コメ開放「選挙勝てない」、米に譲歩要請 外交文書公開
- 記事を印刷する
- メールで送る
- リンクをコピーする
- note
- X(旧Twitter)
- はてなブックマーク
- Bluesky
外務省は26日、外交文書11冊、4400ページ超を一般公開した。日本が1993年にコメの部分開放を受け入れた関税貿易一般協定(ガット)ウルグアイ・ラウンドに関連し、渡辺美智雄外相が米国に「コメに手を付けると選挙で勝てない」と述べ、譲歩を求めていたことが分かった。
宮沢喜一首相も日米首脳会談で、89年参院選の自民党大敗で少数与党に転落しているとして、コメ貿易の自由化に必要な法改正が難しいとの考えを伝えた。当時、コメの輸入を認めていない日本は厳しい立場にあり、例外化を要請した形だ。
ウルグアイ・ラウンドは農産物の輸入規制を撤廃し、関税を払えば自由に貿易できるようにする「例外なき関税化」が原則。最終的にコメには特例措置が適用され、93年12月に細川護熙首相が合意した。
コメに関わる問題は国民的な関心事になりやすく、最近でもコメが店頭から消えた「令和の米騒動」が大きな話題となった。
極秘指定を解除された文書によると、93年2月に訪米した渡辺氏はクリストファー国務長官に「日本では、コメというと極めて感情的な問題」になると述べ、選挙に及ぼす影響を説明した。
クリストファー氏はコメが閉鎖的な日本市場の象徴とし自由化を要求。渡辺氏は農相間で妥協案を探ることを持ちかけた。
93年4月、宮沢氏は米国でクリントン大統領と会談。牛肉・かんきつ類の自由化で89年参院選に大敗したと訴え、食糧管理法改正は困難だと説明した。「現実的な合意はできる」とも語ったが、市場開放を一時的に先送りするような案では「かえって政治的に難しくなる」と話した。
クリントン氏は都市部の票増加で補えないかとただしたが、宮沢氏は難しいとの考えを示した。
その後、農林水産省と米農務省間で秘密交渉が本格化し、最終的に日本がミニマムアクセス(最低輸入量)のコメを受け入れることを条件に、自由化を6年間猶予する案がまとまった。期間終了後の扱いは改めて関係国間で協議することになった。
国内に強い反発がある中、細川氏は93年12月14日未明に臨時閣議を開き「成功裏の終結のために応分の貢献を果たすことは、わが国の国際的責務」と述べ、コメ市場の部分開放を決めた。
〔共同〕
【関連インタビュー】
- 記事を印刷する
- メールで送る
- リンクをコピーする
- note
- X(旧Twitter)
- はてなブックマーク
- Bluesky
こちらもおすすめ(自動検索)
操作を実行できませんでした。時間を空けて再度お試しください。
権限不足のため、フォローできません
日本経済新聞の編集者が選んだ押さえておきたい「ニュース5本」をお届けします。(週5回配信)
ご登録いただいたメールアドレス宛てにニュースレターの配信と日経電子版のキャンペーン情報などをお送りします(登録後の配信解除も可能です)。これらメール配信の目的に限りメールアドレスを利用します。日経IDなどその他のサービスに自動で登録されることはありません。
入力いただいたメールアドレスにメールを送付しました。メールのリンクをクリックすると記事全文をお読みいただけます。
ニュースレターの登録に失敗しました。ご覧頂いている記事は、対象外になっています。
入力いただきましたメールアドレスは既に登録済みとなっております。ニュースレターの配信をお待ち下さい。