習近平の母校「清華大」への留学で炎上した29歳福岡市長候補、「完璧な物語」に生じたほころび(東洋経済オンライン)

■孫正義氏も諮問委員会メンバー  最初にはっきりさせておきたいのは、清華大学で学んだという事実だけから、中国共産党との政治的な近さを推測するのは無理があることだ。  軍事技術との関係が深いとされる「国防七校」のように、日本政府が安全保障上、慎重な対応を求める中国の大学群もあるが、清華大学はそういう学校ではなく、国際的に認められたトップ級の学術機関である。 中国人ですら「習近平の母校ね」という反応はしない。

 イギリスの高等教育専門誌・Times Higher Education(THE)の世界大学ランキング2026で、清華大学は世界12位。東京大学は26位だった。  欧米経済界との関係も深い。清華大学経済管理学院の諮問委員会はアップルのティム・クック前CEOが会長を務め、2025〜26年のメンバーにはテスラのイーロン・マスク氏、マイクロソフトのサティア・ナデラCEO、メタのマーク・ザッカーバーグCEO、ブラックストーンのスティーブン・シュワルツマン氏、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長らが並ぶ。2026年5月には、エヌビディアのジェンスン・フアンCEOも同委員会への参加に同意したと報じられた。

 清華大学に連なる存在を怪しいと思う人たちは、これらの企業の製品も避けてしかるべきである。 ■市長選サイトでだけ消えた「清華大学」  佐々木氏にとっても、清華大学Schwarzman Scholars Program(シュワルツマンスカラーズプログラム)で修士号を取得したのは、経歴上のハイライトだったと考えられる。2020年、九州大学は、佐々木氏が「清華大学シュワルツマンスカラーズプログラム」に選ばれたと紹介した。その後、彼女のプロフィールには必ず「清華大学」と明記されてきた。


Page 2

 しかし、公式サイトは同プログラムを「清華大学で実施される、全額給付の1年間の修士・リーダーシッププログラム」と明記している。修了時に授与される修士号も清華大学によるものだ。したがって、「中国の大学院に入ったというより」という説明は、客観的事実として正確ではない。  また、「アメリカの方の奨学金を受けて」という説明も、かなり雑である。  シュワルツマンスカラーズは世界各国の寄付によって支えられており、公式の寄付者一覧にはテンセント(騰訊)やJD.com(京東集団)など中国企業・団体も名を連ねる。

 さらに、佐々木氏自身が公式プロフィールで掲げる「Masason Scholar」は、孫正義氏の支援により日本人学生向けに設けられた奨学枠だ。少なくとも、本人が受けた奨学枠を単純に「アメリカの方の奨学金」と説明するのは、実態を正確に伝えているとは言えない。  公開情報を確認すればわかる話である。  なぜ、「アメリカ」「ニューヨーク」を前に押し出そうとするのか。  ネット上で清華大学が「習近平氏の母校」と政治化された。そして皮肉なことに、本人側も防御的な説明を重ねることで、「清華大学で学んだこと自体が政治的な釈明を必要とする経歴である」という前提に乗ってしまったように見える。本来、そこに乗る必要はなかったのではないか。

 しかも中国との距離を強調しながらも、その直後には、これから必要なリーダーは、中国をよく知る「知中派」だと語った。  ここにまた「?」が生まれる。 ■中国留学は特殊な経歴ではない  佐々木氏が大学生だった2010年代後半は、現在ほど「経済安全保障」という言葉が社会の前面に出ておらず、むしろ深センを起点とする中国のイノベーションへの関心が急速に高まっていた。  2018年、JETROは「日本の産業界が深センに注目する」と紹介し、電子産業の集積やサプライチェーンを背景とした独自のイノベーション・エコシステムを分析している。


Page 3

 ところが、筆者が確認した範囲では、市長選向けの本人公式サイト“のみ”、表現が変わった。プロフィールには「米国発の次世代リーダー育成プログラム『シュワルツマンスカラーズ』に選出(奨学金枠:Masason Scholar/孫正義氏)。全額奨学生として海外の大学院へ進学」とある。  さらに「コロナ禍でのオンライン受講を経て海外の大学院へ進学・修了」とあるが、どこの国かは伏せられ、「清華大学」という大学名もない。

 単に略歴を短くしたと考えるには不自然である。同じプロフィールには「米国発」「Masason Scholar/孫正義氏」に加え、BCG、経済産業省、内閣府、デジタル庁、Davos50など、本人の経歴を魅力的に見せる固有名詞が高い密度で並んでいる。  前述したとおり、清華大学はTHEの世界大学ランキングで12位。佐々木氏の母校である九州大学は同じランキングで301〜350位。これだけキラキラな経歴を並べるプロフィールなら、「清華大学」も十分に強い固有名詞のはずだ。

 それなのに、そこだけが「海外の大学院」になった。しかも、公式サイトで「海外の大学院」としたところで、新聞の候補者名鑑では最終学歴の記載ルールに従って「清華大学大学院修了」と記される可能性が高い。  情報の受け手は「なぜ、そこだけ書かなかったのか」と考え始める。そこへ「習近平」という、SNS上で極めて拡散しやすい固有名詞と結びつける投稿が投下された。  なお、佐々木氏は9月23日に公開したnoteで「大学院は清華大学シュワルツマンスカラーズ」と明記した。しかし、翌24日時点でも選挙用公式サイトは「海外の大学院」という表記のままだ。

■SNSの土俵に自ら上がる形に  疑念が拡散する起爆装置になったのが、佐々木氏の出馬会見での説明だった。  海外での学歴をめぐるネット上の指摘について問われた佐々木氏は、清華大学という固有名詞を出しつつも、「中国の大学院に入ったというよりは、アメリカと中国が協力してつくった大学院という形だった」「ニューヨークで面接を受けた」「アメリカの方の奨学金を受けて」 と畳みかけた。  確かにシュワルツマンスカラーズは、米投資会社ブラックストーン共同創業者のスティーブン・シュワルツマン氏が設立を主導した、1年間の英語で受講する国際的な修士プログラムである。


Page 4

 当時の空気では、中国の有力大学で学んだ経験は、少なくとも大企業の採用で警戒されるような経歴ではなく、語学力や国際経験、成長市場への理解を示す強みになりえた。  筆者の周囲でも、30代前後の知人には、早稲田大学と復旦大学のダブルディグリーを取得して大手通信キャリアに入社した人、復旦大学大学院からNHKに入った人、就職浪人を経て中国へ語学留学し、三井物産に進んだ人など枚挙にいとまがない。  その後、日本と中国の距離感は大きく変わったが、佐々木氏の世代が大学生だった時代に、大学生が「これからのキャリアを考えるなら中国を見ておきたい」と考えたこと自体は特殊な選択ではない。

 佐々木氏の中国経験を過大評価する必要もない。  同氏が清華大学シュワルツマンスカラーズに在籍した2020〜21年度は新型コロナ禍のため、プログラム自体がオンラインで実施された。したがって、清華大学の修士号を取得しているとはいえ、中国で一定期間暮らし、中国社会や中国の組織の中に身を置いてきた人物と同じ種類の「中国経験」を持っているとは評価できない。  中国との近さを警戒する声がSNSで大きくなっているが、「中国」で飯を食っている筆者のような人間にとっても、佐々木氏が中国を理解していることを「強み」として語りたいのか、中国との接点を「リスク」とみて距離を取るのか立ち位置がわかりにくい。他の公開情報と照らし合わせると、自分の軸より「見せ方」を意識して、説明を都度編集しているように映る。

 筆者自身、中国の大学院に留学し、その後、中国の大学で教員として働いた。中国企業や産業について発信しているため、「親中なのか」と非難めいた調子で聞かれることもある。  筆者の答えはいつも同じだ。  自分の真ん中は日本にある。しかし、その隣には急速に台頭してきた中国がある。日本の競争力や産業の未来を考えるためには、中国が何をでき、何ができないのかを過大評価も過小評価もせず、中国に対する解像度を上げることも必要だと考えている。


Page 5

 言うまでもなく、多くの日本企業も「親中か反中か」「中国かアメリカか」という二択ではなく、政治・安全保障上のリスクを見ながら、中国の市場、生産力、技術力、競争力をどう取り込むのか模索を続けている。サプライチェーンが国境を越えてつながる現在、「嫌なら付き合わなければいい」というほど単純な話でもない。  産業界のマジョリティは佐々木氏のプロフィールに「清華大学」と書いてあっても、その事実だけをもってネガティブに捉えることはなかっただろう。

 だからこそ、佐々木氏がSNS上の「清華大=習近平=中国共産党」という政治化に対して、そのフレームに乗って雑な釈明をしてしまったことは惜しい。 ■編集されすぎたPR戦略  佐々木氏の公式サイトは、かなり作り込まれている。  29歳という若さに対しては、「16年前、福岡市民は36歳の若い市長に未来を託しました」と高島宗一郎市長の初当選を重ねる。高島氏の2022年市長選で「がんばろう三唱」を担当したこと、さらには結婚式で高島氏から祝辞を受けたことまで紹介し、高島市政との近さをこれでもかとばかりに打ち出している。職歴ではBCG、中央官庁、Schwarzman Scholars、孫正義氏、Davosなどを高い密度で配置する。

 政治活動や行政運営の経験の少ない候補者が、自らの強みをわかりやすく伝えようとする戦略は理解できる。 ただ、PRは情報を足せば足すほど強くなるわけではない。  情報を緻密に選び、物語を作り込むほど、受け手の目は「何が書かれているか」だけでなく、検索すれば見つかる他の情報との「整合性」にも向く。  それまで普通に公表してきた大学名を、選挙サイトでだけ「海外の大学院」とした。その編集に気づかないほど、現在のネット世論は節穴ではない。

 企業の危機管理でも、ある情報を目立たせないようにした結果、その事実以上に「なぜ隠したのか」が問題になることは珍しくない。今回さらに皮肉なのは、清華大学修了はそもそも「不都合な事実」ですらなかったという点だ。 ■発信の責任は誰に  佐々木氏の公式サイトの構成や、記者会見でのメッセージの作り込みを見ると、専門の選挙プランナーがPR戦略に関わっていることは想像にかたくない。  しかし、誰が文章やPR戦略の制作に関わったとしても、候補者の名前で公開された公式サイトと、候補者本人が記者会見で発した言葉であることは変わらない。

 人々が見ようとするのは、きれいに編集された物語の「行間」である。  なぜ、それまで普通に公表していた「清華大学」という大学名が、市長選向けのプロフィールでだけ「海外の大学院」になったのか。  なぜ、「米国発」や「孫正義氏」は強調する一方で、大学名を書かなかったのか。  そして、なぜ疑問が出たあとに、「中国の大学院に入ったというより」と説明したのか。  その小さな「?」の積み重ねが、本来は問題ではなかった経歴に、大きな疑念を生んでしまったのではないだろうか。

浦上 早苗 :経済ジャーナリスト、法政大学MBA兼任教員(コミュニケーションマネジメント)

関連記事: