襲うコロナ禍 途絶えた心臓移植 「息子にはもうご縁が……」 家族の苦悩/2
小学3年生で重度の心臓病が発覚した中園瑛心さん(14)=西日本在住=は、心臓移植以外に生きる道がなく、その年末に小児用補助人工心臓「エクスコア」の導入手術を受けた。
医師は移植までの目安を「1年~1年半」と告げたが、新型コロナウイルスの感染拡大が災いし、瑛心さんと中園さん一家は苦境へと追い込まれていく。
前を向くことが困難な状況で、いかに希望をつないだのか――。
※連載「つながれた、いのち――国内心臓移植待機の現実」の2回目です。【倉岡一樹】
コロナ禍の余波で臓器移植が激減
新型コロナウイルスの感染拡大の余波をもろに受け、入院する病院の面会時間が短縮された。午前10時~午後3時か午後3~8時の2部制となった。
瑛心さんは週3回、午後1時半~同3時半の間に訪問教育を受けていたことから、母のみどりさん(47)は午前10時に病院へ向かい、午後1時半に帰宅するのが日課となった。午前中に面会へ向かうと時間に若干の余裕ができ、家庭生活と問題なく両立できた。
ただ、週に一度だけ、午後に病院へ向かった。みどりさんのスマートフォンを使わなければオンラインゲームをできない瑛心さんが「生活に余裕のある午後に来てほしい」と頼み込んだからだ。
「毎日が苦痛だった。ゲームで現実逃避をするだけだった」。瑛心さんはあまりに苦しい現実から目を背けるため、ゲームの世界にのめり込んだ。
そんな我が子を、みどりさんは「かなりの我慢を強いてしまい、コロナ禍でストレスも随分たまってしまっていたから、望みは聞いてあげたかった」とおもんぱかった。
しかし、感染拡大が止まらず、面会はその後1時間だけになり、やがて全面禁止に。移動も規制され、院内にあるコンビニエンスストアへ買い物に向かうことはおろか、廊下に出ることさえ禁じられた。
入院して初めて迎えた瑛心さんの誕生日に家族が駆けつけることもかなわず、医師や看護師らから祝ってもらった。みどりさんが瑛心さんに渡していたのは、子ども用の携帯電話。テレビ電話をできないため、顔を見ることもできなかった。
ただ、保護者が月、水、金曜日と週に3回、洋服の入れ替えに行くことを許されていたため、そのタイミングでみどりさんのスマホを看護師経由で瑛心さんに手渡してもらい、自宅にいる3歳上の姉と2歳下の妹と電話をつないで我が子の気を紛らわせた。
感染拡大は、移植医療にも大きな影響を及ぼした。
18歳未満の脳死患者からの臓器提供数が2019年の18例から20年は7例、21年は4例と急ブレーキがかかってしまった。入院する病院での心臓移植手術も20年春以降は途絶えた。そのことを、みどりさんは医師から聞いていた。
「心臓移植が動いている気配が全く感じられなかった。もう、瑛心にご縁は来ないかもしれない」
諦めにも似た気持ちが芽生え始めた。
起きるべくして起きた“事件”
孤独に闘う瑛心さんは不安や寂しさを抱え、気力を失いつつあった。全てに投げやりになり、いら立ちも募った。
そして、ついに“事件”が起きる。
入院しておよそ半年のタイミングで、瑛心さんの言葉遣いが乱暴になり、看護師をひっかいたり暴れたりと行動も荒れ果てた。鬱積したストレスが風船のようにはじけてしまったのだった。みどりさんには病院から幾度も電話がかかってきた。
「お母さん、どうしたら瑛心を何とかできるんですか……」。医師や看護師らの悲鳴にも似た声は、瑛心さんの苦しい心の内をも物語った。みどりさんはただ、謝ることしかできない。
「頑張っているのは分かるけど、やることはきちんとやって! 看護師さんに手を上げるのは間違ってるでしょ!」
面会できないため、瑛心さんに電話で説教せざるを得ない。しかし、「のれんに腕押し」のような答えが返ってくるだけだった。
瑛心さんはこの時期のことを、ため息交じりにこう振り返る。
「モヤモヤした気持ちを言葉で表現することができず、すごく苦しかった。もう思い出したくもない」
やる方のない不安や苦しみに襲われ、先も見えない。暗闇の中にいるようで、ただ、苦しかった。
みどりさんは瑛心さんをなだめるため、ゲームのソフトを買い与えた。「新作に熱を上げると、おとなしくなるから」という苦渋の選択だった。瑛心さんの察するに余りある胸中を理解できるだけに、顔を見て話せないもどかしさが歯がゆく、申し訳なさも募った。
「瑛心が、『ぐだぐだ』になってしまった。入院のターニングポイントだった」
そんな状況でも、医師や看護師は諦めず、親身になって瑛心さんをしかっ…