黒田朝日の激走呼んだ、青学大の皆渡星七さんと駅伝チームの激闘の日々
◆報知新聞社後援 大阪マラソン(24日・大阪府庁前スタート~大阪城公園内ゴール=42・195キロ)
マラソン初挑戦の青学大のエースで新主将の黒田朝日(3年)は、2時間6分5秒の日本学生最高記録をマークし、日本人3位の6位と大健闘した。「皆渡星七パワー!」と亡きチームメートの名前が書き込まれたシューズで力走。先輩の若林がマークした日本学生記録(2時間6分7秒)を更新した。
◆第100回箱根駅伝以降、青学大駅伝チームと皆渡星七さんの激闘の日々
▽2023年12月11日 第100回箱根駅伝16人メンバー登録。皆渡星七さん(当時2年)がメンバー入り
▽同29日 第100回箱根駅伝区間登録。皆渡さんは7区に登録される
▽2024年1月3日 第100回箱根駅伝で青学大が2年ぶり7度目の優勝。皆渡さんは山内健登(当時4年、現九電工)と当日変更で出番なしとなったが、原監督は「次の箱根駅伝では復路の主力になる」と期待
▽同2月18日 熊日30キロロードレースで皆渡さんが1時間33分35秒で7位入賞
▽同6月2日 日体大長距離競技会5000メートルで皆渡さんが13分51秒38で自己ベスト
▽同10月9日 全日本大学駅伝(同11月3日)16人メンバー登録。皆渡さんがメンバー入り
▽同11月 皆渡さんが体調不良でチームから離れる
▽同12月末 第101回箱根駅伝直前のチームミーティングに皆渡さんが入院先からリモートで参加。「走れることは当たり前ではありません。箱根駅伝、頑張ってください」と選手を激励
▽2025年1月3日 第101回箱根駅伝で青学大が2年連続8度目の優勝
▽同19日 皆渡さんが自身のSNSで昨年11月に悪性リンパ腫と診断され、闘病していることを公表。その上で「がんになっても箱根を目指したい」と強い思いを明かす
▽同2月19日 皆渡さんが亡くなる
▽同20日 朝練習で原監督が選手、マネジャーに皆渡さんの訃報(ふほう)を伝える
▽同21日 青学大陸上競技部の公式ホームページで皆渡さんの訃報を公表
▽同22日 大阪マラソン(同24日)に初出場するエースで新主将の黒田朝日(3年)が皆渡さんの地元でもある大阪入り。「このようなタイミングで大阪で走ることになったので、彼の思いと一緒に走りたい」
▽同23日 皆渡さんの通夜が大阪府内で営まれる
▽同24日 午前9時15分に黒田朝日が「皆渡星七パワー」と書き込まれたシューズを履いて大阪マラソンをスタート。同11時21分に日本学生新記録でゴール。正午から皆渡さんの告別式が大阪府内で営まれる。原晋監督は黒田朝を沿道で応援した後、告別式に参列し、皆渡さんと対面。「やりきった、という顔をしていました。病室でも、体を動かせるぎりぎりまで青トレ(体幹トレーニング)をしていた、と聞きました。最後まで箱根駅伝を目指して闘ったのでしょう。よく頑張りました。こんなに頑張った選手が青学大にいた、ということを私は語り継いでいきます」
◆皆渡 星七(みなわたり・せな)2004年2月2日、大阪・豊中市生まれ。22年に関大北陽高から青学大経営学部に入学。2年時に頭角を現し、全日本大学駅伝、箱根駅伝で登録メンバー入り。3年時も全日本大学駅伝の登録メンバーに入った。自己ベスト記録は5000メートル13分51秒38、1万メートル28分49秒30、ハーフマラソン1時間3分30秒、30キロ1時間33分35秒。178センチ、60キロ。25年2月19日、悪性リンパ腫のため死去。享年21歳。