大腸菌の遺伝コードを書き換え、どの生命とも異なる合成生物を作成した科学者たち
地球上のすべての生物は、DNAに記された「遺伝コード」に従って体をつくり、生命活動を維持している。このルールは、生物の種類がどれほど異なっていても基本的に共通している。
ところがイギリスの科学者たちは、あえてその普遍的なルールを書き換え、まったく新しい遺伝コードで動く合成生物を生み出すことに成功した。
彼らが設計したのは、大腸菌の遺伝子を根本から作り替えた「Syn57」と呼ばれる合成株だ。
この生物は、従来すべての生物が使っている64種類の遺伝コードのうち、7種類を使わずに生きている。自然界には存在しない、まさに人工の遺伝ルールで動く合成生物を誕生させたのだ。
この成果は、生命が使用する遺伝情報の仕組みが、人為的に再構成可能であることを示したものである。
この合成生物は、非天然アミノ酸の導入やウイルスへの耐性といった応用の可能性も期待されており、合成生物学の実用化に向けた重要な一歩となる。
この研究は『Science』誌(2025年7月31日付)に掲載された。
DNAは、生物の設計図ともいえる分子で、そこにはその生き物に必要なすべての遺伝情報が書き込まれている。
一方、RNAはその情報を写し取り、細胞の中でタンパク質を作るための指示を伝えている。特にmRNAは、DNAの情報を運ぶ「伝令」のような役割を果たしている。
mRNAの中には、「コドン(codon)」と呼ばれる3つの塩基が並んだ配列が含まれている。
たとえば「AUG」のような並びがコドンの一例である。これはアデニン(A)、ウラシル(U)、グアニン(G)という3種類の塩基から成り立っており、この順番によって、どのアミノ酸を使うかが決まる。
この3つの塩基の組み合わせは全部で64種類あり、地球上のすべての生物がこの64種類を使ってタンパク質を作っている。
そのうちの61種類は、アミノ酸を指定するために使われており、残りの3種類は「終止コドン」と呼ばれ、タンパク質の合成を終える合図となっている。
「AUG」は、メチオニンというアミノ酸を指定するコドンであると同時に、タンパク質の合成を始める「開始コドン」としても使われている。
また、同じアミノ酸を指定するのに複数のコドンが使われることも多い。これを「縮退(しゅくたい)」と呼ぶ。
たとえば、体内では合成できない「必須アミノ酸」の一種、トリプトファンは1つのコドン(UGG)だけで指定されるが、セリンのように6種類のコドンが対応しているアミノ酸もある。
この画像を大きなサイズで見るmRNA(伝令RNA)に沿って読み取られる一連のコドンを示した図。各コドンは3つのヌクレオチド(塩基)からなり、それぞれ1つのアミノ酸を指定している。最後の「UAG」は終止コドンで、これによりタンパク質の合成(翻訳)が終了する。Ribonucleic acidはRNAのこと。 public domain/wikimediaこのように1つのアミノ酸に複数のコドンが使用されていることから、「重複を削減しても生命活動に支障が出ないのではないか」、という仮説を立てたのが、イギリス・ケンブリッジにある医学研究会議分子生物学研究所の研究チームだ。
プロジェクトを率いたのはジェイソン・チン博士で、共同研究者のひとりがウェズリー・ロバートソン氏だ。
たとえば、非必須アミノ酸の一つである「セリン」には6種類、筋肉や内臓の材料となる「アラニン」には4種類のコドンが対応している。さらに、タンパク質合成の終わりを知らせる「終止コドン」も3種類ある。
この仮説を検証するため、彼らは実験対象として「大腸菌(Escherichia coli)」を選んだ。
大腸菌は、古くから遺伝子研究に用いられてきた代表的なモデル生物である。細胞の構造やゲノムが比較的単純で扱いやすく、増殖も早いため、遺伝子の大規模な書き換えを行う上で非常に都合が良い。
また、過去にも合成生物学の分野で多く使われてきた実績がある。
しかし、大腸菌のゲノムには、削除対象とされたコドンが何万カ所にもわたって使われている。それらをすべて別のコドンに置き換えるには、極めて精密で根気のいる作業が必要だった。
この画像を大きなサイズで見る10,000倍に拡大した大腸菌群体の低温電子顕微鏡像。個々の細菌は長円型をしている。そこで研究チームは、これらすべてのコドンを、意味は同じだけれど別のコドンに1つずつ置き換えていくという、大がかりな作業を始めた。
置き換えの対象はなんと約10万1000カ所。これらをすべてパソコン上で設計し直し、小さな断片として合成した後、それらを1つの完全なゲノムとして組み立てていった。
こうして、もとの64種類のコドンのうち7種類を削除した、特別な大腸菌「Syn57」が誕生した。
コドンの数を減らしたことで、細菌の働きにどんな影響が出るのかは未知数だった。途中で成長が止まってしまったり、まったく動かなくなる可能性もあった。
だが研究チームは、コドンの順序を微調整したり、細菌を進化させることで問題を乗り越え、ついに57種類のコドンだけで機能する大腸菌の作成に成功した。
この結果は、「生命の遺伝情報は、ある程度までなら人間の手で書き換えても、生命活動は維持できる」ということを初めてはっきり示した、大きな成果だった。
この技術が実現した意味は大きい。余ったコドンに新しい意味を割り当てることで、自然界には存在しないアミノ酸を組み込むことも可能になる。
つまり、従来の20種類を超えた「拡張型タンパク質」を作ることができるようになるのだ。
この技術は、医薬品の開発、次世代素材の創出、あるいはまったく新しい化学反応の仕組みに応用される可能性がある。
また、もうひとつの大きな利点として「ウイルスへの抵抗力」がある。
ウイルスは宿主細胞の遺伝子装置を利用して自分を複製するが、Syn57のように改変された遺伝コードを持つ細胞では、ウイルスがコードを正しく読み取れない。
その結果、指示が意味不明となり、ウイルスはうまく増殖できないのだ。
「これにより、合成生物から外部へ情報が漏れるのを防ぐこともできる」とロバートソン氏は述べている。
これは、インスリンや酵素、食品添加物などを細菌によって生産している多くの産業にとって、非常に大きなメリットとなる。
この画像を大きなサイズで見る大腸菌のイメージ図 Photo by:iStockこの「Syn57」の誕生は、合成生物学における新たな節目でもある。
2010年には、ジェイ・クレイグ・ヴェンター研究所が世界初の合成細胞を作成したが、それはまだ64種類のコドンをすべて使用していた。
その後2019年には、今回の研究を行ったジェイソン・チン博士のチームが、3つのコドンを削減した「Syn61」を発表。
今回の「Syn57」は、その先を行く成果であり、生命がこれまで経験してこなかったほど深いレベルで、遺伝コードを書き換えた例となった。
現時点では、さらにコドン数を削減する予定はないが、今回の研究は、遺伝子コードは進化で決まった「固定ルール」ではなく、人の手によって再設計し、まったく新しい可能性を開くことができることがわかった。
論文の中で研究チームは、「この成果は、ゲノム合成によって、自然界の生命がたどってこなかった全く新しい領域へと進むことが可能であることを示している」と記している。
もし生物学が一つの言語だとすれば、Syn57はその文法を大胆に書き換えた最初の事例と言える。
生命の設計図を人間の手で書き換えることができるという事実は、興味深いがちょっと怖くもある。
References: Science / Scientists Create Synthetic Organism That Rewrites Life’s Universal Genetic Code
本記事は、海外の情報をもとに、日本の読者向けにわかりやすく再構成し、独自の視点で編集したものです。
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