だからこれだけの命が消えてもガザ攻撃は止まらない…「自分たちこそ孤島である」という"イスラエル人の世界観" 世界の非難がイスラエルに届かない理由
イスラエルはなぜ、パレスチナ自治区ガザ地区への攻撃をやめないのか。毎日新聞専門編集委員の大治朋子さんは「背景にはイスラエルに住むユダヤ人独特のメンタリティがある」と指摘する――。
※本稿は、大治朋子『「イスラエル人」の世界観』(毎日新聞出版)の一部を抜粋・再編集したものです。
パレスチナ問題が永遠に解決しない理由
特派員時代、イスラエル人の多くに同じ質問をした。
「占領がすべての問題の根源だと思いませんか」。
少なからぬ市民がおおむねこう答えた。
「ここは私たちユダヤ人にとって『約束の地』です。彼らアラブ人(パレスチナ人)は過去数百年程度ここに住んでいたかもしれません。でも私たちの民族は数千年も前にここにいたのです。占領ではありません。私たちはここに帰ってきたのです」
私の感覚では、「過去数百年間」その土地に住んでいた人には、これからも住み続ける正当性がある。だが彼らは、「数千年」という途方もなく長い時間軸と聖書の物語を持ち出して反論する。
結局会話はかみ合わなくなってしまう。
米調査会社ピュー・リサーチ・センターが2014年10月から2015年5月にかけて行った世論調査によると、イスラエルのユダヤ人の約半数(49%)が自分自身を、ほとんど信仰を持たない「世俗派」と呼び、残りの約半数は「宗教的」と答えた。
宗教的とは、一定程度お祈りをしたり、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)に行ったりする人々だ。
イスラエル人の世界観を理解するには、この「宗教的」な人々の考え方を無視することはできない。
中でも最も信仰が厚い「超正統派」と呼ばれる人々は、2050年にはイスラエルの3人に1人を占めると予想されている。
本稿では、聖書などをもとにユダヤ教とユダヤ人の歴史を振り返りながら、それが現代にどのような意味や教示を与えているのか大局的に追うことにする。
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信仰のよりどころ
ユダヤ教の聖書は紀元前112世紀ごろにおもに古代ヘブライ語で書かれた24巻の書物から成る。
キリスト教ではこれを「旧約聖書」(以下ユダヤ教の聖書は「旧約聖書」と記載)と呼ぶ。
紀元前13世紀ごろ民族の指導者で預言者のモーセがシナイ山で神から啓示を受け、それを「トーラー(律法)」と呼ばれる成文の定めとして残した。さらに弟子のヨシュアに口伝でも伝えた。
口伝とその解説を集大成したものがタルムード(学び)と呼ばれる聖典で、後段で詳しく書くが、ユダヤ教においては「旧約聖書」に続く存在とされる。このトーラーを含む成文の律法が「旧約聖書」で、ほかに「預言書」と「諸書」があり計3部から成る。
特に重要とされるトーラーは、「モーセ五書」とも呼ばれ、モーセが登場するまでについて書かれた「創世記」と、モーセ以降の「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」に分かれる。
ユダヤ民族は創世記で自らを「選ばれた民」とし、出エジプト記では神が授けた「約束の地」カナン(おもに現在のイスラエル、パレスチナ自治区)を目指した苦難の道のりを描いている。カナンの地は、旧約聖書で「乳と蜜の流れる地」とも記される。
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現代イスラエル社会では、この「苦難」と「民族の団結」を思い起こすためのさまざまな祝祭日や慣習がある(『「イスラエル人」の世界観』第3章に詳しい)。
ちなみに旧約聖書の「申命記」には、砂漠で流浪するイスラエルの民を卑怯な攻撃で襲う「アマレク人」が登場するが、現代もその名は悪漢の代名詞のように引用される。
アマレク人は特に弱った人を狙ったとされ、神は「申命記」で、「アマレク人の名を天の下から消し去らなければならない。この事を忘れてはならない」と命じる。
現代イスラエル社会では、「アマレク人」は「反ユダヤ主義の象徴」ともみなされる。
ネタニヤフ首相は10・7事件から3週間後の10月28日、国民向けの演説でハマスをこの聖書の悪漢になぞらえた。
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イスラエル国会で演説するネタニヤフ首相=2024年10月28日、エルサレム
「アマレクがあなたにしたことを忘れるな。我々は忘れず、戦う」。
この発言について、イスラエルによるガザ攻撃をジェノサイド(集団殺害)だと国際司法裁判所(ICJ)に訴える南アフリカは、「虐殺を呼びかけたもの」と指摘した。
イスラエル首相府は、「ナンセンス。根拠のないばかげた主張だ。歴史的無知の結果だ」と反論した。
首相府によると、「アマレクを忘れるな」はハマスによる残虐な攻撃を表現するために聖書から引用しただけで、無差別殺人を呼びかけるものではないという。
だがこうした発言が繰り返されれば、「ハマス=アマレク」ひいては「パレスチナ人=アマレク」という印象が醸成される可能性は否定できない。
「アマレク」は反ユダヤ、卑怯な暴力を連想させるいわば「隠語」であり、ユダヤ人の心を強く刺激するキーワードだけに、大衆の心理操作にも使われかねない。
ネタニヤフ氏や一部の政治家は、特定の者だけに特定の意味を感じさせる、いわゆる「犬笛」を巧みに使う。
ユダヤ人はなぜ、“神から選ばれた”のか
ところでなぜ「選ばれし民」なのか。
「モーセ五書」の「申命記」にはこうある。
「あなたの神、主はこの地にいるすべての民の中からあなたを選び、ご自身の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは、どの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛ゆえである」(7章68節)
人数が多かったとか優秀だから選ばれた、のではなく、弱者だから選ばれたのだという。
迫害され差別され続けてきたからこそ「選ばれた」というロジックである。
そこには、過酷な自然や外敵の脅威から自分たちを守る超人的な力を求め続けた少数民族の渇望が表れているようにも見える。
実際にユダヤ教の聖書には、弱者を抑圧したり、軍事力にものを言わせて他者を支配したりするような為政者に対する批判的なまなざしが随所にみられる。
弱者にこそ神が宿るという考え方は、ユダヤ教の精神性を長年支えてきた。それを体現するのが「旧約聖書」(「サムエル記上」17章)に登場する「ダビデとゴリアテの物語」だ。
現代イスラエル社会においても、さまざまな局面で引用される。
それはイスラエル12部族の子孫が念願の「約束の地」カナンにたどり着いた時代にさかのぼる。
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ユダヤ人が神から選ばれた特別な存在だという意識は、「選民思想」とも呼ばれ、ユダヤ教の大きな特徴の一つとされる。
ただこの地位は自動的に与えられるものではなく、厳しい律法や掟を日々守る義務と責任を果たすことで、「神の民」となりうると考えられている。
例えばモーセがシナイ山で神から授けられたという「十戒」は、「神を敬う」「安息日を守る」「両親を敬う」「偶像を崇拝しない」「神を冒瀆しない」「人を殺さない」「姦淫しない」「盗まない」「偽証しない」「他人のものを欲しがらない」と定める。
こうした掟を守り、全人類のいわばお手本となるような振る舞いをユダヤの民が先んじて行うことが、世界を導き、救うことにもつながると考える。
一方、モーセが口伝で伝えたとされる内容もユダヤ教の律法学者ラビらによりその後、文章にされた。
「ミシュナ(反復)」と呼ばれ、(1)農耕(2)祭り(3)婚姻(4)民法と刑法(5)犠牲(6)清め――に関する定めから成る。
こうしたユダヤ教の細かい教えは現代イスラエルの日常に脈々と受け継がれている(『「イスラエル人」の世界観』第3章参照)。
特に苦難の時代においては、律法が世界に離散した民族を結びつける「見えない糸」のような存在になっていた。
「イスラエル」は、神から授けられた名前
ユダヤ民族の歴史は紀元前7世紀の族長アブラハムらによりその幕が開かれた。
旧約聖書の「創世記」によると、メソポタミア文明の中心地である古代都市ウル(現在のイラク南部)に一人の男がいた。
名前はアブラハム。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教において父祖とされるヘブライ人だ。
ヘブライ人は後にユダヤ人と呼ばれる人々で、この当時は古代中東で遊牧生活を送っていたセム系民族をそう呼んだ。アブラハムは神の啓示を受け、75歳の時に妻サライ(後のサラ)らと共に故郷を離れ、カナンへと旅立った。
神はアブラハムを「民の父」、サラを「民の母」とするという契約(約束)を交わし、アブラハムが100歳、サラが90歳の時に息子イサクを授けた。
アブラハムはキリスト教では「すべての信仰者の父」、イスラム教の聖典では「ムハンマドの祖先」とみなされている。
世界三大一神教の中でユダヤ教が最も古く、キリスト、イスラム両教の土台をなしていることが分かる。
イサクの子ヤコブは神から「イスラエル」(神が支配する、神と競う)と名付けられ、その12人の息子たちはそれぞれカナンの地における12部族の父祖となった。
彼らを旧約聖書では、「イスラエルの民」と呼ぶ。
イスラエルの民は、飢饉の広がりからエジプトに逃れた。その子孫たちはエジプトの圧政により約400年間、奴隷にされ強制労働に苦しんだ。
旧約聖書の「出エジプト記」によると、紀元前1312世紀ごろ、指導者モーセは彼らを連れてエジプトから脱出する。
モーセらはエジプト軍に海まで追い詰められたが、モーセが神から力を得て海を割り、イスラエルの子孫らを渡らせる。
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その後モーセは海をもとに戻し、エジプト人らは溺れ死ぬ。無事に生きのびた彼らはシナイ山で神との「約束」を交わし、「モーセの十戒」を授かり、神から与えられたという「約束の地」カナンを目指す。
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他の民族との対立が相次ぎ、中でもエーゲ海方面からやってきたペリシテ人は銃器を持つ好戦的な部族だった。単なる部族の集合体だったイスラエルの子孫たちは、国家やその軍隊を持つ必要性を感じ、「イスラエル王国」を建国した。
初代の王サウルは戦死してしまうが、単なる羊飼いだったダビデがその後を継ぐことになる。
きっかけとなったのはペリシテ人の「巨人」との対決だ。旧約聖書の中でも特に人気が高い逸話だ。
紀元前10世紀ごろ、少年ダビデは敵対するペリシテ軍との戦いでイスラエル軍が苦戦していると知る。身長3メートルもある敵兵ゴリアテは重いよろいなどの武具で身を固め、1対1の対決をイスラエル軍に求めているという。
ダビデは「僕が戦う」と名乗り出る。
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よろいも刀剣も身につけず、羊飼いの仕事で使い慣れたスリング(投石器)と五つの小石が入った袋を手に大男に向かって叫ぶ。
「お前は剣とやりで戦うが、私はイスラエル軍の全能の主の名のもとに戦う」。
ダビデはゴリアテの額に小石をみごと命中させ、ゴリアテが持っていた剣でその首を切り落とす。
なぜガザへの攻撃をやめないのか
この物語は、「選ばれた民」はたとえ小さくとも心に神を宿し、圧倒的な強者を倒す――という教示となって語り継がれた。
イスラエル建国後も、アラブ諸国の大軍にイスラエル軍が勝利するたびにこの物語が語られ、少数派のユダヤ人が共有するアイデンティティの重要な構成要素となってきた。
もっともこの物語を現代にあてはめれば、イスラエル国家は巨人ゴリアテであり、パレスチナの人々こそダビデではないかと感じる人もいるだろう。
私もそう感じて紛争心理学が専門のテルアビブ大学名誉教授、ダニエル・バルタル氏に意見を求めたことがある。
大治朋子『「イスラエル人」の世界観』(毎日新聞出版)
バルタル氏は、「イスラエルに住むユダヤ人の自己意識は、ほとんどダビデのころのままだ」と述べ、「敵対的な人々に囲まれている、という被包囲意識がある。パレスチナはアラブ諸国の大軍の一部であり、小さいとも弱いとも思っていない。自分たちこそがアラブの憎悪の海に浮かぶ孤島だと感じている」と語った。
イスラエルの軍事力はゴリアテ並みだが、その自己意識はまだ、脅威にさらされる羊飼いの少年ダビデのままだという意味だ。
ここにイスラエルがもつ自己意識や世界観と、国際社会が見るイスラエルの実像の大きなギャップがある。