李大統領、不屈「逆転の人生」…貧困・暗殺未遂を乗り越え
貧困家庭に生まれ、少年工として働いた過去を持つ 李在明(イジェミョン) 大統領(60)は、数々の逆境をはねのけてきたことで知られる。今年6月の大統領選で勝利した際には、韓国メディアはこぞって李氏の歩みを「逆転の人生」だと評した。
「持たざる者」
韓国では、裕福な家庭の生まれを「金のさじ」、貧しい家庭の生まれを「土のさじ」と呼ぶ表現がある。李氏は2021年11月、SNSで「私の出身は『土のさじ』ですらなかった」と幼少期を回顧した。「持たざる者に世界がどれだけ過酷かを知っている」とも語っていた。
南東部・ 慶尚北道(キョンサンプクト) 安東で農家の9人きょうだいの7番目として生まれた。出生届が出されず、正確な生年月日は不明だ。戸籍上の誕生日である1964年12月22日は母親が占い師の話から決めたもので、実際は63年10月生まれだという。
賭博好きの父親が原因で一家は畑を手放し、李氏の小学校卒業後にソウル近郊城南市に転居。李氏は中学に通わず、野球グラブを作る工場などで1日12時間以上働いた。数年後、事故でプレス機に左手首を挟まれ、腕が変形する後遺症を負った。
公選法違反
高卒認定試験を経て、82年にソウルの中央大法学部に特待生として入学。弁護士として民主化運動を支えると決意し、20歳代半ばで城南市に弁護士事務所を開いた。2010年に城南市長に当選。若年層に商品券などを配る「青年手当」などポピュリズム(大衆迎合主義)的な政策で注目を集めた。
18年に就任した 京畿道(キョンギド) 知事時代には、政治家生命が絶たれかけた。知事選の討論会で虚偽発言をしたとして公職選挙法違反で2審で有罪となった。刑が確定すれば当選無効となるところだったが、大法院(最高裁)で判決の破棄と高裁への差し戻しを決める「起死回生」(韓国メディア)の判断が出た。
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22年大統領選では、左派系「共に民主党」の予備選で過去の宅地開発に絡む背任疑惑などを追及された。党内主流派の 文在寅 ( ムンジェイン ) 元大統領派と激しく対立する「アウトサイダー」だったためだ。最終的に党の公認候補に選ばれたが、不正のイメージは 払拭 ( ふっしょく ) できず、本選では 尹錫悦 ( ユンソンニョル ) 前大統領に0・73ポイント差で敗れた。
尹政権下で李氏の捜査は進み、25年大統領選直前には、別の公選法違反事件を巡り、高裁が無罪としていた判決を大法院が破棄。再審理で罰金100万ウォン以上の有罪判決が確定していれば、大統領選の被選挙権を失うところだった。李氏は保守による「政治弾圧」だとして容疑を否認している。
アピール
凶刃に襲われたこともある。韓国の総選挙を控えた24年1月、南部・ 釜山 ( プサン ) を視察で訪れた際、人混みに紛れた男に首を刃物で刺され、約1週間入院した。警察発表によると、男は「李氏が大統領になるのを阻止するため」と動機を説明した。
李氏は事件後、「私を法律でも(メディアの)ペンでも殺せず、刃物で殺そうとしたが、(私は)絶対に死なない」と不屈の姿勢をアピールした。聯合ニュースによると、今年6月に行われた初の米韓首脳の電話会談では、昨年の大統領選で銃撃されたトランプ米大統領と「暗殺未遂を生き延びた」という共通の経験について語り合ったという。