〈再特集スペシャル〉36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定
ギフテッドの光と影
過去に話題になった「ギフテッド」の一連の記事を再配信する(この記事は2023年6月18日に「AERA dot.」で掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
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高い知能や、さまざまな領域で特別な才能を有する「ギフテッド」。世間では「天才児」のイメージも少なくない。しかし現実には、さまざまな才能があるがゆえに、周囲との軋轢に悩みながら社会を生きる当事者もいる。吉沢拓さん(36)は小学生時代、算数オリンピックの全国大会に出場し、学校でも前例がないほどの高IQを出した。自由な校風の中高、研究に没頭できる大学時代を経て、社会に出たところ、そこで、会社の上司や同僚との人間関係に絶望するほどの苦難を味わった。その半生を紹介する。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集>
沈黙の全校集会
学校になじめないギフテッドを取材してきたが、会社ではどのような苦労があるのだろうか。そう考えていた時に、出会ったのが吉沢拓さん(36)だった。
ブログやツイッターで情報発信されている吉沢さんは、壮絶な経験をつづっていた。社会人になってから3度の長期休暇、自殺未遂を経験した。周囲との「ずれ」は、自分ができないからなんだ――。そう絶望した中で、自身がギフテッドであると知ったという。ぜひ会って話を聞きたいと思い、取材を依頼した。
初めて吉沢さんと出会ったのは、クリスマスムードに包まれた2022年12月のことだ。勤務先のIT企業は、東京の高層ビルにある。若者でごった返す道をかき分け、オフィスにたどりついた。
無人の受付機で来館の手続きを済ませると、すぐに吉沢さんが駆け寄ってきてくれた。細身の黒いスーツに身を包み、きれいにセットされたパーマヘア。清潔感あふれる姿からは、都会のビジネスパーソンのにおいがした。
「普段はこんな格好しないんですよ」
はにかみながらそう教えてくれた。
苦難の連続である社会人生活の前に、幼少期の吉沢さんについて、まず聞いてみた。
小学校低学年の時は、折り紙に没頭。大人向けの難しい本を見ながら、80センチ四方の紙から巨大な作品を作り上げた。習い事のピアノではソナタを弾けるものの、耳で聞いたものを再現するやり方で、譜面は読めないままだったという。
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そして、小学生の時から、周囲との「ずれ」を感じていたという。算数オリンピックでは全国大会に出場し、出題されたある問題に魅了された。「こんな問題がこんなシンプルな方法で解けた。僕はそれが素晴らしいと思った」と全校集会で報告すると、聞いていた児童たちは黙り込んだ。算数の解き方をうれしそうに力説するものの、その内容は同級生には理解できなかったのかもしれない。
「それが初めて盛大にスベった経験で、すごくよく覚えています」
吉沢さんはそう言って苦笑いする。
小学校で行われたIQテストの結果は、80年の歴史がある小学校の児童でも前例がないほどの高い数値で、母親が学校に呼び出されたという。理解がゆっくりの児童に合わせた授業の進め方が合わず、いつの間にか学校が嫌いになっていた。
「なんとなく、周りとは合わないな、うまくいかないなと思っていました。自分が面白いって思うことを言うと、怪訝な顔をされたこともあります」
そんなことが積み重なり、授業中に教室を飛び出すことが何回もあった。屋上に行って、一人で泣いていたこともある。高学年のころから、学校にはあまり行かなくなったという。
一方で、自分で教材を進める方針の塾ではぐんぐんと吸収していき、10歳で中学の範囲までの勉強を終わらせた。楽しかった塾が居場所となり、模試では全国ランキングに入る点数を取り、表彰された。
自由な中高、楽な大学から一転
中学受験で、校則がなく自由な校風の進学校に合格。数学がおもしろくなくなり、勉強に割く時間は徐々に減っていったものの、数学や物理は自然と点数が取れた。日本史や世界史は苦手だったが、成績は学年の中で真ん中くらい。
「中高の時は、周りに賢い子がいっぱいいたので、会話のレベルがずれるというのはありませんでした。でも、クラスや部活ではなじめない。絡んでくる相手に『なんや!』と神経質な態度で接してしまうこともあった」と話す。