中国宇宙ステーション「天宮」から新種の細菌「ニアリア・ティアンゴンゲンシス」を発見

地球から最も隔絶された環境とも言える宇宙ステーションですが、その中にも微生物が無数に生息しています。これは、地球上のあらゆる場所に生物が生息し、これらに付着したものが意図せず持ち込まれるためです。

【▲ 図1: 神舟16号の乗組員が撮影した中国宇宙ステーション「天宮」(Credit: 中国載人航天工程弁公室)】

航天神舟生物科技集団有限公司(SBG)のJunxia Yuan氏などの研究チームは、中国宇宙ステーション「天宮」で採集されたサンプルを分析した結果、ある細菌(真正細菌)が新種であることを提案し、天宮で発見されたことを意味する「ニアリア・ティアンゴンゲンシスNiallia tiangongensis)」という学名を提案しました。

ニアリア・ティアンゴンゲンシス自体は発見されたばかりであり、今のところ地球では見つかっていません。その生態のいくつかは、宇宙ステーションの厳しい環境に適応しているかのような特徴を示唆しています。しかし、近縁種は自然界に広く分布することから、ニアリア・ティアンゴンゲンシスももともとは地球に生息しているものの、今まで見つかっていないだけだと考えるのが現時点では妥当でしょう。

※この記事では学名に斜体を適用していますが、環境や提供先によっては表示されない場合もあります。

宇宙ステーションでも新種の生物が発見されることはある

真空の宇宙空間に人間が住める環境を人工的に作り出した宇宙ステーションは、ある意味で地球から最も隔絶された場所であると言えます。この場所は一見すると、自らやってくるヒトと、実験目的などで意図的に連れてこられる場合を除けば、生物とは最も縁遠い場所であるように思えます。

しかし、ヒト自身の体表や体内、あるいは持ち運ぶ機材や物資には、地球表面に生息する多種多様な微生物が付着しており、意図せず連れ込んでしまうことがあります。そしてこれらの微生物の中には、地上よりも強い放射線を浴び、清掃によって水分や栄養素が不足し、重力もほとんどないという、地上と比べて過酷な環境においても死滅することなく生存・繁殖するものもいます。このため、宇宙ステーションに生息する微生物叢(微生物の種類や量)は、地上のそれとは全く異なる状態になっていることが観察されています。

地上では見られないユニークな微生物叢を観察するため、そして宇宙飛行士の健康を害するおそれのある微生物がいないかどうかを検査するために、宇宙ステーションの機材表面の微生物は定期的に観察されています。そして稀ではあるものの、その研究の過程で全く新種の生物を見つけることがあります。

例えば国際宇宙ステーション(ISS)のサンプル分析では、過去に新種の細菌が見つかったことがありました。2017年に発見された新種は「ソリバシラス・カラーミイ(Solibacillus kalamii)」、2021年に発見された新種は「メチロバクテリウム・アジマリイ(Methylobacterium ajmalii)」と命名されています。

「天宮」サンプルから新種の細菌を発見

今回紹介する研究は、「中国宇宙ステーション居住区マイクロバイオーム計画(China Space Station Habitation Area Microbiome Program)」という研究計画の一環として行われています。航天神舟生物科技集団有限公司のJunxia Yuan氏などの研究チームは、中国宇宙ステーション「天宮」で採集されたサンプルを分析しました。分析サンプルは、2023年5月に「神舟15号」の乗組員が滅菌された器具を使って採集・冷凍した後に地球に持ち帰ったものです。

【▲ 図2: 今回見つかった細菌の近縁種であるニアリア・キルクランスの写真。(Credit: Leibniz-Institut DSMZ / 文字追加: 筆者)】

分析の結果、ISSと天宮では微生物叢が異なることが観察されただけでなく、これまでに知られていない細菌株も見つかりました。タイプ株が「JL1B1071」と名付けられたこの桿菌(細長い形状をした細菌)は、土壌や水中によくみられる「ニアリア・キルクランス(Niallia circulans ATCC 4513)」という細菌と最も似ているものの、別種と言えるほど遺伝情報が異なることが分かりました。また、タンパク質の構造や生態に独自性がみられることからも、この細菌は新種である可能性があります。

これらの特徴から、Yuan氏らはJL1B1071株がニアリア属(※1)の新種であると提案し、学名を「ニアリア・ティアンゴンゲンシスNiallia tiangongensis)」と命名しました。種小名tiangongensisは、この細菌が天宮で見つかったことを示しています(※2)

※1…2020年に、非常に一般的な細菌属であるバシラス属(バチルス属、Bacillus)をいくつかの属に分ける提案の中で新設された属の1つ。

※2…「天宮」は拼音(ピンイン、中国語の発音記号)で「Tiāngōng(ティエンゴン)」となります。「-ensis」(エンシス)はラテン語で「場所」を意味し、そこから転じて発見場所を示す接尾辞となっています。

ニアリア・ティアンゴンゲンシスの研究はまだ初期段階であるものの、既にユニークな生態が見つかっています。例えば、ニアリア・ティアンゴンゲンシスはゼラチンを加水分解する独自の能力を持っています。これは栄養素が不足した環境でも、ゼラチンを栄養源として利用できる能力があることを示唆しています。

また、ニアリア・ティアンゴンゲンシスが持つ2種類のタンパク質は、近縁種と比べても異なる独特の構造をしていました。このタンパク質は、環境が悪化した際に有害なものから身を守るバイオフィルムの形成や、酸化ストレスに対する応答、放射線によってDNAが傷ついた場合の修復に関わっています。これは、ニアリア・ティアンゴンゲンシスが宇宙ステーションの過酷な環境に適応していることを示しているのかもしれません。ただし、実際にそのような生態を持っているのかについては、追加の研究を待たないといけません。

おそらく地球にいる細菌で、おそらくそこまで危険ではない

ところで、このニュースに興味を持った方の中には、ニアリア・ティアンゴンゲンシスがどこからやってきたのか、あるいは宇宙飛行士に対する危険性・病原性がどれほどなのかについて気になるという方もいるでしょう。

ニアリア・ティアンゴンゲンシスが発見されたのは宇宙ステーションですが、当然ながら(そしてある意味では残念なことに)地球外のどこからかやってきたわけではないでしょう。宇宙ステーションという特殊な環境が、近縁種からの分化や突然変異を促し、新種を生み出した可能性もゼロではないでしょうが、現時点ではその可能性も低いと言えます。

近縁種が土壌や水中に広く生息している以上、ニアリア・ティアンゴンゲンシスも元々は地球のどこかに生息している可能性があります。そして偶然にも天宮に向かう乗組員や機材に付着して宇宙へ飛んだあと、たまたま天宮のサンプルを分析した際に新種として発見・記載されたと考えるのが妥当です。

細菌は極めて多種多様であり、名前がついていない新種の候補や、分類に関する議論が終結していない種が無数にある他、種を明確に分けられるほど細かく分析されていないデータも無数にあります。もしかすると、私たちはすでにニアリア・ティアンゴンゲンシスを地球上で採集していながら、見逃している可能性も十分に考えられます。地球上でまだ見つかっていないことは確かですが、それは地球に存在しないことを意味しません。

そして、ニアリア・ティアンゴンゲンシスがヒトに対して病原性を持つのかについては、現時点では何も研究されていないため、誰も正確な答えを出すことはできません。今できるのは、近縁種から病原性を推測することだけです。ただしこの部分に関しても、今のところは強い懸念を抱く段階ではないと言えそうです。

ニアリア属の細菌はヒトに感染することが知られています。ニアリア・ティアンゴンゲンシスに最も近縁なニアリア・キルクランスの場合、敗血症による死亡例もあります。これだけしか書かないメディアもあることから、何か危険な細菌であると思ってしまうのも無理はないですが、ポイントとなるのは、これが「日和見感染症」であるという点です。

日和見感染症とは、健康な人には感染しない微生物が、著しく免疫が落ちている人に対して感染し、病原性を示すことを意味します。著しい免疫低下は、がん治療や臓器移植時に使われる免疫抑制剤の投与、AIDSなどの免疫不全症、高齢などを理由に起こります。先述のニアリア・キルクランスによる致死性の敗血症も、末期腎疾患の基礎疾患があり、免疫抑制状態にあった患者が、抗菌薬耐性を持つニアリア・キルクランスに感染して起きた悲劇です。日和見感染症は特殊な状況で起こるのであり、健康な人では心配のいらないものとなります。

限定的とはいえ病原性を示すこと、宇宙ステーションという物資や治療に制限がある環境においては、全く油断しても良いというわけではないかもしれません。ですが、当面は宇宙に行ける人は健康であることと、日和見感染症が起きる時には他の微生物の感染も警戒しないといけないことから、現時点では、ニアリア・ティアンゴンゲンシスだけを特別に警戒する理由もないことになります。

文/彩恵りり 編集/sorae編集部

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