「失われた30年」 東大の藤井輝夫学長が考えるもう一つの理由

ジャーナリストの田原総一朗さん(手前)のインタビューに応じる東大の藤井輝夫学長=東京都文京区で2025年3月6日、渡部直樹撮影

 東京大学長の藤井輝夫さんは「世界の誰もが来たくなる大学」を掲げ、各界に多くの人材を輩出している東大のあり方を再考しています。ジャーナリスト・田原総一朗さんのインタビューでは、新卒一括採用、年功序列型、終身雇用といった雇用慣習をやめることが、教育の改革にもつながると指摘しました。【構成・竹内良和】

 全2回の前編です 後編・東大入試「オプションを増やしていく」 藤井輝夫学長が語る多様化論

真面目に勉強するようなタイプでは……

 田原 生まれはどちらですか。東大に進学しようと思ったのは何歳ごろでしょうか?

 藤井 父の仕事の関係で、私はスイスのチューリヒで生まれました。ただ、育ったのは東京です。高校生のころは、水泳部やバンドの活動に熱中し、ずっと真面目に勉強しているようなタイプではありませんでしたが、東大に行こうと思ったのは高校生の時です。

 父が半導体のエンジニアだった影響もあり、工学には興味がありました。幼稚園児の時、アポロ11号が世界で初めて月面着陸に成功した印象も強く残っていました。

 私はちょっと変わっていて、月や宇宙について知りたいと感じるというよりも、月に人を送った人間の技術がすごいと感じて、エンジニアがやりたいと思ったんですね。

ものを知るための技術がやりたい

 藤井 でも、高校生ぐらいになると、「宇宙もいいけれど、アポロも月に着陸したし、いろいろ調べられてしまったようだ」と考えるようになりました。そこで、今の私の研究と深く関わる海のことをやってみようかと考えるようになりました。

 世界で最も深い太平洋のマリアナ海溝に潜ったバチスカーフ・トリエステ号(有人の深海潜水艇)について書いた本があったのですが、そういうものを読むのが子供のころから好きだったんです。海の中で人がいろんな活動ができる技術に興味を持ちました。

 田原 ものを知りたいという意識が非常に強かったんですね。

 藤井 ものを知りたいというよりは、ものを知るための技術がやりたかったということですね。でも、海の中を調べる技術を研究できる大学は非常に限られていて、当時、海洋研究所があり、工学部に船舶工学科があった東大に行こうと思いました。すぐには合格できずに浪人生活を1年送りました。

「見本のない世界」で東大は

 田原 東大は最も入学試験が難しく、レベルの高い学びをしていると思われています。そんな東大の役割は何でしょうか?

 藤井 東大は2027年に創立150周年を迎えますが、その役割は時代とともに変わってきたと思います。明治期は近代国家・日本の骨格を作る人材を育てるという大きな役割があり、第二次世界大戦後は、戦後復興や高度経済成長を担うという役割がありました。

 ただ、今は気候変動の問題もそうですし、世界情勢も非常に混沌(こんとん)とした「見本のない世界」です。その中で、東大は新しい社会や世界のあり方を考え、作っていく人材を育てていくべきだと思います。

日本は抜きんでた人材がいない?

 田原 日本は世界トップになるような研究分野が少ないようです。東大が抜きんでた人材を輩出してもいいのではないでしょうか?

 藤井 社会のあり方、もちろん教育のあり方にも関係すると思います。ただ、ニュートリノ研究で日本は世界のトップを走っています。それは東大の成果でもありますし、例えば、京都大で進むiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究もあるので、日本も物理学や生物学などで抜きんでた成果を上げていると言えますね。

 田原 日本は1980年代初頭ごろまで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれて、経済は世界一でした。世界でどこもやらないことにチャレンジしていたからです。

 でも、90年代から構造不況に陥ると、経営者が失敗を恐れてリスクを取らなくなりました。これが日本から抜きんでた分野や人材が出にくい理由だと思うのですが。

「失われた30年」もう一つの理由

 藤井 「失われた30年」の理由はその通りだ…

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