バルセロナ五輪マラソン銀メダルの森下広一に待ち受けていた「抜け抜け病」の試練「40km走で女子に抜かれていた」
現在はトヨタ自動車九州の監督として、自身の経験を選手たちに伝えている 写真提供/トヨタ自動車九州【不定期連載】五輪の42.195km レジェンドランナーの記憶.5森下広一さん(後編)
陸上競技のなかでもひときわ高い人気と注目度を誇るマラソン。五輪の大舞台で世界の強豪としのぎを削った、個性豊かな日本人選手たちのドラマは、時代を越えて人々の心を揺さぶる。
そんなレジェンドランナーの記憶をたどる本連載。今回は1992年バルセロナ五輪で、日本男子マラソン史上2人目の銀メダルを獲得した森下広一さん。輝かしい栄光を残した一方で、その後の競技生活は苦難の連続で、マラソン出場はわずかに3回、バルセロナが最後となった。
全3回のインタビュー後編では、バルセロナ五輪の激闘と、その後に迎えた試練、そして現在、実業団の監督として選手たちに伝えていることを聞いた。
【不定期連載】五輪の42.195km レジェンドランナーの記憶】
【今でも1位になれなかったのかなと考えることはある】
1992年8月9日、バルセロナ五輪の男子マラソンは超スローペースで始まった。ところが、中間点でペースアップすると、そこからは次々に選手が脱落していくサバイバルレースとなった。
34km付近からは森下広一(旭化成)と黄永祚(韓国)のマッチレースとなり、森下は歯を食いしばり、気合いの入った形相で黄と並走した。
「このままついていって、最後のトラックで勝負しようと思っていました。(五輪選考レースの)東京国際マラソンを思い出しながら、このまま行けばいけると感じていました。でも、モンジュイックの丘を上りきって、『ふぅーっ』とホッとした表情をした瞬間、黄選手と目が合ったんです。弱い顔を見せてしまったと思いました。それが相手を勢いづかせてしまったようでした」
モンジュイックの丘を上りきると、黄はそこからの下りで一気にスパートをかけて、森下を突き放しにかかった。
「あんなところに下りがあるなんて聞いてないよと思いました(苦笑)」
その下りは、旭化成の先輩である谷口浩美が事前に勝負ポイントとして挙げていた下りだった。谷口がそう考えたのは、1992年3月に下見で行った際、ほぼ同じコースを練習でジョグしていたからだった。
1991年の東京世界陸上で優勝し、いち早く五輪代表に内定していた谷口は試走を行なっていたのだ。当時、森下も谷口に同行していたのだが、まだ代表に決まっていなかったためコースを走らず、その下りの重要性を理解できていなかった。
「私は知らなかったので、教えて欲しかったなぁと思いました(苦笑)。最後、スタジアムに入るところの上りで追いつきたかったんですけど、そこまででかなり差が開いていたので厳しかったです」
黄はガッツポーズでゴールすると、その場に倒れ込み、担架で運ばれた。2位の森下もゴール後、そのまま倒れてしばらく立ち上がれなかった。夏のバルセロナは、かくも厳しくタフなレースになった。
「今でも1位になれなかったのかなと考えることはありますよ。でも、当時はそこまでの悔しさを感じませんでした。(うれしさと悔しさで)気持ちは半分半分でしょうか。有森(裕子)さんと同じ順位でゴールできて、これでなんとか日本に帰れるなと思っていました」
女子がメダルを獲ったので、手ぶらで帰るわけにはいかない。そんなプレッシャーも抱えてレースに臨んでいたが、男子のレースは数日前の女子のレースをなぞるような展開だった。中間点を過ぎてレースが動き、終盤の下りで相手に前に出られて銀メダル。レース後に顔を合わせた有森には「なんで、同じようなレースしてるの?」と言われた。
森下には、銀メダルを獲得できたこと以外にもうひとつうれしいことがあった。
「谷口さんが8位、中山(竹通)さん(ダイエー)が4位と、日本の3人が全員入賞したんです。それはうれしかったですね。ただ、中山さんは(最後のトラックで)5000mのスタート地点がゴールだと勘違いして『3位だ』と喜んでいたら、まだ先があることに気がついて、残り200mでドイツの選手に負けてしまい、『間違えちゃったよ』と苦笑いしていました」
男女のマラソンで銀メダルを獲得したことで、日本国内は大きな盛り上がりを見せた。「おめでとう」の声が広がり、森下も帰国後にたくさんの取材を受けた。だが、世間の主役は銀メダリストではなかった。
「(22.5km地点の給水で転倒した)谷口さんの『こけちゃいました』が大きく報道されて、私の銀メダルは霞んでいました(笑)。谷口さんはいつも私の上にいるんです。東京世界陸上のマラソンで金メダルを獲り、バルセロナでは私が谷口さんに勝ったけど、結局、話題を持っていかれて。何をやっても谷口さんにはかなわない(笑)。それもあって、銀メダルを獲っても天狗になることはなかったです」
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1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。