衆人環視下、「敵に塩」ならぬバットを贈った阪神・森下翔太 令和の野球ファンは何を思う 鬼筆のスポ魂

試合前、巨人・浅野翔吾(左)にバットを贈った阪神・森下翔太=21日、甲子園球場(林俊志撮影)

「敵に塩を送る」ならぬ「敵にバットを贈る」行為が衆人環視の中で行われたことを、若い野球ファンはどのように受け取るのだろう。球界の傾向とはいえ、昭和の時代からプロ野球を見続けている世代にとっては、そんな光景を目の当たりにすると、どうも違和感が拭えない。

「敵に塩を送る」ということわざは、日本の戦国時代の出来事から生まれたといわれている。越後(現在の新潟県)の上杉謙信が、5度に及ぶ「川中島の戦い」を繰り広げるなど敵対していた武田信玄が治める甲斐(現在の山梨県)の領民が、今川、北条らによる「塩止め」で生活が困窮していることを知るや、日本海側の塩を送った-とされる伝説だ。

もらったバットで先制打

「苦境にある敵をあえて助ける」「目前の得失よりも長期的な利を求める」-などと解釈されているのだが、令和の「川中島の戦い」ならぬ伝統の一戦、21日の阪神-巨人戦(甲子園)では、阪神の森下翔太外野手(24)が試合前の練習中、巨人・浅野翔吾外野手(20)に自らと同じタイプのバットを贈ったのだ。

浅野が高松商3年時に高校日本代表に選ばれた際、大学日本代表の一員だった中大4年の森下と壮行試合で対戦している。そこから交流があり、今回は浅野が頼んだという。

四回、先制の適時二塁打を放つ巨人・浅野翔吾。阪神・森下翔太にもらったバットでさっそく活躍した=21日、甲子園球場(中井誠撮影)

森下仕様のバットを手にした浅野はさっそく、0-0で迎えた四回無死一、二塁で先制のタイムリー二塁打。その後、三走として井上の遊ゴロの間にヘッドスライディングで本塁生還し、「追い込まれていたが、冷静にいけた。阪神に勝ちたかった。気合が入っていました。(バットの感触は)よかったと思います。明日以降もこのバットで」とうなずいた。

昔はこっそりと

実際、相手チームの選手に自らのバットや手袋などを贈ることは40年以上前からあった。ただ、当時の選手は周囲の視線に配慮して、関係者を通じて内密に渡したものだ。関係者やファンが見るかもしれない状況で、これから戦う相手に何かを提供すればさまざまな誤解を生むのでは…と心配したのだが、今はそんな気配り?は無用と失笑されそうな空気感すら漂う。

そういえば、試合中も一塁や二塁に到達した選手が相手野手にやたらペコペコと頭を下げて談笑するシーンが見受けられる。これをマナーがいいとか、スポーツマンシップだとか称賛されることに違和感を持つ。試合で相手を倒す、勝負に勝つ…という闘志と、コミュニケーションをうまく取ることは別物と割り切っているのだろうが、スタンドのファンからすれば、応援する選手が相手と仲良く話している姿を見れば複雑な心境にさせられるのではないか。

お辞儀もダメ

その昔、阪神の村山実監督は選手に対し、グラウンドで相手選手にお辞儀することさえ絶対に許さなかった。ライバルの巨人・長嶋茂雄さんに闘志をむき出しにして挑んでいた現役時代さながらの熱血ぶりだった。

試合前、巨人・浅野翔吾(左)にバットを贈る阪神・森下翔太=21日、甲子園球場(林俊志撮影)

時代は流れ、今は無料通話アプリ「LINE(ライン)」などで、敵味方関係なく多くの選手がつながっている。昔はああだったこうだったと言っても、笑われるのがオチと承知の上で言う。相手チームの選手との交流は、シーズン中はそれなりに周囲に配慮してほしいと願う。グラウンドに一歩でも出れば、そこは戦場…とまでは言いたくないが、ピリピリした空気での真剣勝負は、野球が長く広く支持されている理由の一つには違いないと思う。

【プロフィル】植村徹也(うえむら・てつや) サンケイスポーツ運動部記者として阪神を中心に取材。運動部長、編集局長、サンスポ代表補佐兼特別記者、産経新聞特別記者を経て特別客員記者。岡田彰布氏の15年ぶり阪神監督復帰をはじめ、阪神・野村克也監督招聘(しょうへい)、星野仙一監督招聘を連続スクープ。

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