「うそだった」石原元都知事の発言 産院取り違え、生みの親捜す20年

毎日新聞 2025/4/17 05:00(最終更新 4/17 05:21) 有料記事 2008文字
幼少期の江蔵智さんの写真(左)と、弟と並んで撮った写真を持つ江蔵さん=東京都千代田区で2025年4月10日午後2時12分、安元久美子撮影

 うそだった。ようやく自分を生んでくれた親に会えると期待したのに――。

 東京都内に住む江蔵智さん(67)は出生時に都立の産院で別の新生児と取り違えられた。「この人の側に立つ」。2005年、当時の石原慎太郎都知事は記者会見で江蔵さんの「親捜し」に協力するかのような発言をした。

 あれから20年。江蔵さんは今も生みの親に会えていない。

 <主な内容> ・「都は情報開示する」はずが… ・「ふざけるな」こみ上げた怒り

 ・自分が何者か「知りたい」

DNA型鑑定で「親子関係なし」

 小学校低学年の頃、盆や正月に親戚で集まると、「お前は両親に似ていないな」といつも言われた。父親も母親も弟も小柄なのに、自分だけが長身だった。

 弟は怒られないのに、自分ばかりが父親から怒られ、両親とは距離を置いたこともある。

 39歳の時、不明だった母親の血液型が判明し、両親と自分の血液型の組み合わせでは親子関係が成立しないことが分かった。母親の浮気を疑ったが、両親は「そんなわけがない」と否定した。

 46歳となった04年、体調不良をきっかけにDNA型鑑定をすると、両親との親子関係が完全に否定された。

 「産院の子どもの取り扱い方が雑だった。取り違えられたに違いない」。母親はそう口にした。

 生みの親に一目、会いたくなった。自分に似ているのだろうか。どんな人生を歩んできたのだろうか。

訴訟の結果で都知事が一転

 出生した都立墨田産院は1988年に閉院していた。取り違えの事実を認めてもらおうと、都にDNA型鑑定の結果を伝えたが、相手にされなかった。

 04年10月、都を相手…

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