長崎・壱岐:4年間島から出なかったALS患者、リハビリ励み応援に…「おかげでおいもこうしえんにこれた」 : 読売新聞
選抜高校野球大会に21世紀枠で初出場した長崎県の壱岐高野球部が22日、壱岐市に戻った。離島という困難な環境を乗り越え、甲子園出場を果たした選手たち。出迎えた住民からは、ねぎらいや感謝の言葉がかけられた。(西山怜花、田口有香)
同市郷ノ浦町の港には、「感動をありがとう」などと書かれた横断幕やうちわを手にした住民ら約400人が集結。同日夕、選手らが船から降りてくると、「お帰りなさい」「よくやった」などと声をかけた。
横断幕を手に、選手らを出迎える住民ら坂本徹監督は「アルプスからの温かい声援で、のびのびと戦えた。夏は自力で出場できるよう頑張りたい」と感謝を述べ、浦上脩吾主将は「皆さんの応援の中、プレーできた。また夏、皆さんを甲子園に連れて行きたい」と決意を語った。
野球部マネージャー、山口莉愛さん(1年)の母、香織さん(49)は「無事に帰ってきてくれてうれしい。みんなの頑張りに感動した」と話した。
「壱岐高野球部が変えてくれた」
壱岐高の活躍に多くの島民が励まされた。筋 萎縮(いしゅく) 性側索硬化症(ALS)を患う同市の植村真哉さん(44)もその一人。担当医師の光武 孝倫(たかみち) さん(50)は「壱岐高野球部が真哉さんを変えてくれた」と話す。
壱岐の選手を応援する植村さん(手前、甲子園球場で)=社会医療法人玄州会提供壱岐商高野球部だった植村さんは、2015年にALSと診断された。今は平仮名が並ぶ文字盤に視線を送って意思疎通する。外出やリハビリを拒んでいたが、光武さんから応援に行きたいかと尋ねられると「いく」と即答した。
それからはリハビリに懸命に取り組み、避けていた車椅子にも乗るようになった。21年に寝たきりになってから、通院以外で島外へ出るのは初めて。医療スタッフら11人と約10時間かけて甲子園入りした。
光武さんらによると、植村さんは初めての甲子園に「すげえ」と目を輝かせた。興奮した様子でプレーを見守り、試合後は「ようきばった(頑張った)。おかげでおいも、こうしえんにこれた」と感想を伝えた。22日に自宅に戻ると、涙を流しながら「ほんなごて(本当に)ありがとう」と感激した表情を浮かべたという。
光武さんは「壱岐高の甲子園出場が真哉さんの生きる希望になった。観戦中は満足そうな表情が見られた」と喜び、「甲子園に行った経験は真哉さんの自信になる。これからも挑戦をサポートしたい」と語った。