数学史に残る快挙を成し遂げた男は忽然と姿を消した…「決して近づいてはいけない難問」を解いた数学者の現在 超難問「ポアンカレ予想」をめぐる数学者たちの闘い

ポアンカレ予想の誕生から80年近くが経った1982年、サーストン博士は予想の解決につながることになる、一つの重要なアイデアを発表します。

それはいわば、宇宙がどんな形だったとしても、「最大8種類の形の組み合わせでできているはずだ」という予想でした。

サーストンのアイデア(幾何化予想) どんな3次元閉多様体も、8種類のいずれかの幾何構造をもつ部分に分解できるだろう。

実は、この予想が正しければ、ポアンカレ予想もまた正しいことになるのですが、その説明はとーっても難しいので、割愛させていただきます。

兎とにも角かくにも、世界の数学者たちは、サーストンのアイデアが正しいことを証明しようと動き出すことになりました。

「宇宙がどんな形だったとしても、最大8種類の形でできているはずだ」というサーストンの予想。残念ながら、これを証明できる数学者はなかなか現れませんでした。

しかし、ある日突然、ひとつの証明が誰もがまったく予想しなかった形で登場することになります。

その証明を書いたのは、ポアンカレ予想やサーストン博士の予想を研究する分野ではまったく無名のロシアの数学者グリゴリ・ペレリマンでした。しかも彼の証明方法は、参加していた数学者たちにとって、まったく見たことのないものでした。エネルギーやエントロピーといった物理学の考え方まで用いられていたのです。

証明した後の不可解な行動

ペレリマンの証明はその後、世界中の数学者によって検証され、2006年、証明の正しさが認められることとなったのです。

グリゴリ・ペレリマン(写真=George Bergman/GFDL-1.2/Wikimedia Commons

ところが、この証明はその後さらに数奇な物語をたどることになります。

世紀の難問を解決し、ペレリマンは世界中の称賛を一身に浴びることになりました。そして、数学界のノーベル賞と呼ばれる「フィールズ賞」を受賞することになったのです。

しかし、その授賞式で司会者の口から出たのは、思いもよらぬ言葉でした。

「残念ながらペレリマン博士は受賞を拒否しました」

さらにペレリマンは、クレイ数学研究所が指定したミレニアム懸賞問題の100万ドルの懸賞金の受け取りも拒否してしまったのです。

NHK「笑わない数学」制作班編『笑わない数学2』(KADOKAWA)

それだけではありません。かつては明るく社交的だったという彼ですが、証明を終えた後は、親しい友人とも連絡を絶ち、数学界から姿を消してしまいました。

「この問題は我々をはるか遠くの世界へと連れて行くことになるだろう」

かつてポアンカレが遺したこの言葉を、多くの人々が噛みしめることになりました。

ペレリマンはその後も、大学や研究所には戻らず、論文を1つも発表することなく、ひっそり息をひそめるように暮らしていると伝えられています。

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