小田和正、全国ツアーの最年長記録更新 衰えを知らず 乾いた風が吹き続けている
小田和正(77)がコンサートで全国を回っている。5月の静岡を皮切りに9月の横浜まで、13箇所のアリーナを会場に全28公演の予定だ。
横浜市出身で、昭和45年にフォークグループ「オフコース」の一員としてデビューした。オフコースは1980年代の米ロックサウンドを取り入れ、昭和50年代後半に「さよなら」「愛を止めないで」などビッグヒットを連発し、日本武道館連続10日公演をやり遂げるなどモンスター級のバンドになったが、平成元年に解散した。
小田は、いやファンにならって「小田さん」と記そう。小田さんは、ソロに転じた後も「ラブ・ストーリーは突然に」「キラキラ」など大ヒットを出し続けた。55年にわたって音楽の最前線を走り続けている。日本を代表するシンガー・ソングライターの一人だ。
パワフルな最年長記録
東京・有明アリーナ公演(7日)を見た。ファンと一体になったすばらしいステージだった。力強さに圧倒された。「すごいな」という言葉が口をついて出た。
昔話だが、セルフカバーアルバム「LOOKING BACK 2」(平成13年)がヒット中の小田さんに取材した。
自作曲のカバー集が連続して売れる理由を聞くと、「最近、年をとったアーティストのヒット曲集が売れるじゃない? そういうことなんだと思っているけどね」と淡々とした口調で答えた。
「年をとったアーティスト」。当時、まだ53歳だった小田さん。今年9月には78歳になるが、この四半世紀も衰えを知らず。77歳での全国ツアーは、自身がもつ75歳の最年長記録を塗り替えた。
歩く、歩く、歩く
さて、ファンに埋め尽くされた有明アリーナ。照明が落ち、ステージ下手から小田さんの登場だ。ゆっくりとした歩みに、さすがにお年を召されたなと思ったのもつかの間、マイクを手に花道を歩き回りながら歌唱を披露した。
メインのステージ中央から伸びた花道は、上から見ると「8」の字に近い形で設えられ、どの方向にいる観客にも小田さんが歩み寄れる構造になっていた。
また、メインステージのバンドの背後にまで客席を設けた。小田さんの公演の特色で、7月20日に見た「いきものがかり」も、これにならってステージ席を設けていた。
さらに驚いたのは、小田さんがマイクを片手に客席の間に〝乱入〟したことだ。
韓国のガールズグループ、TWICEが昨年、超巨大会場である横浜・日産スタジアムで「ファンのそばへ」とスタンド席の通路まで練り歩き歌ったのも驚いたが、客席の椅子の間を縫って歩く小田さんには、もっと驚いた。
花道を歩きながら歌い続けた小田和正=東京都江東区(岩佐篤樹撮影/提供)ともかく歩く、歩く。歩きながら歌い、コーナーごとに立ち止まり、ギターを抱え、あるいはピアノの弾き語りで、どんどん歌う。
会場の壁のあちらこちらに歌詞が映し出された。これにより観客は常に小田さんと一緒に歌えた。だから、おなじみの曲では常に大合唱が起きた。
硬質のロマンチスト
4ピースのバンドと弦楽四重奏団、いわゆる生バンドを従えた小田さん。種も仕掛けもない生々しい歌声は往時に比べれば幾分不安定なところもあったが、りんとして温かく美しい高音は健在だ。
淡々と、しかし元気いっぱいに歌う姿が、誰かに似ていた。ポール・マッカートニー(83)か。高齢にもかかわらず長時間にわたり歌い、演奏する。2人は、もはや人知を超えた存在だ。
平成13年のインタビューの際、小田さんはもっぱら大好きな草野球とザ・ビートルズについて語ったような記憶があるが、敬愛するポールの後を追い続けているのだろう。
映画「緑の街」を撮った監督として話を聞いたこともあった。「緑の街」は監督、脚本、音楽を手掛け、製作側にリスクが偏る映画配給システムに反発し、9年8月から10年2月まで自主上映で全国を回った。硬質のロマンチスト。小田さんは硬派で、映画はさわやかな風が吹き抜けるようなラブストーリーだった。
タモリは「オフコースとさだまさしは軟弱」と非難したが、〝軟弱な音楽〟とは裏腹の伝法な口調で、小田さんはこう語った。
「俺はいつも風に敏感だった。野球で左翼を守りながら、ふと風の音ってこんなに大きいんだと気づく。夏が終わっていく。あといくつ試合に勝てるかな…と考えたりして」
切なさが混じりながら、心の温度がわずかに上がる。風を感じたときのそんな気持ちを歌にしているのだという。
今回のツアーでも風を描いた歌を多数取り上げている。乾いた風が吹き続けている。
小田和正「みんなで自己ベスト!!」。8月7日、東京・有明アリーナ。同所では6、7日の2日間で2万5000人を動員した。(石井健)