペヤングを焼くのに適切な水分量がどの程度なのかを探るため、水分量を少しずつ変え、作っては食べての日々が続いた。
1日に5回食べた日もあった。「本当に売れるのか」という不安もよぎったが、それでも突き進んだのは「ペヤンガー」の存在だ。
ライソンの社員にも埼玉出身の熱烈な「ペヤンガー」がいる。「この人たちに刺されば数千台は売れるんじゃないか」と考えた。「ペヤング以外も作れるとなれば、どっちつかずの商品になってしまう。そこは腹をくくった」
意を決して発売すると、大反響が起きた。当初の予想をはるかに超え、6万台を売り上げる大ヒット商品に。
山社長はこう思っている。「経営者の目線から見ると、一つの商品を変わらない味であれだけ売り上げているのはかっこいい。突き抜けた商品を出す点も学ぶところは多い。ペヤングってやっぱり『すごい』」【庄司哲也】