【大河べらぼう】第2回「吉原細見『嗚呼御江戸』」回想 源内の魅力に溢れたエピソード次々と 「閻魔大王も惚れた」歌舞伎役者との甘い記憶、源内に蘇らせた花の井の心意気
「非常の人」、変幻自在の源内先生
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第2回は、「エレキテル」「土用の丑の日」などで現代人の私たちにもお馴染み、平賀源内(安田顕さん)(1728∼1779年)の魅力がたっぷりと盛り込まれていました。(ドラマの場面写真はNHK提供)
「エレキテル」を調整する源内作者の森下佳子さんらスタッフも源内に惚れ込んでいる様子がありありと伝わってくる鮮やかな脚本。源内は高松藩の下級武士の家の生まれ。多芸多才で若い頃から世間の注目の的でした。学者、企業家、発明家、戯作者、人形浄瑠璃作家……と肩書を挙げればキリがありません。結局、何かの「肩書」で納まるような人ではありませんでした。老中・田沼意次との深い関係も描かれるでしょう。
平賀源内の肖像 木村黙老 著『戯作者考補遺』,国本出版社,1935.国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/1874790)を加工友人であった杉田玄白は、彼を「非常の人」と形容しました。まさに「尋常ではない」人であり、生涯でした。人生の終わらせ方も「非常の人」でしたが、それは追って描かれることでしょう。
コピーライターの先駆け
吉原をどうしても盛り上げたい蔦屋重三郎(蔦重、横浜流星さん)が、源内に目を付けたのは、そのコピーライターとしての文才でした。ドラマにも出て来た歯磨き粉の「漱石香そうせきこう」の引札(広告チラシ)の文章は日本の広告史を語る上で欠かすことができないコピーです。明和6年(1769年)に発売された製品です。
『飛花落葉』から京都大学附属図書館蔵(https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00010841) 同上商売で損ばかりしている、と前置きしたうえで、「ようするにお金がほしいので早々に売り出したもの。もしお使いになられて、具合が悪ければ、捨ててしまえば大した損にはなりますまい。こちらは塵も積もれば山で、とても助かります」という内容。自虐的ですらあり、製品の出来さえ保障していないような破天荒な中身ですが、この本音丸出しのコピーは江戸っ子の心をつかみ、歯磨き粉はベストセラーになりました。源内の文章に共通する独特のリズムは現代人でも癖になるものがあります。蔦重が「吉原のPRを頼みたい」と考えたのも無理はありません。
源内と恋仲、菊之丞は美形のファッションリーダー
加えて、今回の源内のエピソードでとりわけ印象的だったのが、源内と歌舞伎役者の二代目瀬川菊之丞(1741~1773年)との恋のモチーフでしょう。菊之丞は当時、抜群の人気を誇った若手女形でした。遺された芝居絵からも、その美形ぶりが伺われます。しかし菊之丞は早々と病でこの世を去ってしまいます。30歳代前半の若さでした。
「二代目市川八百蔵と二代目瀬川菊之丞の相合傘」一筆斎文調筆 江戸時代・18世紀東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)「歌舞伎人名事典」(日外アソシエーツ)によると、現在も人気演目の『鷺娘』などを得意とし、舞台人としての足跡は現代にまで影響を残しています。本人の俳号の「路考」から取った「王子路考」と呼ばれたといい、また巷で「ろこう・ろこう」と大いにもてはやされもしたそうです。当時の評には「むかしより名人上手あれども、此年ばへにて、斯のごとき勢ひ有る事例なし。第一うつくしく、舞台花やかにて、仕内(俳優のしぐさ)にいやみなく、直なる芸風にて、贔屓つよし。(中略)故路考(先代)におとらぬ美しさ。古今無双の艶者艶者」(岩波書店 日本古典文学大系「風来山人集」より)とあり、大絶賛です。
「二代目瀬川菊之丞の勘平女ぼうお軽」鳥居清満筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)ファッションリーダーとしても抜群の存在感で、髪は「路考髷」、染色は「路考茶」、櫛は「路考櫛」、帯は「路考結び」など、彼の名前を付けたものが市井で流行しました。演技や容姿に加えて、ファッションセンスも抜群。とてつもないスターでした。男色で知られた源内と恋仲だったともいいます。天才発明家兼文化人と人気若手俳優の交際は、江戸っ子の注目を集めたことでしょう。花の井(小芝風花さん)もそのことは知っていました。
閻魔大王が「玉座から転げ落ちた」菊之丞の色香
源内は自作の物語にも菊之丞を実名で登場させています。前回、蔦重が朝顔姐さん(愛希れいかさん)に読み聞かせをしていたベストセラー「根南志具佐」の中です。今回のドラマの舞台の約10年前、宝暦13年(1763年)の発刊です。菊之丞が20歳代前半で売り出し中のころです。
この「根南志具佐」では、とある江戸の僧侶が地獄に堕ちてきます。僧は二代目瀬川菊之丞に恋焦がれるあまり、師の金をかすめ取ったり、仏像を質屋に入れるなどして金を作って恋路に勤しみました。しかし、悪事は発覚して座敷牢に押し込められ、菊之丞に逢えないことを苦しんで病んでしまい、結局、あの世へ。当初、閻魔王は「男色は不埒」とこの僧の生前の行いに激怒します。ところが……。
平賀源内 (風来山人) 著『根奈志空佐』前篇 上 霊湖堂 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/879401僧が持っていた菊之丞の浮世絵の肖像を目の当たりにした閻魔王は呆然。そのあまりの美しさに玉座からころげ落ちました。
同上実物ではなく、絵を目にしただけなのに菊之丞の容姿を「(小野)小町が眉、楊貴妃の唇、かぐや姫の鼻筋・・」と絶賛。冥府の王の地位を捨てて、娑婆に出てこの菊之丞と枕を共にしたい、とまで言い出し、周囲を困惑させました。閻魔王の言葉に借りて、源内の菊之丞に対する強烈な思慕の念が伝わってくる一節です。そんな素晴らしい人を失った源内。ドラマの場面は1774年頃で、菊之丞が亡くなってから1年も経っていないという設定です。この頃、源内はどれほどの喪失感を抱えて生きていたのでしょうか。
源内の心の空白を見抜いた花の井「瀬川はいないのか」 源内の本意を見抜いた花の井
蔦重に連れられ、吉原に来た時にまず「ここに瀬川はいないのか」と問うた源内。吉原の人からすれば、伝説の大名跡で、現在は空席になっている女郎「瀬川」のことと思い込んでしまったのも無理はありません。
「瀬川とお呼びください」 花の井の人生の予告も
しかし、花の井は「源内さんにとっての瀬川は菊之丞のこと。かりそめの姿でもいいから役者の瀬川と再会したいのだ」と見抜き、自ら男装をして「わっちでよければ『瀬川』とお呼びください」と源内に訴えます。この花の井の洞察力、勝負勘、遊び心、心意気。さすが吉原を代表する花魁、という名場面でした。一筋縄ではいかない源内も、この花の井の振る舞いにはいたく心を打たれました。
花の井の踊りに、菊之丞との思い出の日々を重ね合わせました。その記憶を反芻しながら、源内が吉原の街を彷徨い歩く場面は詩的な美しさ。「瀬川」の名前の一致から、この場面を創造した制作陣も見事です。ゆくゆくは「瀬川」の名跡を継ぐことになる、花の井の人生の予告でもありました。
「吉原細見」の序 こちらも名コピー
こうして蔦重と花の井が力を合わせ、源内に書いてもらった吉原の珠玉のコピーが「細見嗚呼御江戸の序」です。安永3年(1774年)刊です。
『細見嗚呼御江戸』(国文学研究資料館所蔵)から出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200020645 同上歯磨き粉の「漱石香」同様、遠慮ない毒舌も浴びせつつ、吉原に生きる様々な女性たちへの暖かな眼差しと、心からの賛美を確かに感じるコピー。手に取った人も思わず吉原に惹かれたことでしょう。
「吉原を盛り上げたい」という蔦重の思いに、「朝顔姐さんのこと。悔しいのはあんただけじゃない。あんたは一人じゃない」とエールを贈った花の井の言葉も泣かせました。源内、花の井、蔦重。それぞれの魅力を象徴的に描いた吉原のひと幕でした。安田顕さん、小芝風花さん、横浜流星さんの芝居も見事でした。
「吉原細見」、蔦重ビジネスの出発点
ドラマで描かれた安永3年(1774)刊の吉原細見「細見嗚呼御江戸」は、蔦重が最初に関わった出版物として知られます。吉原細見は遊女屋とそこに所属する遊女、客と遊女屋を取り結ぶ引手茶屋、吉原所属の芸者などを一冊に盛り込んだガイドブックです。江戸の男たちにはおなじみの冊子で、当時、正月と7月の年2回、最新情報を入れた新版が発行されるのが通例でした。安永期(1770年代)まで、出版は鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助さん)が独占していました。
当時の吉原細見を見ると、「べらぼう」に登場する人物やお店の名前が出てきます。吉原の入り口、大門(おおもん)の手前にあるアプローチの「五十間道」には、蔦重を幼少期から見守ってくれた「つるべ蕎麦」が。
『鱗形屋孫兵衛/編「黒仕立(新吉原細見)」明和8年(1771)春』を一部加工(台東区立図書館デジタルアーカイブより)こちらは女郎屋「松葉屋」のページです。松の井(久保田紗友さん)、うつせみ(小野花梨さん)らの名前が。花の井(小芝風花さん)がこれから名乗ることになる「瀬川」の名前もあります。
『吉原細見』,刊,安永4 [1775]. を一部加工国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2539485まず源内への序文の「執筆依頼」や内容の「改」という、編集者・取材者の立場で「吉原細見」の発行に関わった蔦重。これからこの「吉原細見」を足掛かりに、出版業への進出を図っていくことになります。吉原の「忘八」と呼ばれる女郎屋や引手茶屋の経営陣や、鱗形屋孫兵衛をはじめとする「地本問屋」という江戸市中の出版業者との丁々発止のやり取りが、ドラマの焦点になってくるはずです。 刷り上がった「吉原細見」を手にして大喜びの蔦重。本作りに携わる者であれば、誰しもが味わう極上の瞬間でしょう。「吉原の遊び」本格的に描かれ
という源内のコピー通りの印象的な場面がありました。
左から、うつせみ(小野花梨さん)、小田新之助(井之脇海さん)、とよしま(玉城りょうさん)源内と行動を共にしている浪人、小田新之助(井之脇海さん)と、女郎のうつせみ(小野花梨さん)の出会いです。うつせみの素朴な美しさに心を奪われた新之助。さてこの2人、これからどんな事になるのでしょうか。
一方、長谷川平蔵(中村隼人さん)は、花の井の気を引こうと派手に紙花(チップの一種)を巻いて、気持ちよく散財。同席の女郎たちや芸者衆を大喜びさせていました。ここで、色々な人物が登場した女郎屋の構成を簡潔に整理しておきましょう。
規模の大小はありますが、吉原には100軒程度の女郎屋があり、松葉屋のような「大見世」と呼ばれる大規模店には40人以上の女郎が囲われていました。そのうち、松の井や花の井らは「呼び出し」と呼ばれる最上位の女郎です。客の案内所である「引手茶屋」から呼び出しをうけ、華麗な「花魁道中」を仕立てて茶屋との往復をすることからこの名があります。「高位の女郎で太夫たゆう、っていないの?」と思われた方がいらっしゃったかも。女郎の階級や呼び名は時代によって変化が激しく、この蔦重の時代では「太夫」という呼び方は消滅していたそうです。
吉原の最大の見せ場、花魁道中。これを見るために足を運ぶ人も珍しくなかったとかうつせみらは、「座敷持ち」と呼ばれる「呼び出し」の次位の女郎。彼女たちも「花魁」と呼ばれますが、花魁道中はしません。自分の個室と、それとは別に客間を持つことからこの名前で呼ばれました。自分の部屋が客間と一体なのが「部屋持」。自分の部屋を持てず、屏風で仕切っただけの大部屋で客を取る女郎(留袖新造)もおり、女郎たちはこうした階級制度の元で管理されていました。
こちらは経営側。松葉屋の主である半左衛門(正名僕蔵さん)と女将のいね(水野美紀さん)です。「番頭新造」は女郎を卒業して、女郎を世話したり、指導したりする立場。年嵩の女性が務める「遣手」は女郎の監視役、また相談相手でした。番頭新造からなる人が多かったそうです。こうした人々が約1万人、うち女郎が3000人前後暮らしていたのが吉原の街でした。
歌川広重(二代)/画 「東都新吉原一覧」万延元年(1860)7月(台東区立図書館デジタルアーカイブより)を一部加工蔦重の人生を左右する田安賢丸、のちの松平定信
将軍家を支える御三卿のひとつ、田安家の当主の弟、田安賢丸(寺田心さん)が登場しました。後に老中・松平定信として寛政の改革を主導する重要人物になります。この政治の動きが蔦重の人生にも大きな影響を与えることになります。清廉なイメージの強い人物らしく、若くして武家としての誇りや佇まいに強くこだわる面を見せました。実は非常に知的で、文化や文芸への理解も深かった定信ですが、今後、どういう人物像が描かれていくのか楽しみです。
さらに、御三卿の当主のひとりである一橋治済(生田斗真さん)が登場。生まれた子供はのちに第11代将軍家斉となります。「鎌倉殿の13人」ではクセの強い源仲章役で大いにストーリーを盛り上げた生田さん。今回も油断のならない人物のように見えますが……。こちらも大いに注目です。 (美術展ナビ編集班 岡部匡志) <あわせて読みたい>
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