(続)「ウクライナは勝たなければならない」主義の日本の国際政治学者が伝えない欧州

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yuda lesmana/iStock

先日『「ウクライナは勝たなければならない」主義の日本の国際政治学者が伝えない欧州』という題名の記事を書いた。

「ウクライナは勝たなければならない」主義の日本の国際政治学者が伝えない欧州
8月15日にトランプ大統領とプーチン大統領の会談が行われる。この会談の決定それ自体をめぐって、すでに日本の「ウクライナ応援団」界隈では、一斉に憤りの声があがっているようだ。 MAGAインフルエンサーが領土の割譲に後ろ向きなゼレ...

EUの外交・安全保障政策の責任者であり、「ウクライナは勝たなければいけない」主義の総本山と言うべきカラス上級代表は、今年2月、「トランプは融和主義者だ」と批判しながらワシントンDCに乗り込み、結局トランプ政権高官から無視された。

日本の軍事評論家・国際政治学者の方々は、「トランプが無能で無責任であることが諸悪の根源だ、カラス上級代表とともに、ウクライナのために頑張ろう」といった趣旨の主張を続けている。しかし現実にはEUの政治指導者は、アメリカなしでウクライナが戦い続けることが不可能あるいは破綻への道であることを知っている。

そこで国際情勢に明るいという評価の高い加盟国の国家元首であるフィンランド大統領のアレクサンデル・ストゥブ氏に、事実上のEU特使としての存在感を与え、加盟国ではないイギリスを常に招いて独・仏・伊とともに、東欧からはポーランドを代表国にするような仕組みをとり、有力加盟国によるアメリカとの協調路線をとる姿勢を基本としている。

専門家の方々のみならず、メディアも、カラス上級代表が過激な発言をするたびに好んでニュースとして取り上げて、読者にEU=カラスの印象を与える操作をしている。だが実際には、EUは同委員長が代表して有力加盟国とNATOルッテ事務総長ともに、アメリカとの協調路線を維持する方向に進んでいる。7月にフォンデアライエン委員長がトランプ大統領と会談して握手してからは、特にそうだ。

アラスカでの米ロ首脳会談の開催が決定してから欧州の共同声明や、トランプ大統領のとの協議にあたっても、カラス上級代表は参加せず、上記のメンバーが、継続して事実上のコンタクトグループとして調整にあたっている。

もちろん協調路線の理由は、欧州の利益を停戦交渉に盛り込んでもらいたいからなので、それは繰り返し表明していくだろう。だが、それは、日本の専門家やメディアが劇画的に脚色しているほどには、敵対的ではない。

ドイツのメルツ首相は、トランプ大統領とのオンライン協議の後、記者団に対して、以下の5つの原則について、「トランプ氏もおおむね同意している」と述べた。

  1. ウクライナも今後の交渉に参加する
  2. 停戦を最優先とする
  3. ロシアの占領の法的承認は絶対に認めない
  4. ウクライナに対する「安全の保証」も交渉対象とする
  5. ロシアがアラスカ会談で動きを見せなければ米欧は圧力を強める

これらについて日本の専門家の方々やメディアは、欧州の米国への圧力が奏功か?トランプは聞いていないのではないか?といった期待や憶測を飛ばしているが、的外れだ。むしろカラス上級代表を外して、トランプ大統領と強調するために欧州が努力していることの証明である。

第一に、米ロの首脳が会うということは、将来にわたってウクライナが交渉してはいけないという立場をトランプ大統領がとっていることを意味しない。第三者が、交渉促進のために、当事者それぞれと個別会合を持っていくなどということは、普通の出来事である。家庭裁判所の調停員であろうと何であろうと、個別協議を拒否して、当事者が常に全員一同に会さなければならない、といった主張をし続ける調停者など見たことがない。

第二に、「停戦を最優先する」というのは、戦場の現実を少なくとも当面は受け入れるということだ。そのことを違う表現で言い換えているにすぎない。日本の専門家の方々の片思いの期待を裏切って、欧州指導者はトランプ大統領にすり寄っている。

第三に、「ロシアの占領承認を認めない」というのは、国際法上の承認行為を行わないということを意味しており、第二の点と両立する意味でのみ、領土に関する交渉内容の範囲に要請を出しているに過ぎない。これは恒久的な領土問題を伴う「和平合意」の前に「停戦合意」を模索する際には、「常識」の態度である。これが認められなければ、朝鮮戦争も何年続いたかわからない。日本の専門家には理解できないことかもしれないが、韓国の専門家にとっては「常識」だろう。

韓国外国語大学国際地域大学院のチェ・ソンフン教授は「ウクライナ軍のドンバス撤退を前提にロシアがスーミ州とハルキウ州で確保した緩衝地帯をウクライナに譲り渡せば停戦または終戦に達する可能性がある」 韓国の方は冷静ですね。…

— 篠田英朗 Hideaki SHINODA (@ShinodaHideaki) August 13, 2025

第四は、最も実質的な内容を持つ項目だ。戦後のウクライナ支援に大きな制約が課せられることを、欧州指導者は恐れている。本音を言えば、アメリカに戦後の安全の保証に貢献をしてもらいたいという都合のいい願望も持っている。

トランプ大統領としては、総論で反対する理由がないが、アメリカの関与については約束しないという態度だろう。欧州諸国のウクライナ安全保障への関与に、プーチン大統領がどのような態度を見せるかは未知数なところがあるが、ウクライナのNATO加盟絶対反対を自明としたうえで、ロシア支配地域の外周に緩衝地帯(欧州軍非干渉地帯)を設置したうえで、ドニエプル川西岸のできるだけ欧州に近い地域にのみ欧州軍の展開を容認する可能性は、皆無ではないかもしれない。

おそらく最大の焦点はオデーサになるだろう(ただしアラスカでいきなりそこまで煮詰まっていくかはわからない)。トランプ大統領としては、ここが最も気を遣って落としどころを見出したいポイントになるだろう。

第五の「ロシアがアラスカ会談で動きを見せなければ米欧は圧力を強める」と言うのは、実は欧州指導者がアラスカ会談に強い期待をしている実態の表明だ。圧力の強化といっても、決定的な残された一手があるわけではない。また即時停戦に応じなければ瞬時に何かをすると言っているわけでもない。プーチン大統領が、次につながる姿勢を見せれば、それはそれとして注目する、という意図の表明だ。

このように日本の専門家やメディアによる「欧州はトランプ大統領の試みに反対して戦っている」かのような描写は、必ずしも現実を正確に反映しているようには思えない。もちろん欧州指導者が欧州の利益を確保したいと思っていることは確かだろう。しかしその利益の中には、アメリカとの協調路線の維持が、くっきりと埋め込まれている。

私は、昨日は『現代ビジネス』に関連する拙稿を掲載した。

トランプ大統領が2024年の大統領選挙を控え、ウクライナ支援に懐疑的な姿勢を示しており、これはウクライナ情勢に悪影響を及ぼしている。専門家は「ウクライナは勝たなければならない」という硬直した主義が停戦の機会を逃していると指摘。2023年半ばには停戦の兆しがあったが、ゼレンスキー大統領が徹底抗戦を選択したことで状況は難化...

これについて、相変わらず「全面侵攻を始めたのはロシアなのに領土の完全回復を果たす前の停戦を語るのはけしからん」というお叱りの声を受ける。

昨今は、国際政治学者と言えば、道徳的に何が正しいかを日夜SNSで発信し、自分たちが道徳的に間違っていると考える者を糾弾し、それらの者たちを社会的に阻害する運動を盛り上げようとする方々のことになってしまった。

だが言うまでもないことだが、私もロシアの全面侵攻を正当化したいわけではない。欧州指導者たちも当然同じだろう。

しかし3年半にわたった戦争を経てなお、それ以外のことを語ってはいけない、領土の完全回復が果たされるまで戦争継続あるのみだ、と言い続けなければならないという主張は、いかにも非現実だ。そんなことをしたら、ウクライナのみならず、いずれ支援諸国も共倒れで破綻してしまうことは必至である。

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