2026年、テロは「国家」を超える──イスラム国が変貌させた世界の脅威(ニューズウィーク日本版)
2019年の「カリフ制国家」崩壊後、ISは消滅するどころか、より捕捉困難な「多機能型テロ組織」へと進化した。特定の領土に縛られず、世界各地の武装勢力に看板を貸し出す「フランチャイズ化」と、SNSを通じた「個人の精神への浸透」を両立させるIS。【和田大樹】 【動画】ナイジェリアでIS戦闘員を狙った衝撃的な攻撃 現代の国際社会が直面しているのは、軍事力だけでは封じ込めることのできない、グローバルな「過激思想のブランド化」という新たな脅威である。 【多機能型テロ組織としてのイスラム国】 2010年代半ば、シリアとイラクの広大な領土を占拠し、文字通りの「国家」として国際秩序に挑戦した「イスラム国(IS)」。かつての物理的な支配領域である「カリフ制国家」は、国際有志連合の軍事作戦によって2019年に事実上の崩壊を遂げた。 しかし、この軍事的勝利は、ISという存在の終焉を意味するものではなかった。むしろ、現代のISは、特定の領土に縛られない「多機能型テロ組織」へとその姿を変え、国際社会にとってより捕捉困難で、より根深い脅威へと進化を遂げている。 今日のISを分析する上で最も重要な視点は、それが単一の指揮命令系統を持つ軍事組織である以上に、イスラム過激派の世界において圧倒的な影響力を持つ「ブランド」として機能しているという事実である。 かつての初期のアルカイダが、厳格な入会審査と中央集権的なネットワークを重視した「排他的なエリート組織」であったのに対し、ISは当初からその過激な暴力性と明快な教義をパッケージ化し、世界中の武装勢力に提供してきた。 【ブランドとしてのイスラム国】 現在、アフリカ、中東、南アジアなど、世界各地で活動する武装勢力がISへの「忠誠(バイア)」を誓い、ISホラサン州などを名乗っている。これは必ずしも、シリアやイラクの残党が現地に直接赴いて指揮を執っていることを意味しない。 むしろ、現地の社会経済的な不満や民族対立などを背景に活動していた既存の武装グループが、ISという世界的に知名度のある看板を掲げることで、自らの活動に宗教的正当性と国際的な注目を付与しようとする、いわば「フランチャイズ化」の現象である。 例えば、アフリカのサヘル地域やナイジェリア、モザンビークなどで勢力を拡大しているIS系勢力は、地元のガバナンスの欠如や貧困といった切実な問題を、ISのイデオロギーで「聖戦(ジハード)」の文脈へと書き換えている。 ISというブランドは、これらの地域勢力にとって、新たな戦闘員を惹きつけ、存在感を誇示するための強力なマーケティング・ツールとなっているのである。このように、ISは組織としての実体を超えて、過激派が依拠すべき「標準規格」としての地位を確立している。 【イデオロギーとしてのイスラム国】 さらに、ISの真の脅威は、物理的な組織や武装勢力との連携以上に、国境や人種を超えて個々人の精神に浸透する「イデオロギーの伝播力」にある。ISは、インターネットとSNSを最大限に活用し、洗練された映像表現や巧みなナラティブを通じて、世界各国の社会経済的不満を抱く個人に直接訴えかけてきた。 先進国において、疎外感やアイデンティティの危機に直面し、社会の中に居場所を見出せない若者たちにとって、ISが提示する「絶対的な正義」や「帰属意識」は、極めて強力な誘引力を持つ。彼らにとってISは、自らの不満を「崇高な目的のための闘争」へと昇華させてくれる免罪符となり得るのだ。 こうした個々人が、組織との具体的な接触を一切持たないまま、インターネット上の宣伝に感化されてテロを実行する「ローンウルフ(一匹狼)」型のテロは、もはやISの主要な戦略の一つとなっている。 ここで重要なのは、ISが単なる破壊活動の教唆者ではなく、一種の「救済の物語」を提供するイデオロギー装置として機能している点である。ISの思想は、現実に絶望した個人に対し、社会の破壊を通じた浄化という過激なビジョンを提示する。 この多機能性は、ISを単なる「打倒すべき敵」から、「根絶すべきウイルス」のような存在へと変質させた。 【国際社会の対応】 国際社会は、ISの軍事的拠点を破壊することには成功したが、ISというブランドが持つ魅力や、その根底にある思想的な感染力を封じ込めることには苦慮している。テロ対策といえば、従来は資金源の遮断や指導者の殺害といった物理的なアプローチが主であった。 しかし、ISが「多機能型」に変貌した現代においては、こうした手法だけでは不十分である。 ISがブランドとして機能し続ける背景には、世界各地に広がる格差、差別、ガバナンスの崩壊、そして若者の希望の喪失といった構造的な問題がある。ISというブランドは、それらの社会的な病理を栄養分として増殖しているに過ぎない。 したがって、真にISの脅威を退けるためには、物理的な治安対策と並行して、ISが提供する過激なナラティブを解体し、疎外された個人を社会が再び包摂するための「対抗物語(カウンター・ナラティブ)」の構築が不可欠である。 結局のところ、ISの現状が国際社会に突きつけている現実は、テロ組織が単なる「特定の地域の武装集団」から、「グローバルなブランド」かつ「分散型のイデオロギー・ネットワーク」へと進化したという厳しいパラダイム・シフトである。ISはもはや地図上の特定の地点に存在するのではなく、脆弱なガバナンスの隙間や、スマートフォンの画面越しに広がる個人の内面に潜んでいる。 この「多機能型のテロ組織」に対峙するためには、軍事、警察、インテリジェンスのみならず、社会学、心理学、そして何よりも政治的な対話を通じた、多角的なアプローチが求められている。ISというブランドのメッキを剥がし、そのイデオロギーがもはや誰の救済にもならないことを証明し続けること。それこそが、物理的な戦場を超えた、終わりのない戦いの本質なのである。