銀行員23人が「不正したら自害」と覚悟の血判状、不祥事相次ぐ中でSNS注目…四国銀が初公開へ
1886年(明治19年)に「第三十七国立銀行」(現・四国銀行、高知市)の行員23人が不正をしたら自害すると誓った血判状が6月27日から、高知県立高知城歴史博物館で初めて公開される。長年、四国銀行が倉庫で保管していたが、全国の金融機関で不祥事が相次ぐ中、SNSでその存在が注目され、一般展示が決まった。(高知支局 石渕譲)
6月に一般展示される「第三十七国立銀行」役員らの血判状(高知市で)=枡田直也撮影「当銀行ニ従事スル者本行之金円ヲ盗用シ又ハ 故(コトサ) ラニ人ヲシテ窃取セシメタルモノハ私産ヲ挙ケテ 之(コレ) ヲ弁償シ 而(シコウ) シテ自刃ス」
血判状(横約150センチ、縦35センチ)には覚悟の言葉が並ぶ。他にも、当時の言葉で「金銭に関する不正行為は社会にとっても我々にとっても敵である」「盟約を結んで我々の決意を示し、命を懸けて守ることを誓う」などの趣旨が記され、当時の役員・従業員計23人の署名の下に、赤黒い血判が押されている。
第三十七国立銀行は1878年、高知市で開業。役員5人中4人が士族だった。四国銀行100年史には、「武士気質が残る時代で、従業員の服務規定には厳しいものもあった」と記されている。
四国銀行によると、血判状が作成されたのは86年3月22日。前年は純利益が減少し、役員賞与が創業以来初のゼロという厳しい経営状況だった。
同行はホームページで血判状を紹介。毎年、新入行員の研修で活用し、高知県内などの営業所計110店舗の応接室にはレプリカを掲示している。
金融機関を巡っては、昨年以降、貸金庫から顧客の金塊が盗まれるなどの事件が相次ぎ、行員らの逮捕・起訴が続いている。こうした中、SNSでは、血判状について「このくらいの責任感を銀行には期待したいところ」などの投稿が相次いだ。
同博物館が同行に一般展示を打診。江戸時代から明治期の四国の貨幣を紹介する企画展での展示が決まった。同館の高木翔太学芸員は「血判状は、尊皇 攘夷(じょうい) 運動をした土佐藩の元武士らしい誓いだ」と語る。
同行総合企画部の栄田智文部長代理は「銀行は信用が第一。もちろん、今の時代に自害はあり得ないが、創業当時から高い倫理観、責任感を持って励んできた歴史を伝えられたら」と話している。