太陽光だけで海水を真水に。新たなスポンジ素材が切り拓く脱塩技術の未来
淡水資源の不足が世界的に深刻化するなか、海水を飲用可能な水に変える脱塩処理が、次世代の水資源確保に向けた切り札とされている。その鍵を握る技術のひとつが、太陽エネルギーで海水を蒸発させて、蒸気を回収することで真水を得る「光熱蒸発器」だ。
だが従来の蒸発器は、装置のサイズが大きくなるにつれて蒸発効率が急激に低下するという課題を抱えていた。そこで香港の研究チームは、このボトルネックを数理モデルで定量的に捉えて設計を見直すことで、装置のサイズに依存しない淡水化性能をもつ新たなスポンジ状の素材を開発することに成功した。
「このエアロゲルは、どんなサイズの装置でも淡水化能力を最大限に発揮できます」と、香港理工大学の助教授で機械工学が専門のシー・シェンは説明する。「エネルギーを使わずに清浄な水を得るための、シンプルで拡張性の高い解決策となるでしょう」
エアロゲルとは、液体成分の大半を空気に置き換えたゲル素材を指す。内部にナノスケールやミクロスケールの細かい空隙が無数にあるスポンジ状の固体で、含有成分の90%以上が空気であることから、固体でありながら超軽量という特性をもつ。シリカやカーボン、ポリマー、セルロースなどを原料としてつくられ、優れた断熱性や透過性を活かしてさまざまな分野で利用されている。
シェンらの研究チームは、蒸発効率がサイズに左右される原因を、熱と水蒸気の移動を同時に解析する数理モデルを用いて検証した。その結果、装置が大きくなるほど水面上に形成される境界層が厚くなり、水蒸気の拡散が妨げられることがわかった。つまり、蒸発面で発生した水蒸気が周囲に拡散しきれず、結果として効率が低下してしまうというわけだ。
この知見に基づいて設計されたのが、カーボンナノチューブとセルロースナノファイバーを混合したペーストを使った新たな多孔性エアロゲルである。研究チームは今回、この混合ペーストを凍らせた基盤の表面に積層する3Dプリント技術の一種である「アディティブ凍結プリンティング」という手法を採用することで、素材の内部に直径20マイクロメートル程度の垂直な細孔を規則正しく形成した。
3Dプリント技術を用いたことで、水蒸気がスムーズに上方へと抜ける“通路”を確保できるようになった。
この構造によって水蒸気がスムーズに上方へと抜ける通路が確保され、蒸発性能がサイズに依存せず一定に保たれる。研究者たちが1cmから8cmまでの異なるサイズのサンプルを用いて実験したところ、従来の蒸発器では40%以上の性能低下が見られたのに対して、今回のエアロゲルでは5%未満にとどまっていた。
エアロゲルの性能評価は、実際の屋外環境でも実施された。淡水化の効率を検証するために、研究者たちは海水を入れた容器にエアロゲルを浮かべ、その上に緩やかに湾曲した透明なプラスチックカバーを設置した。太陽光が照射されるとエアロゲルの上部が加熱され、塩分を含まない水分だけが蒸発して水蒸気となる。すると蒸気はカバーの内側で凝縮して縁に沿って滴り落ち、最終的にろうとを通じて清浄な水として回収される仕組みだ。
自然光のもとで6時間にわたって実験した結果、およそ45ml(大さじ3杯分)の真水が生成された。決して大量ではないが、完全に無動力かつ無電力であることを考えれば驚異的な成果といえる。研究者たちによると、実験時の蒸発速度は毎時2kg/m²を上回っており、エネルギー効率は常に80%を超えていたという。
シンプルかつ拡張可能
今回のエアロゲルは、構造設計におけるスケーラビリティーの確保が徹底されている。サイズを変えても性能が落ちないということは、用途や設置環境に応じて装置の大きさを自在に設計できるということだ。さらに、素材の原料は再生可能なセルロースや炭素系材料が中心で、低コストでの量産も視野に入っている。
シンプルな構造とサイズに依存しない性能を兼ね備えた新素材は、災害時における緊急飲料水の供給や、インフラが乏しい地域での給水手段として役立つことが期待される。今後の課題としては、海水以外の汚染水や不純物を含む水源への適用、長期間の使用における耐久性、そして異なる気象条件への適応性などが挙げられる。
太陽の力で海水を淡水に変えるというアイデアそのものは決して新しくはないが、そこにはスケーラビリティーという高い障壁が立ちはだかっていた。今回の研究成果は、単なる材料開発にとどまらず、構造設計によって障壁を突破できることを示した点に大きな意義がある。極力エネルギーを使わずに資源を得るために、仕組みや構造そのものを見直すべきときなのかもしれない。
(Edited by Daisuke Takimoto)
※『WIRED』による水の関連記事はこちら。
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