鈴木雅之デビュー45周年|今語る大瀧詠一とのREC、デビュー曲「ランナウェイ」、そしてドゥーワップ愛
アーティストデビュー45周年を迎えた鈴木雅之が、アニバーサリーアルバム「All Time Doo Wop ! !」をリリースした。
鈴木の音楽ルーツであるドゥーワップを大々的に掲げ、貴重音源や豪華アーティストによるカバーが目白押しの「All Time Doo Wop ! !」。本作のCD3枚のうちDISC 1の1曲目を飾るのは、シャネルズがデビュー前に大瀧詠一と一緒にレコーディングした「禁煙音頭」のレアトラックだ。デビュー曲「ランナウェイ」は再録音源、CMサイズなどを含めて5バージョンが収録されている。
音楽ナタリーでは鈴木に「ドゥーワップ」「禁煙音頭」「ランナウェイ」を軸にインタビュー。アマチュア時代からこだわり続けてきたドゥーワップへの並々ならぬ思いや、「禁煙音頭」レコーディング当日の記憶、「ランナウェイ」作家陣との裏話などを聞いた。自他ともに認める記憶力を持つ彼の臨場感あふれる語り口と、貴重なエピソードの数々を楽しんでほしい。
取材・文 / 秦野邦彦撮影 / YURIE PEPE
──アーティストデビュー45周年おめでとうございます。5年前の「ALL TIME ROCK‘N’ROLL」に続いて、今回のアニバーサリーアルバムは「All Time Doo Wop ! !」ということで、どんなことを意識して選曲されましたか?
長い間やり続けていれば、こういう周年というものに出会える。よく言うんだけど、それって音楽の神様からのギフトのようなものなんだ。今回は自分にとって一番好きな音楽がドゥーワップだから、それを思いっ切り掲げてオールタイムで楽しもうよってことだね。ドゥーワップは1950年代にアメリカの街角で生まれたR&Bクラシックスで、限りなくマニアックな音楽だけど、それを自分流にポップなものとして置き換えながらずっとやってきたつもりなんだ。だからドゥーワップを知ってる人も知らない人もポップな言葉として捉えてくれたらうれしいという思いもあってアルバムのタイトルにしたんです。
──シャネルズは今年で結成50年ですね。
そうだね。1975年、当時19歳のときにシャネルズを作って。それ以前はハードロックバンドを組んでいて、第2のつのだ☆ひろになろうと思ってドラムを叩いたり歌ったりしている中で、72年ぐらいから日本でロックンロールリバイバルブームが起きるわけ。キャロルが登場したり、英国のハードロックバンドUriah Heepが73年の来日公演のアンコールでロックンロールメドレーをやって大盛り上がりだったりね。僕はその頃からドゥーワップのアナログ盤を中古で買い漁ってたんだけど、世の中的にロックンロールとか50'sファッションの気運が高まってきた中、「アメリカン・グラフィティ」という映画が公開されて、それを観てロックンロール、ひいてはドゥーワップに完璧にドハマりしたんだ。特に「ウッドストック・フェスティバル」に出ていたSha Na Naっていうアメリカのドゥーワップとかロックンロールをカバーするバンドが大好きでさ。日本コロムビアから出ていた彼らのレコードはバイブルであり僕の原点。ドゥーワップのやり方はSha Na Naから教わったようなところがあるし、ビジュアル的にもすごく影響を受けたね。ドゥーワップに魅せられたからこそ、大瀧詠一さん、山下達郎さんとも出会えたと思ってる。
──シャネルズは1977年8月27日、中野サンプラザで開催されたヤマハ主催のアマチュアバンドコンテスト「EastWest'77」決勝大会に進出して、「アメリカン・グラフィティ」にも出演したFlash Cadillac & The Continental Kidsの「Good Times, Rock & Roll」、そしてLittle Anthony & The Imperials「Tears On My Pillow」を披露しています(2曲ともに「All Time Doo Wop ! !」のDISC 3「Doo Wop Mania」に収録)。当時の資料によると決勝大会の審査員は相倉久人、小倉エージ、増渕英紀、細野晴臣、佐藤博、大村憲司、深町純、上田正樹、鳴瀬喜博、ジョニー吉長、村上秀一、吉成伸幸という豪華メンバーだったそうですね。
「EastWest'77」に出場した、アマチュア時代のシャネルズ。
もっと言うと、我々の地元である城南地区の予選会場は今はなき品川公会堂で、四人囃子の佐久間正英さんが審査委員長だった。そこで1位通過した僕らは彼から表彰状をもらいました。渋谷のエピキュラスで行われた準決勝の審査員は、当時サディスティックスを組んでいた高橋幸宏さん、後藤次利さん。次利さんが「ドゥーワップやってるんだね」とものすごく食い付いてくれたのを覚えてる。僕たちは“アマチュアで一番”を合言葉にドゥーワップを貫いていて、コンテストのプロフィール欄にも「ドゥーワップと呼ばれるコーラスワークは天下一品」とか書いてた。
──資料によるとシャネルズのプロフィールは「数ある日本のR&Rバンドの中でも唯一の50'sから60'sのオールディズポップスを見事に現代によみがえらせることのできるグループなのです。『シャナナ』を愛し、ドゥ・ワップといわれるスローなコーラスを重視したナンバーは天下一品!!」と書かれていたようです。
それ、みんな書かされるんだ(笑)。だけど世の中、強者がいっぱいいるなと思った。77年の「EastWest」で僕たちは5、6位で入賞。そのとき小倉エージさんに「どこがいけなかったんですか?」と聞いたら「何かひとつ、光るものが欲しい」と言ってくれて。その言葉を胸に、もっと自分たちのオリジナリティを打ち出さなきゃという思いで翌年もう一度「EastWest」に挑戦したんだ。ドゥーワップのグループってことをもっと前面に出したかったから衣装も全部そろえて、そこで優勝したら解散することにしていた。僕は音楽は余暇で楽しむためのものとして捉えたいから、メンバー全員に「昼間は仕事しろ」と言ってたんだ。プロにするからお前らついてこい、じゃなくね。77年の「EastWest」でもうひとつ覚えてるのは、上田正樹さんが寸評で「クールスよりええんとちゃうか」と書いてくれたこと。「いやいや、僕たちドゥーワップなんだけど」って思いがあったんだよね。クールスよりSha Na Naを完コピしてたのはうちだったから。だって僕、1975年にSha Na Naが来日したとき、8ミリで振付を全部撮って完コピしてるんだから(笑)。ロックンロールよりもドゥーワップに傾倒していく中、クールスとは違うことをやってるんだという愛情の裏返しみたいな思いはすごくあった気がする。
1978年、大瀧詠一との「禁煙音頭」RECを振り返る
──アマチュア時代のシャネルズは、1978年11月25日発売の大瀧詠一さんのアルバム「LET'S ONDO AGAIN」に収録された「禁煙音頭」と「ピンク・レディー」の2曲に参加しています。書籍「大滝詠一レコーディング・ダイアリー Vol.1」によると、「禁煙音頭」のバックトラックが制作されたのは「EastWest'78」の決勝当日にあたる8月27日。鈴木さんがボーカルをレコーディングしたのが9月5日となってます。
場所は大久保のフリーダムスタジオだね。その日、僕たちは2曲レコーディングするんだけど、その前に「337秒間世界一周」という曲で大瀧さんが鈴の音をどうしても使いたくなったそうで。「いよいよ大瀧さんとやれるぞ!」と思っていたら「来るついでに鈴買ってきてくれない?」と連絡があって、スタジオに行く前に地元の楽器屋で鈴を買って行ったのを覚えてる(笑)。初めてプロの作業現場を垣間見れるわけだから、僕はもううれしくてうれしくて、その空間にいられることがものすごくぜいたくな時間だと思ってたね。
「禁煙音頭」レコーディング時、記念写真を撮る大瀧詠一とシャネルズ。
「禁煙音頭」レコーディング時の鈴木雅之と大瀧詠一。
──シャネルズ、ラッツ&スターのベストであるDISC 1「Original Mania」の1曲目に「禁煙音頭(Niagara Triangle 1987 Mix)」が入っているのは、そういう思いがあったからなんですね。これは冒頭が「LET'S ONDO AGAIN」収録音源の亀渕昭信さんによる「ハーイこんにちは」でなく、大瀧さんの肉声カウントで始まる貴重なテイクです。
大瀧さんはいろいろ遊びの未発表テイクを作ってはストックしてあったんだね。それをナイアガラ・エンタープライズ代表の坂口修くんが整理して「こういうテイクもありますけど、どうですか」と言ってくれたから、ありがたいよ。周年でグループの歴史となると、普通ならデビュー曲「ランナウェイ」から始まるわけじゃない? だけど45周年まで来たら鈴木雅之の音楽の歴史をたどって、どう「ランナウェイ」に到達したかというところから提供しないといけないと思ったし、それが「All Time Doo Wop ! !」につながると考えて「禁煙音頭」を1曲目にしたんです。
──「禁煙音頭」は元ネタがダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」、コーラスはThe Beach Boysの「Help Me, Rhonda」、途中に挿入されるのはThe Plattersの「Smoke Gets in Your Eyes」のフレーズ、そしてそれを1960年代に日本で流行したドドンパのリズムに乗せるというものすごくマニアックな楽曲です。最初に聴いたときはどのように思われましたか?
僕は大瀧さんのアルバムだと「NIAGARA MOON」とか「GO! GO! NIAGARA」が好きだったから、自ずとドゥーワップ的、ロックンロール的なアプローチで歌わせてもらえると思って意気揚々とスタジオに行ったんです。そしたら音頭だったから愕然とするわけ。でも、そのときに大瀧さんが「いや、君ね。音頭も立派なダンスミュージックだからね」と言っていて、それもそうだなと目から鱗で。あと、僕はダウン・タウン・ブギウギ・バンドが大好きだった。宇崎竜童さんのちょっと和テイストなメロディラインがいいなと思って。実家の町工場では作業服を着るところ、僕はダウン・タウン・ブギウギ・バンドを意識してツナギを着てたから(笑)。右胸に「雅」って入れて。だから「スモーキン・ブギ」のパロディであることはわかったけど、なぜ禁煙なのかは当時わかんなかったんだ。あとで聞いたら大瀧さんがちょうど禁煙し始めた時期で、その禁煙計画に僕たちは乗せられただけだったという(笑)。だけど大瀧さんのノベルティ的な解釈で言えば、スモーキンより禁煙なんだ。当時はみんなタバコを吸っていたけど、2025年の今、これだけ禁煙になってるわけじゃない?
──日本専売公社(現JT)の調査によると、1978年当時の成人男性の喫煙率は74.7%です。
そういう時代に「禁煙」を掲げたのは本当にすごい。今回は歌詞の中に「子供は守れよ」「世界を救えよ」と言っているテイクを2025年バージョンとして入れた。今とっても大切な言葉だなと思って、大瀧さんからの45周年のご褒美みたいな思いで受け取らせてもらったよね。
──そこから「ランナウェイ」までの間に、大瀧さんとはEPOさんとの「大きいのが好き」、シャネルズの幻のデビュー曲といわれる「スパイス・ソング」が制作されています(※「大きいのが好き」は1995年発表「NIAGARA CM SPECIAL」、「スパイス・ソング」は2007年発表の「NIAGARA CM SPECIAL Vol.1 3rd Issue 30th Anniversary Edition」で初めて音源化された)。
2曲ともコマーシャルソングとして制作されたけど、ボツになった楽曲だね。僕は大瀧さんのマニアみたいなところもあったから、ちょっとでも携われることが自分にとってのものすごい勲章になると思ってた。「これで大瀧さんとデビューできる」みたいなことより、「禁煙音頭」で大瀧さんのアルバムの中で爪痕は残してるから僕の中ではヨシ!という気持ちの方が強かったけど、オリジナル曲で何か一緒にやりたいという思いは少なからずありました。