“三越に残るやなせ作品”現役の包装紙レタリング、宣伝部に6年 朝ドラ「あんぱん」で再注目
<情報最前線:ニュースの街から> 「アンパンマン」の生みの親、漫画家やなせたかし(本名・柳瀬嵩)さんと小松暢さん夫妻をモデルにしたNHK連続テレビ小説「あんぱん」(月~金曜午前8時)が今月末、フィナーレを迎える。やなせさんは、大手百貨店・三越の包装紙の屋号のレタリングを手がけたことで知られるが、三越時代の「作品」が先日、かつて在籍した日本橋三越本店の展覧会で初披露された。「あんぱん」の脚本を担当した中園ミホさんは、やなせさんとの思い出を語った。【中山知子】 【写真】「あんぱん」に登場した包装紙も、実際に登場した机とともに展示 ■さまざまな活動 3月31日にスタートしたNHKの朝ドラ「あんぱん」は、今月26日にクライマックスを迎える。やなせさんをモデルにした柳井嵩(北村匠海)と、ヒロインの妻のぶ(今田美桜)を中心に、「逆転しない正義」を体現し、今も多くの世代に親しまれる「アンパンマン」が生まれるまでの物語が描かれている。 ドラマでも、代表作「アンパンマン」で国民的人気漫画家になるまでの間に、デザインや詩人、編集者や絵本作家などさまざまな分野でのクリエーターとして活動したことが描かれているやなせさんだが、今もおなじみの三越の包装紙デザインにかかわったのは知る人ぞ知る話。8月20日から今月2日まで、日本橋三越本店では「やなせたかしと三越」と題した展覧会が開かれ、三越在籍時代に手がけたポスターや社内報の4コマ漫画など、貴重な資料が初めて展示された。 三越のPR担当によると、やなせさんは1947年(昭22)、それまで勤務していた高知新聞社を退職して上京し、28歳の時に三越に入社。配属されたのは宣伝部で、退社するまでの約6年在籍。グラフィックデザイナーとして活動した。 ■デザインから75年 当時の仕事ぶりを象徴するのが、包装紙デザインの一新だ。1950年、日本の百貨店で初めて、オリジナルの包装紙となった「華ひらく」は、洋画界の重鎮といわれた猪熊弦一郎さんのデザイン。白字に、丸みを帯びたさまざまな形の抽象形がちりばめられたデザインは、75年が過ぎた現代も親しまれる。この包装紙に記された「Mitsukoshi」のレタリングがやなせさんの自筆で、猪熊さんのアトリエにデザインの依頼に行った際、「三越の文字は君が描いておいておくれ」と逆依頼されたエピソードは「あんぱん」でも描かれたシーンだ。 やなせさんは包装紙以外にも、三越劇場で上演された舞台のポスターを手がけた。1951年の「シラノ・ド・ベルジュラック」(文学座)や1952年の「喜劇 現代の英雄」(俳優座)など、それぞれがタッチの異なる絵柄。また、社内報に掲載された連載漫画「みつ子さん」も担当し、主人公みつ子さんをめぐる話をコミカルに描いた。やなせさんが描いた多数の「挿絵」も、残されているという。 ■「故郷」に錦を飾る やなせさんが在籍したのは、日本橋三越本店。三越では、やなせさんの作品の展覧会をこれまで全国の店舗を含めて何度か開催してきたが、同店で社員時代の仕事ぶりに焦点を当てた展示を行うのは、今回が初めてだった。三越伊勢丹ホールディングスが所蔵するポスターや社内報などが公開されたのも初めてで、やなせさんは三越という「故郷」に錦を飾った形にもなった。 展示会には、やなせさんの絵本「やさしいライオン」や、最初の「アンパンマン」の絵本などが展示されたほか、ドラマに登場した包装紙などの小道具も並んだ。物語がクライマックスに入っていく時期とも重なり、連日多くの買い物客が観覧に訪れたという。 ■10歳の時に手紙 「やなせたかしと三越」展覧会初日の先月20日には、「あんぱん」の脚本を担当する中園さんがトークショーを行い、やなせさんやドラマに込めた思いを語った。 中園さんは「準備に2年半くらいかかっている。後半は自宅から1歩も出ていない感じ」で執筆したそうだ。すべて書き終え、久しぶりに外出すると「みなさん見てくださっているんだなあと、反響の大きさに驚きながらもすごくうれしかった」と振り返った。 中園さんは10歳の時、やなせさんに手紙を送ったのが縁で長年、交流を続けた。8月28日の放送で、中園さんがモデルとみられる少女が祖父と嵩の家を訪ねる場面が描かれた。「10歳の時に父が亡くなり元気がない私に、母がやなせさんの『愛する歌』という詩集を買ってきてくれた。『たったひとりで生れきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさみしいね 人間なんておかしいね』という詩に、すごく救われた」。心境を手紙につづり、やなせさんに送ると「驚くような早さでお返事をいただいた。私にとって特別な思いのある方」と語った。 「朝ドラを書きませんか? と声をかけていただいた時は正直、1回(14年の「花子とアン」)やってあまりにも大変だったのでお断りしようと思っていたんですが、描きたい方を聞かれた時にやなせたかしさんとお伝えすると、企画が通ってしまった。やなせさんを他の方に書かれるのはくやしいなと思って、お引き受けした」とも述べた。 ■印象徐々に変化 子ども時代、やなせさんに会うと「元気ですか? おなかは空いていませんか」と声をかけられたのが印象的だったという。「戦争であれだけ大変な思いをされた。おなかをすかせていないかなといつも気にしてくださった」とした上で、脚本を書く上でやなせさんの人生を綿密に調べるうち、それまで抱いていた「明るくて朗らかで楽しい方」という印象がだんだん変わったとも打ち明けた。 「親しくさせていただいていたころは戦争の話はされなかったが、晩年、戦争の本をたくさん書かれていた。お話しするまでに時間がかかったのだと思う」と推測。ドラマの初回冒頭で登場した「正義は逆転する」という言葉について、中園さんは「必ずこの言葉は伝えないといけないと思い、企画書の1行目はその言葉を書いた」と述べ「やなせさんを描くことは戦争を描くということ。アンパンマンの誕生と同時に、やなせさんのメッセージも伝えていきたい」と語った 「アンパンマン」のアニメ放送が始まったのは、やなせさんが69歳の時。中園さんは今後のドラマの見どころを問われ「『顔を食べるなんてグロテスク』とか、編集者にも言われながらも、暢さんに励まされてやなせさんはアンパンマンを描き続ける。そこを書きたくて、実はこの企画はある。ぜひ最後まで見ていただきたい」と呼びかけた。