『あんぱん』嵩たちは飢餓状態に やなせ先生本人はどんな「飢え」を体験していたのか

朝ドラ『あんぱん』では、嵩たちが食糧難で飢餓状態に見舞われます。モデルとなったやなせたかし先生も同じように、飢餓を経験しますが、ドラマとは別の場所でした。

柳井嵩役の北村匠海さん(2020年11月、時事通信フォト)

 第12週目に入った2025年前期のNHK連続TV小説『あんぱん』では、太平洋戦争中の出来事が描かれています。57話では、『アンパンマン』の作者であるやなせたかし先生がモデルの「柳井嵩(演:北村匠海)」が、中国福建省で自作の紙芝居を現地人たちに披露し、好評を得るエピソードが描かれました。

 しかし、終盤では日本の敗戦が濃厚になっていた1945年(昭和20年)春に物語が進み、嵩も「辛島健太郎(演:高橋文哉)」も宣撫班での紙芝居制作から、もといた小倉連隊での戦闘任務に戻されてしまいます。そして、敵の攻撃によって駐屯地への補給路が断たれ、嵩たちは朝と夜に薄いお粥しか食べられない生活に追い込まれました。

 やなせ先生の戦時中の飢餓体験が、人に食べ物を分け与えるヒーロー「アンパンマン」の誕生につながったというのはいまや有名な話で、これから描かれる嵩たちの飢えが『あんぱん』のなかでも一番重要なパートと言えるかもしれません。ただ、ドラマでは改変が加えられています。やなせ先生が地獄のような体験をしたのは、上海とそこに至るまでの道程でのことでした。

 1945年5月、日本軍は福建省や浙江省にいた部隊を決戦に備えて上海に移動させます。大砲などは船で輸送されましたが、兵たちは重装備で毎日40kmの行軍をすることになりました。

 あまりの重さに耐えかね、やなせ先生はマラリアをもつ蚊を避けるための蚊帳や、手りゅう弾を捨てることにします。途中、中国軍の敵襲を何度か受け、迫撃砲による攻撃もあったそうです。

 そして、部隊は1か月ほどの行軍で上海の近郊にたどり着きますが、そこでやなせ先生はついにマラリアにかかってしまいます。ひどい高熱で2週間ほど寝込むことになりましたが、やなせ先生は行軍中にかかって倒れていたらその場に置いて行かれていただろうと、幸運にも感じたそうです。

 さらに、海路で運ばれてくるはずだった大砲は船が敵の攻撃で沈んだため届かず、やなせ先生たち砲兵部隊はやることがなくなってしまいます。その後、長期戦になると見込まれていた上海決戦に備えて「食料を倹約せよ」と指令が出され、兵たちは『あんぱん』で描かれたように朝晩の薄いお粥しか食べられなくなりました。

 そのため、やなせ先生はゆでた野草やタンポポ、上官が茶を飲んだ後の茶がらまで食べたそうです。本部にしていた上海郊外の小運河には魚もいましたが、寄生虫が怖くて食べられません。要領のいい一部の兵隊が現地の人から食料を買っていたほか、長野県出身の部隊は蛇や虫を食べていたとのことですが、やなせ先生は真似できなかったそうです。

 ここで、やなせ先生は「食べる物がないことがどんなに辛くて情けないか」と、骨身にしみて感じたことを振り返っています。そして、3年ほど籠城する予定だったものの、結局上海での決戦は行われず、やなせ先生たちが到着して2か月ほどで日本は戦争に負けました。

『あんぱん』の嵩たちは福建省からは動かないようですが、すでに発表されている58話のあらすじや、『あんぱん』のドラマガイドブックを見る限り、食糧難のほかさまざまな悲劇が描かれます。第12週の中盤以降も目が離せません。

参考書籍:『ぼくは戦争は大きらい ~やなせたかしの平和への思い~』(小学館 著:やなせたかし)、『アンパンマンの遺書』(岩波書店 著:やなせたかし)、『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋 著:梯久美子)

(マグミクス編集部)

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