受験シーズンの「最後の追い込み」は効果アリ…脳科学者が伝授「一夜漬けの内容を定着させるための2つの条件」
記憶力を高めるにはどうすればいいのか。富山大学卓越教授の井ノ口馨さんは「ただやみくもに記憶しようとしても、覚えたことは脳に残らない。脳科学的知見から、記憶が脳に定着するのに効果的な習慣が2つある」という――。
※本稿は、井ノ口馨『アイドリング脳 ひらめきの謎を解き明かす』(幻冬舎)の一部を抜粋・再編集したものです。
睡眠中の脳は何をしているのか
僕がアイドリング脳研究をはじめた2017年の時点で、潜在意識下の脳機能について確実に分かっていたことは、2つだけでした。
1つ目は、睡眠が記憶の定着に重要である、ということ。睡眠が極端に少なかったり睡眠をとらなかったりすると、記憶できなくなります。これは科学的に実証されていたことです。
写真=iStock.com/romrodinka
※写真はイメージです
2つ目は、科学者による大発見など、高次の脳活動にとってアイドリング脳が重要らしい、ということです。これは歴史的な事実が物語ることです。
この2つについては誰も異論がないと思います。しかし、どちらともそのメカニズムについてはほとんど分かっていませんでした。
1つ目の「睡眠と記憶」に関して、僕らが重要な研究成果を出すことができたのは2019年のことでした。『ネイチャー・コミュニケーションズ』で発表したものです(注1)。記憶の研究として進めていたものですが、結果的にはアイドリング脳に結びつく成果となりました。
その内容を少し詳しく紹介しましょう。
40%の記憶が「リプレイ」されている
1つの記憶は、1つのニューロン集団が担います。ところが僕たちが実験してみると、実はニューロン集団はいくつもの亜集団(小さなグループ)に分かれていることが分かったのです。
実験では、マウスを初めて入る四角い部屋に移すなどして、新しい経験をさせます。その瞬間にマウスの脳で活動するニューロン集団を特定してみるのですが、それは亜集団に分かれていたのです。
おそらく、マウスは「四角い部屋」という大枠で記憶しているのではなく、壁の角度や、壁や床の形状などに断片化して記憶しているようなのです。
面白いのは、ここからです。
この断片化された記憶を担うニューロンの亜集団を追跡してみると、40%ほどが睡眠中に再び活動していたのです。これは「リプレイ」とよばれている現象です。40%ほどの記憶の断片が睡眠中に無意識に思い出されていたわけです。
さらに、翌日もう一度、前日と同じ四角い部屋に入れると、睡眠中に活動していた約40%の亜集団が優先的に活動していることも確認できました。
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マウスの脳で何が起こっているのか?
僕らはこれを、睡眠中に、記憶の断片の「選抜」と「定着」が起きた、と考えました。
四角い部屋には多くの情報がありますが、そのうち大事な情報だけを眠っている間に「選抜」し、脳に「定着」させたのです。
起きて、活動している間には選抜・定着は起きません。眠ることが必要なのです。
ここまでで分かっていることを整理すると次のようになります。
・覚えている記憶の断片だけをリプレイしている
僕たちの脳でも、同じことが起きているでしょう。
学習したことは、無数の断片として記憶され、睡眠中に選抜・定着をしていると考えられます。すべてを覚えておくことは、無駄なのかもしれません。コスト・パフォーマンスを上げるため、大事なことだけを選抜し定着させている。そして次にそれらの記憶を優先的に思い出すようにしているのです。
ただ、不思議なのは、どのように選抜の基準を決めているのか、という点です。
一体どうやって重要かそうでないかを決めているのでしょうか? これは未解決ですが、これから明らかになっていくでしょう。
忘れた記憶の痕跡は、脳に残っているか?
脳が大事な記憶だけを選抜し、定着させているなら、「忘れた(と思っている)記憶」は消滅してしまったのでしょうか?
僕たちはそうした記憶の痕跡は、脳に残っているのではないかという仮説を立てました。
脳に蓄えられた記憶は記憶痕跡とよばれますが、これはニューロン集団のことです。神経科学の用語では「エングラム」といいます。忘却した、つまり神経活動が起きないエングラムは「サイレント」であると考え、僕は忘れた(と思っている)記憶の痕跡を「サイレント・エングラム」とよんでいます。ニューロン集団そのものは存在しているけれど、神経活動は起きない状態を意味します。
サイレント・エングラムは脳に残っている、というのがこの仮説です。
アイドリング脳を働かせて、ひらめきを得るとき、それは無から生じるのではなく、膨大な記憶の積み重ねから得られているはずです。しかし、僕たちは通常、多くの記憶を忘れてしまっています。もしくは、思い出すことができません。ということは、思い出せない=一見すると忘れてしまった記憶でも、その痕跡は脳に残っているのではないか、と考えて生まれたのがこの仮説です。サイレント・エングラムがひらめきの“土壌”となっているのではないか、というわけです。
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さて、どうすれば証明できるでしょうか?
こんな実験を考えました。まず、マウスが見たことのない同じ物体を2個用意します。それを部屋の隅にそれぞれ置きます。マウスはその部屋に入ると、見慣れない2個の物体を探索しにいきます。見慣れないものを探索するのは、マウスの習性です。30分後、今度は1個の物体の位置を変えておき、またマウスを部屋に入れます。
するとマウスは先ほどと位置の変わった物体を探索しにいきます。見慣れない場所にあるからです。もともとの位置を記憶しているので、移動したことが分かり、探索するわけです。
では、30分ではなく、24時間後に同じ実験をするとどうなるか? マウスは、移動していない物体も、移動した物体も、同じ時間だけ探索するようになります。もともとの位置を忘れてしまっていて、2個とも新しいものと認識しているのです。
つまり、マウスが探索にかける時間を計測することで、記憶しているか忘れているかがはっきりするという仕組みなのです。ここまでが、準備です。
ニューロン集団を強制的に活動させた結果…
24時間後に、マウスはもとの位置を忘れてしまっていました。
では、記憶の痕跡は残っているのでしょうか? 思い出せないだけで、痕跡は脳に存在しているのでしょうか?
それを明らかにするため、僕たちは、マウスが最初に部屋に入れられたときに活動したニューロンを特定し、光を感じるように改変しました。そして、睡眠を経た24時間後に部屋に入ったとき、そのニューロン集団に光を当てて、強制的に活動させました。
すると、どうなったでしょうか?
マウスは、移動した物体だけを探索するようになりました。
24時間後には忘れているはずなのに(その証拠に光を当てなければ両方の物体を探索する)、ニューロン集団を強制的に活動させたら、“思い出した”のです。サイレント・エングラムは、存在していたと証明されたのです。疑いようのないきれいなデータが得られました。
富山大学アイドリング脳科学研究センター、センター長