ニューヨーク市地下鉄の奇観、知られざる「鍾乳石」カルテマイトの正体とは(ナショナル ジオグラフィック日本版)
都会にある高校で地学で教える際、悩ましいと感じるのは、「洞窟に入ったことがある人はいますか」と生徒たちに尋ねても、ただぽかんとした表情を返されてしまうことだ。 ギャラリー:ニューヨーク市地下鉄の知られざる「鍾乳石」 写真4点 生徒自身が気づいているかどうかはともかく、彼らの多くは学校への行き帰りのあいだに、洞窟とよく似た環境で長い時間を過ごしている。というのも、米ニューヨーク市には独自の“洞窟網”があるからだ。その洞窟網とはメトロポリタン交通局(MTA)が運営するニューヨーク市地下鉄であり、本線の地下部分の線路長は713キロメートルに及ぶ。 われわれが作り出す建築環境も、世界の壮大な自然景観を形作っているものと似た材料からできている。鉱物を豊富に含む岩石と水だ。十分な時間があれば、水はほぼどんなところへも入り込んでいく。 そしてニューヨークのような大都市では、インフラの老朽化のせいで、水漏れのある構造物は珍しくない。コンクリートの亀裂から水がしみ出す場所には「カルテマイト」と呼ばれるものが垂れ下がる。 洞窟の見学ツアーに参加した経験がある人なら「鍾乳石に触れないでください」という注意看板を見たことがあるだろう。鍾乳石とは、鉱物を豊富に含む水が洞窟の天井から滴り落ちることで生まれる、つららのように垂れ下がった物質だ。 洞窟を彩る鍾乳石は、数千年の時をかけて形成され、洞窟特有の景観をつくり出す。人間が触れると、鍾乳石は皮膚の油分によって変色し、成長が止まり、将来そこを訪れる人たちにとってさほど魅力のないものになってしまう。ニューヨーク市の地下鉄にも、同じような注意書きが必要かもしれない。 カルテマイトは、人間の活動によって生み出される鍾乳石の仲間であり、トンネルや道路網の至るところに存在する。カルテマイトという言葉は、ラテン語とギリシャ語に由来し、大まかに「石灰石の堆積物」を意味する。 モルタルや石灰、セメントの中を水が通過すると、カルシウム成分が溶け込む。そうした水が出口を見つけると、カルシウム成分と空気中の二酸化炭素が反応して炭酸カルシウムの石ができる。水が滴り落ちたあとに沈殿物として固まってできたものが、地下鉄網などで目にするカルテマイトだ。 米ケンタッキー州にあるマンモス・ケーブは洞窟群として世界一の長さを誇るが、ニューヨーク市地下鉄網の地下部分の線路長は、これを約30キロメートル上回る。 ニューヨークの洞窟網が自然の洞窟と異なるのは、大量輸送を目的として人間によって掘られたものである点だ。一方、どちらも暗くて湿気があり、小さな生物が生息し、旅行者が頻繁に訪れるという共通点もある。 カルテマイトは、天然の洞窟で形成される鍾乳石の300倍の速さで成長する。理由としては、洞窟内に天然に存在する石灰岩と比べて、人工素材の方が水が染み通りやすいことが挙げられる(編注:天然の鍾乳石とカルテマイトは作られ方が異なる。鍾乳石は、石灰岩の成分である炭酸カルシウムが水に溶け、再び固まったもの)。 カルテマイトの魅力は、そのバリエーションの多さにある。水がどんな素材の中を通ってきたかによって、どんな色になるかが決まる。古いカルテマイトの中には、ストローのような細長い形をしたものもある。 新しいものは、まだ水滴を垂らしていることが多く、近くで観察すると、その先端から今にも滴り落ちそうになっているしずくの中に、カルシウム成分の粒が渦を巻いている様子を見ることができる。 さらに、これらを観察することは、われわれの周りの人工的な環境が時間とともにどのように変化してきたのかについて、多くを学ぶ機会にもなる。 私(筆者のトーマス・ウィルソン氏)は、ニューヨーク市在住の海洋地質学者、気候科学者、教育者であるダニエル・バビン氏に話を聞いた。樹木の年輪や氷床コア、堆積物コア(コアは柱状に掘り出した試料)、洞窟の鍾乳石などを分析すれば、気温の記録が存在しない時代の気候について知ることができる。氏は、それと同じようなやり方で、カルテマイトの断面を調べてはどうかと提案する。 カルテマイトの特異な点は、貝塚に似ていることだと氏は指摘する。貝塚は過去の文明が残した廃棄物の山であり、考古学者にとっては大昔の人々の活動や食事について知るための助けとなる。 「問題は、カルテマイトが実際にはどのくらい古いものなのかということです。カルテマイトは1日あたり最大で2ミリメートル成長します。これは驚異的な速さです」 成長の速さを基準とすれば、理論上は、カルテマイトの大きさからその年代を推定できる。年代がわかれば、都市の人口の推移や、人々の生活の質を知る手がかりが得られそうだ。 「十分に古いカルテマイトであれば、都市の水や空気の質が時間の経過とともにどのように変化してきたかを、詳しく調べられるかもしれません」と氏は言う。「そうした情報は、人間の健康にもかかわることです」 地下鉄R系統への入口は、われわれの高校から徒歩3分のところにあるため、地学を履修している生徒数人を連れて、珍しいカルテマイトの観察に出かけた。 私が生徒たちを案内したカルテマイトの周囲は、コンクリートの腐食が進んでおり、地下鉄の入口を補強するために埋め込まれた鉄筋がさびて剥き出しになっていた。 「こういうものの存在に、気づいたことがある人はいますか」。頭のすぐ横で水滴を滴らせる長さ5センチほどのカルテマイトを指さしながら尋ねた。生徒たちはうなずいて笑顔を見せ、授業で学んだ洞窟の図解と目の前にある実物とが結びついたようだった。
文・写真・動画=Thomas Wilson/訳=北村京子