「プーチン氏は戦争やめない」 ウクライナで日の丸まとい孤児支える元プロボクサーの気概

ウクライナ・キーウ近郊の小学校でボランティア活動に従事する高垣典哉さん=2025年5月(本人提供)

2022年2月のロシアの侵攻から3年半が経過したウクライナで首都キーウに住み続け、戦争孤児を支援する日本人男性がいる。大阪府出身で元プロボクサーの高垣典哉(ふみや)さん(59)。キーウでは今月もロシア軍の攻撃で子供を含む多数の死傷者が発生。民間人も標的になる恐れがある一方、戦争長期化によりウクライナ支援への関心は薄れつつある。それでも増え続ける孤児に会うため、日の丸のゼッケンをまとい、各地に足を運ぶ。

開戦直後から慰問

「サポーターの皆さん、大変にありがとうございます。今日は、チョコレートなどのお菓子を持ってきました」

今年5月にキーウ近郊リテーシュの小学校で撮影された動画には、ウクライナ国旗を象徴する青と黄色に日の丸をあしらったゼッケンを着用した高垣さんや他のボランティアと遊ぶ子供たちが映っていた。多くは東部戦線で親を失った孤児だという。

高垣さんは「いまも、行くたびに孤児が増えている」と語る。現地で結婚した高垣さんには同じ年頃の子供がおり、「できれば孤児を引き取りたいぐらいだが、難しい。せめて日本人が来てくれてよかったと思ってほしい」。そうした思いを胸に、開戦直後からロシア軍が撤退した地域などで孤児支援のボランティアを続けてきた。

ロシア軍が撤退した後のウクライナ北部の村を訪れた高垣典哉さん=2022年4月(本人提供)

22年4月に訪れた北部の村には食べ物や歯磨き粉などの生活用品をトラックで運んだが、水も電気もなく、ロシア軍によって電話やインターネット網も切断されていたという。同年7月に訪問した東部ハリコフでは「10分おきに砲弾の音が聞こえた」。

キーウ市民の感覚「まひ」

大阪府守口市出身の高垣さんは高校卒業後、プロボクサーに。その後、米国への留学やロシアでの仕事を通じて知り合ったウクライナ人らが「とても親しみやすかった」と感じ、08年からウクライナに居住。結婚相談事業などを手掛けてきた。

開戦当初、多数の外国人がキーウから避難したが、自身は残った。「妻の親族や、(自身が経営する会社に勤務し)国外に出られない男性社員らを置いていけない」との思いが強かった。

数十キロ先までロシア軍が攻め入り、ゴーストタウンと化したキーウの街中をオンラインで中継した高垣さんの映像は、当時多くの日本のメディアで報じられた。

戦争開始から3年半が過ぎ、キーウ市民らの感覚は「まひしたような、異常な状態」と語る。空爆があっても、人々は街中に出て、いつも通りの生活を続けようとしている。そうしなければ、収入を得られず、生きていけないのだ。

「民間人も狙われる」

今年7月に行われた大規模空爆の際はキーウでも多数の死傷者が出た。「ロシア軍のドローンが飛び交い、まるで大量のラジコンのような音が夜中、鳴り続けた」

「ロシア軍は民間人でも狙う」と高垣さんは指摘する。知人のウクライナ人男性2人は、東部ハリコフで物資を運ぶボランティアの途中、乗っていたバスを銃撃され、一人は両足をなくし、一人は車いす生活になった。

国際社会では停戦を働きかける動きが強まっているが、先行きは全く見えない。ロシア軍は東部で占領地を拡大していると報じられ、前線では激しい戦闘が続く。ロシアのプーチン大統領について「戦争をやめる気はない」と言い切り、「もう少しで停戦かと喜んでは裏切られる状況が、ずっと続いてきた」と吐露する。

ウクライナ・キーウ近郊の小学校でボランティア活動に携わり、子供らと写真におさまる高垣典哉さん(前列中央右)=2025年5月(本人提供)

それでも、日の丸を身につけた孤児支援は続けていく。「ウクライナの人々から『日本人が来てくれてよかった』と思ってほしい。ただそれだけです」。そう言って、前を向いた。(黒川信雄)

関連記事: