吉沢亮「確実に、今までの役者人生の集大成になった」 映画「国宝」原作者・吉田修一も「奇跡」と絶賛〈日曜日の初耳学きょう出演〉
17日放送の「日曜日の初耳学」(TBS系・午後10時)に、俳優・吉沢亮がゲスト出演。映画「国宝」の舞台裏を語る。「国宝」の主演を務めた吉沢亮と、原作者・吉田修一が作品について語った記事を振り返る(この記事は「AERA DIGITAL」に2025年6月9日に掲載されたものの再配信です。本文中の年齢、肩書等は当時のもの)。
【写真】「(横浜)流星には負けない、というモチベーションが生まれた」と吉沢亮さん
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歌舞伎役者の半生を描いた吉田修一さんの同名小説を、李相日監督が映画化した「国宝」。稀代の女形・立花喜久雄を演じた吉沢亮さんと、吉田さんが作品について語り合った。AERA 2025年6月9日号より。
──吉沢さんにとって、「歌舞伎」や「女形」というものの印象は、役を演じる前と後では変わったのだろうか。
吉沢亮(以下、吉沢):この役をいただく前も何度か歌舞伎を観に行く機会はあり、観ている時も「美しいな」と感じていたことはありました。ただ、一般的に考えて男性に「美しい」という感情を抱くことってなかなかないですよね。「魅了される」という領域までもっていくって相当なことだな、と演じてみて改めて気づかされました。
歌舞伎ではある種の「型」が大事にされるわけで、ごまかしがきかない。映画やドラマでのお芝居と違い、「上手ではないけれど味がある」というものが通用しないんですね。基礎を極めた先にしか本物が生まれない、というか。
吉田修一(以下、吉田):確かに、歌舞伎において「味がある」という表現は聞かないですね。
吉沢:「極める」というのはこういうことなんだな、と。
なぜいま歌舞伎なのか
吉田:今後、海外の記者たちから「なぜいま歌舞伎なんですか?」「なぜ女形を?」といった類いの質問を受けることもあると思います。改めて考えると、歌舞伎が生まれた400年以上も昔から「男性が女性役を演じる」という、ジェンダーの問題に向き合っていた人たちって世界でも稀だと思うんです。遥か昔からこうした問題に向き合ってきた人々の物語でもあると思うので、ジェンダーについて議論が交わされるいまの時代にはぴったりなのではないかな、という思いもあります。
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日本にはそうした人々が昔からいて、いま吉沢さんが仰った「型」を作ってきた、という大きな流れのある物語をこの時代に撮ってもらっているのは凄いことだな、と。
吉沢:(「アデル、ブルーは熱い色」などで知られるソフィアン・エル・ファニによる)カメラワークも本当に面白かったですね。手持ちのカメラによる寄り映像も多く、喜久雄を演じていても、周りをぐるぐると移動しながら撮られていたことを覚えています。
吉田:「二人道成寺」を踊るシーンでは素早く着替えるなど準備をしている様子も見ることができて、歌舞伎ファンは震えがくるんじゃないかな。
積み重なった「奇跡」
吉沢:いいですよね、海外の方に撮ってもらう意味が詰まっていて。「歌舞伎」というものを定点から撮ることはせず、客席から観る舞台とは明らかに異なる視点で映し出していた。見事だなと思いましたし、「映画」として観た時にそこが面白いなと。
──吉沢さんにとって「国宝」はどんな存在となったのか。また吉田さんが感じた、映像化される喜びとは。
吉沢:確実に、今までの役者人生の集大成になった作品だと思います。「集大成」という気持ちは、撮影に入る前から持っていました。それくらいの覚悟でやらなければ李監督には太刀打ちできないと思いましたし、通用しないだろう、と。大変な、つらい現場ではありましたけれど「お芝居をする」という意味ではこれ以上にないくらい、贅沢で幸せな空間だったと思います。
吉田:いまお話を伺っていて、頭に思い浮かんだのが「奇跡」という言葉です。色々な方との出会いがあり、李監督がいて、吉沢さんがいて、そして吉沢さんがここまで思い入れをもって臨んでくださった。奇跡が積み重なり、自分が想像していた以上のものができたのだと思います。いまは「感謝」の気持ちが大きいです。
(構成/ライター・古谷ゆう子)
※AERA 2025年6月9日号より抜粋
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