人骨にライオンの噛み痕、剣闘士の死因示す初の証拠か 新研究
ライオンと対峙する武人の姿を彫り込んだ紀元1世紀のローマ時代の芸術作品/Gianni Dagli Orti/Shutterstock
(CNN) 英イングランドにある興味深い古代ローマ時代の墓地から回収された1体の人骨は、当時の剣闘士と動物との間で繰り広げられた戦いを記録する史上初の物理的な証拠かもしれない。新たな研究から明らかになった。
人骨の男性は死亡時の年齢が26~35歳。骨盤にはネコ科の大型動物(恐らくライオン)による噛(か)み痕が残されている。男性は今から1825~1725年前に死亡し、現在のイングランド北部ヨークに埋葬された。関連する論文が23日、科学誌プロスワンに公開されている。
ヨークの歴史保存に携わるヨーク考古学トラスト所属の考古学者らは、当該の人骨をドリッフィールド・テラスから回収した。彼らは現地を剣闘士の墓地と考えている。
現地はヨークから伸びる古代ローマの街道沿いにあり、壮健な若い男性の人骨82体が発見されたのを受け、墓地と認定された。その経緯を題材に、2010年には埋葬された剣闘士にまつわるドキュメンタリーも制作された。
古代ローマ人は、人間同士の戦いに加えて人間と動物の戦いも芸術作品や歴史叙述の形で記録してきた。しかし剣闘士が他人を楽しませる目的でそうした戦いに臨んでいたことを示す物理的な証拠は乏しいと、今回の論文の著者らは指摘する。
アイルランド・メイヌース大学の人類学教授、ティム・トンプソン氏は声明で、「この発見は、そうしたイベントが当時実際に開催されていたことを示す直接的かつ物理的な証拠となる。現地におけるローマ時代の娯楽文化について、我々の認識を再構築してくれる」と述べた。
今回の発見が浮き彫りにするのは、ローマ帝国の広範な影響がイングランド全土に及んでいた事実だ。他国から持ち込んだ動物が登場する剣闘士の闘技場は、遠いローマのコロッセオで展開していた文化及び生活様式の一部を形成していた。
不可解な発見を再検証
当該の地域で建設工事前の考古学的検証が行われた2004年、研究者らはドリッフィールド・テラスの墓地を発見した。埋葬された男性らの遺骨の多くには鍛錬や外傷、回復した傷、斬首のような風変わりな埋葬儀式の証拠がみられる。歯のエナメル質の分析から、男性らは各地のローマ帝国の属州から広範囲にやって来ていることも分かった。
墓地並びに埋葬された人骨に関して研究者らが幅広い研究を行う中、一つの謎が浮かび上がった。ある人骨の骨盤に、肉食動物の噛み痕を思わせるへこみが生じているのだ。
新たな研究の一環として、研究者らは当該の痕跡の3Dスキャンを作成。様々な肉食動物の噛み痕と比較した。そうしたところ、これらの痕はネコ科の大型動物、恐らくライオンに由来するものだということが分かった。
「噛み痕はライオンによってついた公算が大きい。そのことから墓地に埋葬された人骨は、当初考えられていた兵士や奴隷ではなく剣闘士だったと確認できる。つまり骨考古学上初めて、人間と大型肉食動物によるローマ世界の戦闘もしくは娯楽を舞台とした相互作用が確認できたことになる」。声明でそう語るのは、ヨーク大学考古学部の骨考古学講師、マリン・ホルスト氏だ。同氏が責任者を務める「ヨーク骨考古学」は人骨の発掘、分析、報告に特化した活動に取り組む。
当該の男性の骨をさらに分析すると、男性は幼少時の栄養失調状態から回復していたことも分かった。しかし重い荷物を背負い過ぎたため脊髄(せきずい)に問題を抱え、肺と大腿(だいたい)部に炎症を患ってもいた。
男性は獣に立ち向かう剣闘士、ベスティアリウス(闘獣士)だった公算が大きい。その役割は志願者や奴隷が果たしていた。
「(剣闘士たちは)有名になって、金で自由を買うことも可能だった。今我々は、彼らが暮らしていた複雑な社会に関する知見を深められる」「闘技場の中で、武器を持った人間が命を懸けて戦う。人間と動物の戦闘でどちらが勝利するのか、結果は予測のつかないものだったと想像できる」。ユニバーシティー・カレッジ・ダブリン考古学部のバリー・モロイ准教授はそう指摘する。同氏は今回の研究に関与していない。
剣闘士たちは当時のアスリートと目されており、剣闘士たちの所有者は彼らの勝利を望んでいた。勝利すればまた戦うことができるからだと、論文著者らは指摘する。ライオンに噛まれた傷が治癒することはなかったため、当該の男性はそれが原因で死亡し、その後頭部を切断されたと考えられる。頭部切断はローマ時代の一部の人々にとって埋葬の儀式ではあったが、研究者らの見解によれば当該の男性の頭部切断はライオンに噛まれた後、これ以上苦しませない目的で行われたものだという。
とはいえ、剣闘士の闘技場やライオンが、一体どのようにしてはるばるイングランド北部までやって来たのだろうか?
古代の娯楽の中心地
剣闘士らがある時は同じ剣闘士、またある時は獣と格闘するその姿は、古代のモザイク画や陶磁器に描かれ、人々の記憶に刻まれた。戦いの舞台として思い浮かぶローマのコロッセオは、「古代世界におけるウェンブリー・スタジアムの格闘版だった」と、ヨーク・アーケオロジーの最高経営責任者(CEO)、デービッド・ジェニングス氏は語る。ヨーク大学考古学部の博士研究員でもある同氏は、今回の新たな調査に参加していない。
しかしそうした野蛮な娯楽イベントは、ローマ帝国の中心領域から遠く離れて拡大していた。帝国支配下のヨークにも円形闘技場が存在した公算は大きいが、前出のマリン氏によれば、これまで該当する施設が発見されたことはないという。
ヨークの起源となるローマ時代の都市エボラクムは、紀元後71年に要塞(ようさい)として建設された。その後も兵士たちは古代ローマ時代が終わりを迎える5世紀初頭まで現地に残っていたと、論文の著者らは述べている。研究者らによれば、剣闘士が登場する闘技場でのイベントは現地で4世紀まで催されていたと考えられる。というのもこの都市には身分の高い将軍や為政者が数多く訪れていたからだ。その中の一人、コンスタンティヌス帝は西暦306年、現地の駐屯軍団により皇帝に推挙されている。
新たな発見が示唆するように、当時のブリテン島は絶頂期のローマ帝国の慣習、制度と十分に統合していた。ローマ人の娯楽が帝国全土に広まっていた証拠も見つかっていると、カナダ・オタワのカールトン大学でギリシャ・ローマ研究を専攻するジャクリン・ニール准教授は指摘する。ニール氏は今回の研究に関与していない。
剣闘士が戦ったライオンは、しっかりと構築された供給ルートに沿って運ばれてきた公算が大きい。大量のワインやオリーブオイル、穀物もまた、このルートを経由して欧州全土や地中海からヨークへ輸送されただろう。ヨークにはローマ帝国の軍団兵の拠点があったからだ。キングス・カレッジ・ロンドンで考古学と古典を専攻するジョン・ピアース助教授はそう述べた。同氏は今回の論文の共著者を務める。ライオンのようなネコ科の大型動物は北アフリカで捕獲した後、海と河川のネットワークを経由して運搬。最後はロンドンからヨークまでの街道を通って運んだとみられる。
人骨に残るライオンの噛み痕は、「我々のローマ時代の過去を浮かび上がらせる重要な役割を果たしている」と、ピアース氏は声明で語った。
カールトン大学のニール氏は、「古代ローマ人を全く別世界の人々と捉えないことが重要だと強く思う。彼らは死を非常に身近に感じており、現代を生きる北米人の大半と比較すればその差は歴然だが、かと言ってできるだけ多くの人間を殺してしまおうなどと考えていたわけではない」「ローマ人の文化が強調するのは、人間による自然の支配だ。私にとって獣狩りは、そのような支配を劇場的に再現したものに思える。つまりローマ人は獣狩りを通じ、自然に対する人間の優越感を強化していたということだ。観客までもが、そうした感覚を味わっていた」と分析した。