「息苦しい社会にするのか」と警戒も…自民党が進める国旗損壊罪、“かなり怖い話”になりかねないワケ(文春オンライン)
今の刑法には、外国の国旗や国章を侮辱目的で傷つけた場合に処罰する「外国国章損壊罪」がある。外交トラブルを防ぎ、円滑な外交関係を守るための規定だとされている。しかし日本国内で日本国旗をどう扱うかは外交問題にはならない。だから「個人の自由(表現の自由)」が優先されてきた。 そのうえで高市首相は、「外国の国旗には厳しいのに、日本の国旗はどう扱ってもいいのはおかしい」と訴えたのだ。なるほど、わかりやすい。 専門家はどう評価するのか。神奈川大の上田正基准教授(刑法)は「外国国章と『アンバランスだ』という主張について、感情論としては分かっても、法律論としては弱い」と指摘する(東京新聞4月1日)。 感情としてはわかりやすい。だが、法律としてはそのまま成り立たない。高市首相の言葉が響くのは、その“わかりやすさ”ゆえだろう。しかし保守派の西田昌司氏ですら「国旗を大切にし、損壊してはだめだというのは賛成だが、罰則をつけるのはいかがなものか」と語っている。 ただ、刑法をつくるならもっと根本的な問いがある。そもそも、本当にそんな行為が頻発しているのか。法律を新しく作るほどの必要性、つまり立法事実はあるのか、ということだ。
新聞各紙はどうだろう。日経新聞は「多くの国民が国旗を尊重するのは自然なことだが、それを法律で強制すべきかは別の問題だ」と慎重姿勢だ。朝日や毎日は「窮屈な社会が待っていないか」「息苦しい社会にするのか」と警戒する。
ストレートなのは産経新聞だ。 「罰則設け日本の名誉守れ」とタイトルで書き、 《日本の威信と尊厳を守らねばならない》 と主張している。なるほど、そこに論点があるのかと思う。 すると先週(5月20日)の朝日新聞の解説が興味深かった。 自民党内の当初の「国旗損壊罪」検討資料を紹介していたのだ。法律で守る対象(保護法益)として、 (1)国の威信、国民の統合作用 (2)自国国旗を大切に思う一般的な国民の感情 (3)社会秩序の維持 などが並んでいたという。ところが最終的な骨子案では、(1)と(3)は消え、(2)「一般的な国民の感情」だけが残った。理由は「思想統制のように見られるのはよくないから」だそうだ。 ここでアッと気づく。 産経新聞が「日本の威信と尊厳を守れ」と主張していた、その「威信」が自民党内の議論ではすでに消えていたのである。代わりに残ったのが「一般的な国民の感情」だ。「国家の威信」では露骨すぎる。そこで「国民感情」に置き換えたのだろうか。 しかも記事は、こうも伝える。「国の威信」や「国民の統合作用」といった言葉は消えたが、10年以上前から同じような言葉で国旗損壊罪の創設を訴えてきた人物がいる。 それが高市首相だ、と。 高市氏はかつて「自国についての帰属意識・一体感」や「日本の威信・尊厳を象徴する国旗」とブログなどで主張していた(現在は削除)。その高市氏が、今度は「法律論としては弱い」とされた“感情”を、法律の根拠として前面に出しているのである。 しかも新法の目的は広がっている。自民党は、国旗を傷つけた動画や画像をSNSに投稿する行為まで処罰対象に加える検討を進めているという。国旗を傷つける行為だけでなく、今度は「どんな表現なら許されるのか」にまで線を引こうとしている。
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記事でのハイライトはお子様ランチだった。小さな国旗を扱う卸問屋の話が載っていた。店主は「旗の使用をやめるレストランも出てくるだろう」と懸念していた。 お子様ランチまで? そう思ってしまう。しかし忙しい店員が、片づけの途中で小さな日の丸をくしゃっと丸めてしまったらどうなるのか。誰も本気で「罰則だ」とは思わないだろう。だが、そういう想像を店側にさせてしまう。「国旗を守る法律」が、かえって国旗を日常から遠ざけることはないのか。 すると記事の2日後の22日、自民党は「お子様ランチの旗は対象外」と修正して説明した。なるほど、そこはセーフらしい。だが「これは大丈夫」と政治家がいちいち説明している時点で、すでに「どんな表現なら許されるのか」という線引きの話になっている。これは、かなり怖い話ではないか。 ここまで書いていて、別のことも気になってきた。 国旗への侮辱というなら、物理的な損壊だけなのだろうか。ヘイトスピーチの現場で、日本国旗が振られる光景がある。「出ていけ」といった言葉と一緒に掲げられる日の丸は、国旗の尊厳を高めているのか。それとも傷つけているのか。 さらに言えば、今回の議論は単に「国旗損壊罪」の是非だけの話なのだろうか。むしろ見えてくるのは、高市政権の政治スタイルそのものにも思える。高市政権の特徴のひとつは、理屈より“感情に届く言葉”を優先することだ。 たとえば台湾有事をめぐる一連の発言だ。歴代政権は、あえて曖昧にすることを外交の技術としてきた。ところが高市首相は、かなり踏み込んだ物言いをしてきた。歴代首相の感覚なら「そんなに具体的に言って大丈夫か」という話になる。だが世論では「はっきり言ってくれて頼もしい」という反応も少なくない。理屈より感情。複雑な現実より、わかりやすい言葉。 そう考えると、今回の国旗損壊罪も同じ構図に見えてくる。「法律論としては弱い」と言われても、「外国の旗はダメなのに、日本の旗はいいの?」と言われれば、たしかにわかりやすく、支持も集まりやすい。 問題は、その“わかりやすさ”で法律を作っていいのか、ということだ。「そうだよな」と感じることと、「だから刑罰をつくろう」は同じだとは思えない。感情のわかりやすさで複雑な問題を突破していく。そんな政治手法そのものも、注意して見ておきたい。
プチ鹿島