大牟田高駅伝部、選手の9割が集団転校…全国高校男子駅伝5度優勝の名門
全国高校男子駅伝で5度の優勝を誇る強豪校の福岡・大牟田の選手が、4月に鳥取城北へ集団転校することが4日、スポーツ報知の取材で分かった。赤池健ヘッドコーチ(HC、52)の降格を決めた学校の対応に反対した選手の大部分が、赤池氏が4月から監督として就任する鳥取城北に転校する事態となった。
青学大の太田蒼生(4年)ら好選手を輩出した名門の大牟田が揺れている。関係者の話を総合すると、昨年11月、学校側は選手や保護者に対し、25年度からOBで元コニカミノルタ監督の磯松大輔氏(51)が監督に就任し、実質的な監督で、HCだった赤池氏を磯松氏のサポート役に降格する方針を伝えたという。その後、赤池氏は鳥取城北の監督に転職することを決めた。
赤池氏は監督を務めていた21~22年に体罰を行ったとして23年3月に退職した。しかし、選手と保護者は赤池氏の指導を希望。赤池氏は研修を受け「二度と体罰を行わない」という誓約書を提出した上で現場に復帰した。丸刈りに統一されていた頭髪を自由にするなど自主性を重視する指導方針に転換。その結果、成績は向上し、23年は6位、昨年は最終7区まで優勝争いをして2位と躍進した。
関係者によれば、チーム状況が上向いていた中で指導体制を変えることを決めた学校側に選手と保護者は反対。撤回を求めたが、覆ることはなかったという。各選手が保護者と話し合った結果、現1、2年生(新2、3年生)19人のうち、主力選手をはじめ約9割が赤池氏の指導を受けることを希望し、鳥取城北への転校を決断。大牟田に転校届を提出した。
スポーツ報知の取材に、赤池氏は「生徒が保護者と話し合って決断したことを尊重します。転校を決めた生徒とは鳥取城北に在籍している生徒と一緒に頑張りたい。大牟田で競技を続けることを決めた生徒も頑張ってほしい」と話した。
全国高校体育連盟の規定では、転校後、6か月(水泳は1年)は同連盟の主催大会に出場できない。そのため夏の全国高校総体は不参加となるが、秋の県高校駅伝、冬の全国高校駅伝には出場できる。昨年の鳥取県大会は米子松蔭が優勝し、鳥取城北は2位だった。大牟田からの集団転校によって、鳥取県、さらには全国の高校駅伝の勢力図が大きく変わることになりそうだ。
◆大牟田 1919年、大牟田職業学校として創立。53年から現校名。全国高校男子駅伝には59年に初出場し2位に。75年に初優勝。その後、76、88、91年、2000年と計5回優勝。今年の箱根駅伝では4区区間賞の太田蒼生(青学大4年)、2区7位の馬場賢人(立大3年)、5区10位の山口翔輝(創価大1年)、9区10位の山口廉(日体大4年)ら高校別で4番目に多い7人のOBが登録メンバーに入った。所在地は福岡・大牟田市。
◆鳥取城北 1963年創立。相撲部は全国有数の強豪。OBは元横綱の照ノ富士、幕内の尊富士、伯桜鵬ら。全国高校男子駅伝には8回出場(最高は23年30位)。昨年の県大会は2位。今年の第101回箱根駅伝では8区16位の岩田真之(城西大3年)と6区19位の山口月暉(るな、日大3年)が登録メンバーに入った。所在地は鳥取市。
◆過去の集団転校 2012年3月に宮城・仙台育英高の1、2年10人(男子7人、女子3人)が愛知・豊川高へ集団転校した。両校は11年3月の東日本大震災によるチームの混乱があったとして全国高校体育連盟に被災地支援の特例を求めたが、11年の全国高校駅伝で仙台育英が上位(男子12位、女子3位)に入っていたことなどから特例は認められないと判断された。転校した選手は同連盟の規定で半年間は同連盟の主催試合に出場できず、12月の全国高校駅伝では男子が優勝、女子が2位と活躍した。
◆「選手ファースト」の視点で考えるべき…記者の目
全国屈指の駅伝強豪校の集団転校は今後、反響が広がることが予想されるが、あくまで「選手ファースト」の視点で考えるべきだ。
これまで通り大牟田で競技を続け、別の指導者の下で競技をするか。
あるいは、これまで通り赤池氏の指導を受け、別の学校で競技をするか。
学校や赤池氏による強制はなく、選手と保護者の判断に委ねられた。その結果、昨年の全国高校駅伝に出場した主力のほか、多くの選手が転校を決めた。規定により夏のビッグイベントの全国高校総体に出られない。それでも転校を決めたということだ。
15~17歳の選手が考え抜いて決断した。転校、あるいは、残ることを決めた選手のいずれに対しても、大人は練習と競技に打ち込める環境を整えるべきだろう。(駅伝担当・竹内 達朗)