横浜・鶴見女子大生殺害から2年 被害者の母「ごちゃ混ぜ」今も揺れる感情

 横浜市鶴見区で、大学1年の冨永紗菜さん=当時(18)=が元交際相手の男(24)に殺害され、29日で2年。冨永さんの母親が初めて取材に応じ、「ごちゃ混ぜ」の揺れる感情を打ち明けた。

自宅で「ふうちゃん」を抱く紗菜さん(母親提供)

 小柄で、人や動物に優しく、照れたようにくしゅっと笑う子だった。「家族を結ぶ糸」という思いを込め、「紗菜」と名付けた。18歳になった娘の命は、だが突然に、理不尽に奪われた。  「本当にいなくなっちゃったのかなって理解できていない自分が半分、いないことに気が付いて、悲しくなる自分が半分。思い出すとずっと泣いてしまうから封印しています」  横浜市鶴見区で大学1年の冨永紗菜さんが元交際相手の男(24)に殺害されてから2年。母親が初めて取材に応じた。

 「天真爛漫(てんしんらんまん)って言ったら、褒め過ぎで親ばか過ぎるけど」。母親はほほ笑み、しかしふと顔を曇らせる。

些細なことで笑い合った日々

紗菜さんの写真を手にする母親=23日

 思い出すのは笑い合った日々、それも些細(ささい)なことで。子どもや動物が大好きだった。小さな子どもを膝の上に乗せて、よく面倒を見ていた。一緒に体幹トレーニングをしていると、毎回顔を見合わせて爆笑してしまった。父の日や母の日には感謝の手紙とともに、2歳上の兄と選んだ花束を贈ってくれた紗菜─。  「多くの経験を積んでほしい」と願ってきた。「やりたい」と望む背中を押し、支えてきた。スイミング、体操、バトン、塾、芸能活動…。「本人がどう生きていくか、何を必要としているか、尊重してきました。伝わっていたかは分からないけど」

 自分のなすべきことを見失わず、目の前の人を大切にできる娘だった。

5年ほど前に訪れた東京ディズニーランドホテルで、友人に囲まれる紗菜さん(右から3人目、母親提供、画像の一部を修整しています)

 中学校で所属していたダンス部では、つらい思いをして辞めざるを得なくなった後輩を前に涙を流していたと、亡くなってから親伝えに聞いた。「紗菜だけは普通に接してくれた」。周囲に距離を置かれていたという小学校の級友からは、感謝の言葉を重ねる手紙が事件後に届いた。  今年迎えるはずだった成人式は「紗菜を連れて行きたい」と言ってくれた友達とともに写真で出席できた。ある幼なじみは前撮りにも式当日にも、幼い頃から紗菜さんが大事にしていたクマのぬいぐるみを連れて行ってくれた。誕生日や命日は今も多くの友人が集まってくれ、しかし特別な時だけでなく、自宅を訪ねてくれる人の姿は日常となっている。  「大勢で嫌な雰囲気をつくって誰かを排除したり、人が苦しんだりしていることがすごく嫌いな子でした。自分が何かできるなら、してあげたいって」

 そしてその思いは、元交際相手の男が置かれていた境遇にも向けられた。

境遇おもんぱかる優しさ

幼いころから面倒見の良い紗菜さん(母親提供、画像の一部を修整しています)

 一家で過ごす誕生日やお正月。冨永紗菜さんは元交際相手の男を招き、家族のだんらんに迎え入れた。「誕生日やクリスマスを家族で過ごしたり、当たり前に愛されたりすることがないのはさみしいんじゃないか」。男は親に支えられることなく、1人で生計を立て、暴力さえ受けてきた。そんな境遇をおもんぱかる紗菜さんの優しさだった。  紗菜さんの母親も「家族でできることがあれば」と大切に接してきた。「でもその気持ちは、彼に伝わっていなかったのかな」  交際が続くにつれ、男の紗菜さんへの束縛は激しくなった。暴力を振るわれたり、警察沙汰になったりもした。家族で悩み、別れの意思を伝え続けたが、男は応じず、要求や交換条件を繰り返し突き付けてきた。「夫は『女性に手を上げるのはおかしい。病院に行って』と伝え、本人も『絶対行きます』と答えていたけれど、約束は守られなかった」  復縁はしないことを家族で明確に告げた事件前日。リビングで大学の課題に向かう紗菜さんの安堵(あんど)した様子が母親の胸に残る。「ここからがスタート。そう思っていたのではないでしょうか」

 2023年6月29日朝。男は店舗で包丁を盗み、自宅に侵入してきた。110番通報はしなかった。「かわいそうだから」と紗菜さんが案じ、母親も、自宅から出て行ったことや暴れる状況がなかったことから通報をためらった。一度は立ち去った男は、自宅マンションの敷地内で待ち伏せていた。

裁判、重なる失望

幼いころの笑顔の紗菜さん(母親提供)

 事件後、食事も喉を通らない日々が続いた。さらに紗菜さんに落ち度があるかのように書き立てる報道、事実と異なるネット情報の数々に心を痛めたが、否定するすべもなかった。  1年後に開かれた裁判で、男は罪を認めた。遺族はしかし、男や弁護側の主張に、そして司法のありように傷つき、失望した。例えば証人として立つ遺族はうそ偽りなく証言すると宣誓を求められる。「偽証罪」にも問われかねない。しかし、被告に宣誓は必要ない。「『黙秘権』で、都合の悪いこと、言いたくないことは言わなくても良いとされている」  「冤罪(えんざい)があってはいけないのは大前提で、裁判はお互いが本当のことを言う場であってほしい。刑を軽くされたいがために、あることないことを言われても、殺された人は何も反論できない。『計画性がなかった』なんて言いたいもん勝ち」

 「刑を短くすることが彼のためになるのか。何のための裁判なのか。家族は何度も傷つき、苦しめられる」

彼には幸せになってほしい

子供が好きだった紗菜さん(母親提供、画像の一部を修整しています)

 あの日から2年。交際していた相手に命を奪われる事件は後を絶たない。危険性を判断する第三者の介入が必要だと感じる。「もう一歩踏み込んだ対策ができないと、同じような事件はなくならない。(当事者が)自分で案を考えても、その度に問題点が浮かんで、簡単ではないと思い知らされる」  「(加害者は)いつも殺人鬼なわけじゃない。(被害者は)殺される瞬間にしか、こんな結果になるって想像できないんじゃないか」。男にも、激しい束縛や暴力があった一方、娘や小さな子どもにも優しく接する顔もあった。

 事件発生直後の記憶はない。男への感情は単なる憎しみとは異なる。当てはまる言葉は見つからず、「ごちゃ混ぜになって、全然、自分が分からない」。なぜ彼は思いとどまることができなかったのか。彼自身、もっと違う生き方ができていれば、事件は起きなかったのでは。

いつも子どもに囲まれていた紗菜さん(母親提供、画像の一部を修整しています)

 それでも時計の針は進んでいく。新居に引っ越し、新しくカフェを始めた。くつろぐ人たちのすぐそばには、紗菜さんの写真や、友人のメッセージがびっしりと記された色紙が並ぶ。  「ずっと変わらない。紗菜はいないまま」。自分の気持ちを問われても、やはり当てはまる言葉はない。封印していても、ひとたび思いを巡らせれば感情があふれてまとまらない。  「この気持ちは説明がつかず、理解されないでしょうが…彼には幸せになってほしい。矛盾してしまうけど、幸せになってそこで初めて苦しむと思うから。幸せにならなかったら一生私たちの気持ちは分からない」

 「自分より大切な存在があること、守るべきものができた時に初めて、何てことをしたんだろうって心から思えるんじゃないか」

20歳の誕生日に友人から送られた色紙(母親提供、画像の一部を修整しています)

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