若き日は甘いマスクも「メガネでタレント性を拒否」「最後の大物独身…45歳で結婚」2度も“名人寸前で苦杯”の名棋士・郷田真隆の素顔とは(Number Web)
私こと田丸は将棋連盟理事だった1992年12月、郷田王位がかねてからファンだというタレントの西田ひかる(当時20)との対談を『将棋世界』誌で企画した。郷田は将棋会館を初めて訪れた西田を対局室に案内し、駒の動かし方を教えた。当時の2人の会話を少し紹介する。 郷田「先ほど対局を見てもらいました。いかがでしたか」 西田「真剣な雰囲気はいいですね」 郷田「ゲーム類は好きですか」 西田「好きですが、早とちりで後で後悔しちゃう。将棋をやると、落ち着くようになっていいかもしれません」 郷田「片岡鶴太郎さんが司会するバラエティー番組で、ひかるさんを見てファンになりました」 西田「あの頃は、髪がまだ短かったですね」 郷田「NHKの《西田ひかるの痛快人間伝》もよく見ました」 西田「あの番組は、とても勉強になりました。私は番組でも紹介した、黒人解放に立ち上がったキング牧師を尊敬しています」 郷田「芸能界に入って一番うれしかったのは何ですか」 西田「最近ではNHK紅白歌合戦に選ばれたことです」 郷田「私はタイトルを初めて獲ったときです」 西田「郷田さんのことは、この対談の前に新聞や雑誌の記事で知っていました。これからも活躍を期待しています」 郷田「将棋会館は事務所と近いそうなので、また遊びに来てください」 21歳の郷田と20歳の西田の対談は、実にフレッシュだった。
端整な顔立ちの郷田は街を歩いていると女性からよく声をかけられ、女流棋士の間ではファンクラブができたという。 第1期銀河戦で優勝したときには、「星の王子」と命名された。ただ見かけは甘いマスクだが、内面は芯が強い。ある時期からメガネをかけ、タレント性を拒否した面もあった。 郷田の将棋は流行にとらわれず、自分が信じる指し方を追究した。妥協のない剛直な棋風は「一刀流」と称された。私生活ではアナクロの傾向があり、一時期は携帯電話やパソコンを使わなかった。 また長考派の棋士で、序盤から持ち時間をたっぷりと使った。納得のいかないまま指すのは嫌だという。現役時代の加藤一二三・九段を思わせる徹底ぶりだ。
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郷田について、盤外のエピソードについても少し紹介する。 盤上を離れるとスポーツ観戦を趣味としている。特にプロ野球やテニス、とりわけプロレスの観戦歴は40年以上に及ぶ。小学生の頃はハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニアの強さに惹かれた。日本人選手では、小橋建太をデビュー戦から引退試合まで見続けた。痛い思いをしながら豪快な技を繰り出す選手たちに感動するという。 若い頃は女性にかなりモテた郷田だが、同世代の棋士の中では結婚が遅れて「最後の大物独身棋士」と言われた。2016年に45歳のとき、元AKBの大島優子に似た8歳年下の女性と入籍した。知人を交えた食事会で知り合い、互いにプロ野球好きなことから意気投合した。ただ郷田は巨人ファン、夫人は横浜DeNAファンなので、両チームの試合ではモメるという。 郷田のタイトル獲得は王将、棋聖、王位、棋王と通算6期。順位戦でA級在籍は通算13期。立派な実績を挙げてきた。しかし近年は若い勢力に押されていて、タイトルは9年も遠ざかり、順位戦はB級2組に落ちている。今年の1000勝達成を契機に往年の強さを発揮し、タイトル挑戦や順位戦の昇級を目指してほしい。〈第1回からつづく〉
(「将棋PRESS」田丸昇 = 文)