欧州ファーストの日本外交に未来はあるか
7月30日に『地政学理論で読む多極化する世界:トランプとBRICSの挑戦』という拙著を上梓した。「多極化する世界」の観点から、トランプ大統領のアメリカと、BRICS有力国(ロシア・中国・インド)の現状やBRICS拡大の意味を分析したものだ。
欧州については、序章のほんの数ページで、「衰退」という描写で、ふれた。BRICS諸国の台頭と、アメリカの生き残り戦術の格闘の姿の裏返しが、欧州の衰退だ、という認識である。残念ながら、日本も同じ「衰退」グループにいると言ってよい。かつて経済大国だったが、低経済成長が常態化し、国力の相対的低下が著しい。対テロ戦争中のアフガニスタンやイラクやリビアなどにおける問題行動や、現在進行形のガザ危機への低劣な対応などから、道徳的権威の失墜も著しい。
しかし、日本では、欧州に未来への希望を託し、日本と欧州が同盟関係を結んで世界を主導するべきだ、と主張する方々がいらっしゃる。SNS等を通じた活動で、「ウクライナ応援団」と称される集団を率いる国際政治学者の方々だ。ほとんどが、欧州諸国の外交や欧州地域機構を専門研究分野にした方々である。欧州に留学して学んだ経験を持ち、継続的に欧州の研究者層との親交を持っている方々である。
もちろん欧州諸国は総じて日本に友好的である。日本と欧州諸国はアメリカという共通の軍事同盟国も持っている。日本は、欧州の有力国とはG7を通じた継続的な協議体制も持っている。関係を発展させて悪いことは何もない。
他方、日本と欧州が軍事的協力関係を深めると、何か意味のある大きな出来事が起こるかと言えば、かなり怪しい、私は感じている。「日英同盟の復活!」などと言ったことが一般向けネット記事の見出しになったりすることはある。だが、120年前の大英帝国は、東南アジアを含む世界各地に植民地を持つ大海軍国であった。大日本帝国は、極東におけるロシアの南下政策を抑え込む政策目標に対して不可欠の役割を担いうる北東アジアの軍事大国であった。今日のイギリスとかつての大英帝国は、そして今日の日本とかつての大日本帝国は、全く異なる国であると言ってよい。120年前の中国と、現在の中国が、完全に異次元の国力を持つ二つの国であることも言うまでもない。同じ名称の「日英同盟」なるものを推進してみたところで、それによってもたらされる効果は、120年前に期待できたものとは、全く異なる。この事情は、他の全ての欧州諸国にあてはまる。
ロシアのウクライナ全面侵攻時に首相を務めていた岸田文雄氏は、「欧州大西洋の安全保障とインド太平洋の安全保障の一体化」といった言い方を好み、ロシアに対する制裁に参加し、ウクライナへの大規模支援を推進した。日本が、ロシアに対するウクライナの勝利に最大限の貢献をすることが、東アジアの平和をもたらす、といったレトリックが好んで用いられた。
政府が正確な数字を公表しないため、完全には言いえないが、これまでの断片的な情報提供の様子から、全面侵攻以降、日本はウクライナに120~150億ドルの資金提供をしていると考えられている。2024年だけで45億ドル(約6,600億円)を提供していることが、ウクライナ政府側からの発言でわかっている。2025年度(令和7年度)政府案における外務省およびJICAを含む無償資金協力の全体予算は1,514億円なので、いかに巨額の資金がウクライナに優先して配分されているかがわかる。もちろんウクライナ向けの支援に円借款の有償資金協力が相当に含まれているので、こうした計算が成り立つ。ただウクライナが投資先として有望であるかは微妙であり、最悪の場合には財政破綻したウクライナ政府の債務取り消しに協力しなければならないことが折り込み済になっていることも、明らかになっている。
2022年ころに、私は「欧州大西洋の安全保障とインド太平洋の安全保障の一体化」とは何なのかについて少し研究をしてみようと考えたことがある。その観点から、日本は特に黒海に面した港町オデッサを重視すべきだ、といったことを書いたこともある。しかし、驚くべきことに、「欧州大西洋の安全保障とインド太平洋の安全保障の一体化」を唱える実務家層も学者層も、それが政策論として何を具体的に意味しているのかを精緻化することには、全く関心を持っていないことが、やがてわかってきた。誰もそのようなことを研究しようとはしていなかった。ただ単に印象論的なスローガンとして存在していただけだった。
「ウクライナは勝たなければならない」「ロシアは負けなければならない」というスローガンは、「欧米諸国がロシアに勝てば、欧米諸国の覇権体制が続き、欧米諸国はロシアと中国を抑止できる」という、かなり抽象的なイメージ論によって成り立っていた。その後、トランプ大統領の登場によって、アメリカが「ウクライナは勝たなければならない」「ロシアは負けなければならない」主義から抜けてしまった。そのため、日本と欧州諸国だけでロシアに勝利し、それを通じて中国も抑止する、といった話になった。
私は「ウクライナは勝たなければならない」言説に、一貫して批判的である。達成困難な目標を設定し、「これを達成すればついでにアジアも平和になる(達成できなければアジアは平和にならない)」とその場限りの主張をしてしまったら、やがてどんどん自らの首を絞めるように苦しくなっていくことが必至だからだ。(拙編著『The Impacts of the Russo-Ukrainian War: Theoretical and Practical Explorations of Policy Agendas for Peace in Ukraine』でも、私は「均衡」を重視した欧州の安全保障の姿を模索すべきことを書いている。)
どうやってGDP260%の債務を抱えた日本が、欧州ファースト路線で、ユーラシア大陸の反対側の隅に位置する衰退諸国との連携などを基盤にして、あとは精神論だけで、北東アジアの安定を達成していくことなどができるのか。
率直に言って、謎である。
日・ウクライナ首脳会談 令和7年6月 石破首相とゼレンスキー大統領 内閣広報室より
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