犯人逮捕へ向けて捜査はどこまで迫り、何が壁だったのか…「八王子スーパー強盗殺人事件」発生から30年後の“新証言”(文春オンライン)|dメニューニュース

〈 「誰も犯人の顔を見ていない」スーパーで働くパート女性と女子高生の頭部を拳銃で撃って殺害、逃走…“未解決事件”を追う(平成7年) 〉から続く

 犯人は今、どこにいるのか。なぜ今も未解決のままなのか。1995年7月30日夜に発生した、「八王子スーパー強盗殺人事件(ナンペイ事件)」。

 東京・八王子市のスーパー・ナンペイの2階事務所に何者かが押し入り、従業員の女性3人の頭部を拳銃で撃って殺害、逃走した。2010年に時効が撤廃され、現在も捜査が続けられている、平成の犯罪史に刻まれた未解決事件。

 NHK総合テレビで放送される新シリーズ 「未解決事件」File.01 「八王子スーパー強盗殺人事件」後編では、時効が迫る中、急展開した捜査に迫る。

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「八王子の事件のことを知っている」死刑囚は捜査員に語った

 事件発生から14年後。中国で収監されていた死刑囚が突如、「八王子の事件のことを知っている」とほのめかしてきたことで、捜査は思わぬ方向へと展開した。

 死刑囚は日本国内でも前科のある、日本人の男だった。2001年、名古屋刑務所を出た後、中国人を率いて日中強盗団と呼ばれる強盗グループを結成。仲間とともに全国各地で強盗事件を繰り返したとして指名手配され、その後、中国へと高飛びしていた人物だ。中国で覚せい剤の密輸に関わる罪で逮捕され、死刑判決を受けていた。

 2009年当時は、ナンペイ事件の時効が翌年に迫っていた(2010年の法改正で時効撤廃)。なんとかして解決の糸口をつかみたかった警視庁は、中国公安当局に対してこの死刑囚に聴取したいと要請し、同年9月、中国・大連へと捜査員を派遣した。中国との間で締結された日中刑事共助条約をもとに捜査協力した初めてのケースだった。

 収監されている大連拘置所で、4日間に及んだという事情聴取。死刑囚は何を語ったのか。当時、捜査を指揮し、聴取に立ち会った警視庁捜査一課元幹部の原雄一氏が取材に応じた。原氏によると、死刑囚は「ナンペイ事件に自身が関わったわけではないが、仲間の中国人男性のK氏が事件について知っている。事件に中国人が関与している可能性がある」という趣旨の話をしたという。


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 もともと、死刑執行前という状況下だったため「執行を遅らせるための虚言ではないか」などという報道がされていた。原氏によると、死刑囚は、日本で実行犯となっていた数々の強盗事件などを自白。警視庁はすぐに複数の現場の被害確認を行い、裏取りができていたこともあり、「素直に話していたように感じた」と振り返った。

 何度か死刑囚の様子を確認していた在中国日本領事館の関係者も、記憶に残る事件だと当時を振り返った。収監されていた死刑囚が、やせ細った姿で手枷足枷を引きずりながら面会室に現れたことを鮮明に覚えているという。

「命乞いをすることなく、死刑を受け入れていた。達観した老人という感じだった」という死刑囚。警視庁らが捜査に訪れた翌年の2010年4月、薬物注射によって死刑は執行された。遺骨は、遺族の事情ですぐに取りに来ることができず、しばらくの間、領事館に置かれていたという。

 その死刑囚が「事件について知っている」と名指しした中国人男性・K氏。警視庁は関係者の内偵捜査を進め、K氏が死刑囚の側近で、通訳を担っていることなどを確認していった。K氏は強盗団のメンバーとも関わりが深く、犯罪歴もあり、死刑囚の逮捕後にカナダへと移住していた。


 こうした情報を報告すると、原氏は上司から「Kを日本に連れてくるように」と指示を受けたという。ナンペイ事件について知っているかもしれないという証言をもとに、外国にいる男性の引致を目指すのは前代未聞だったが、中国人男性・K氏をめぐり、カナダとの異例のオペレーションが始まった。


中国人男性の捜査を指揮した捜査一課元幹部の原雄一氏 ©NHK

カナダにいる中国人男性・K氏から話を聞くために…

 カナダと日本の間に犯罪人引き渡し条約はないため、カナダにいる中国人の男性を捜査するためには、外交ルートでK氏の身柄を求める交渉が必要となる。

 そこでまず警視庁が目をつけたのは、K氏がかつて日本人名義で不正取得したパスポートを使い、中国へと出国した“旅券法違反”の容疑。名古屋を拠点にしていた2002年、不正に中国に出国していた事実でカナダに引き渡し要請をすることにした。旅券法違反で逮捕し、その後、ナンペイ事件に展開していく方針を固めたという。


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 カナダにはどのように捜査方針を伝えるべきか。交渉に携わった関係者らは、「日本に引致後に伝わっては外交問題になってしまう」として、最初から正直にナンペイ事件の捜査を見据えていることをカナダ側に伝える作戦をとることにした。当初は、旅券法違反容疑だと認識していたカナダ当局の担当者。日本が引き渡しを求める背景に強盗殺人事件があると分かると、言葉をなくしたという。「それまで穏やかだった雰囲気が変わり、笑顔がなくなった。特に、ナンペイ事件の犯行態様にショックを受けていた」。カナダの担当検事も真剣に耳を傾け、背景にあるナンペイ事件に向けてどのように引き渡しの裁判を進めていくか、協議が重ねられた。

 警視庁はK氏が「事情を知っている可能性がある」という証言などを段ボール数箱分、カナダに送っていた。ナンペイ事件の被疑者ではない、K氏。数年間の裁判手続きを経て、2013年、日本に引き渡されることが決まった。その後、日本に引致され、ナンペイ事件を管轄する八王子署に勾留された。

「知らない」空転した捜査。取調室で何が起こっていたのか

 約10か月に及んだ、男性の勾留。旅券法違反の起訴後も、ナンペイ事件の任意捜査が数か月間、続けられた。ナンペイ事件について聞かれても「知らない」「八王子の地名さえも知らない」と、供述していたという。取調室では何が起こっていたのか。

 当時、K氏の弁護を担当していた男性は、被告人だったK氏の利益を侵害しないという条件で、取材に応じた。男性は接見中、タイミングを見計らってナンペイ事件について聞いたことがあったというが、K氏は「八王子の地名さえ知らない」と答えた。

 そうしたやりとりが繰り返される中で、K氏が10年近く関東に住んだことがあることを踏まえ、「八王子の地名は知っているのではないか。もしかしたら何かを知っているかもしれない」と感じていたという。

 そのため「事件に関与していないのであれば、警察の聴取に協力してはどうか」と持ちかけていたと明かす。さらに男性は、事件解決につながればと、警視庁に対して、「旅券法違反以外の容疑で逮捕、起訴しないのであれば、K氏に対して捜査に協力するよう勧める」という電話をかけたこともあったという。


 そして、2014年9月。旅券法違反で執行猶予付き有罪判決が出て、男性はカナダへと帰国した。この男性への捜査について、番組では詳しく見つめていく。


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捜査はどこまで迫り、何が壁だったのか。発生30年の新証言

 事件発生から30年となった今年。中国人男性・K氏の捜査の関係で、警視庁が事情を聴取していた人物を複数、取材した。

 K氏と地元が同じで、日本人死刑囚の強盗団に所属していた中国人2人。現在受刑生活を送る彼らに手紙で取材を申し込んだ。2人は、ナンペイ事件で何度も警視庁の捜査員から事情聴取を受けていた。

 このうちの一人、A氏は、ナンペイ事件について言葉少なだったが、強盗の手口については「5、6人のグループで襲撃し、住人はガムテープで縛る。通常は殴ることはしないが、抵抗すれば、けがを負わせてしまうこともあった。少ない人数で現場に入るとミスが起こりやすい」などと手紙に綴っていた。

 もう一人は、K氏と仲が良かったというB氏。1990年代、250万円ほどを借金してブローカー“蛇頭”に手数料を払い、日本に密入国したが、次第に返済が滞るようになり、保証人となった家族がマフィアに刺されたことで、借金を返したいと日中強盗団のメンバーとなったという。手紙には「Kから誘われて、強盗団に入った」とあった。B氏はナンペイ事件については「誰が関与しているか、全く知らない」としながら、事件解決を祈っていると綴っていた。

 K氏もつながりがあったとみられたことで、捜査線上に浮上した日中強盗団。1990年代に日本に来たメンバーも少なくなかった。背景には何があるのか?

 当時、中国人の密入国が急増していたと語るのは、B氏も利用したブローカー“蛇頭”に詳しいジャーナリストの莫邦富氏。日本と中国の賃金格差が大きかった時代に、日本に行って一攫千金を狙おうと密航してくる若者が後を絶たなかったという。不法滞在する中国人が強盗などの犯罪に手を染めたケースについて聞くと「密航者の場合、指紋も登録しておらず、住所もなく、そもそも誰が日本にいるかも把握されていない。犯罪をしたとしても誰も知らない、知られていないという妙な安心感があったのではないか」と指摘した。

 さらに今回、死刑囚やK氏とも関わりの深かった人物にも接触できた。元麻薬密売人のカルロス氏。当時、中国人男性・K氏の関係の捜査を進めていた警視庁が証言を重視していた人物だ。6月に関東の某所で撮影を行った。キャップ、Tシャツにハーフパンツというラフな格好で現れたカルロス氏の脛には、ブラジルにいたころ、拳銃で撃たれたという傷跡があり、拳銃被害の深刻さが感じられた。

 カルロス氏は20年ほど前に聞いた事件のエピソードについて、ひとつひとつ、記憶を辿りながら証言した。


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 警視庁がナンペイ事件で話を聞きたいと訪れた当初は聴取に協力しなかったというが、その後、応じるようになった理由についてこう語った。

「当時の刑事から『被害者がどんな気持ちで最期を迎えたか、どんな怖い思いをしたか』って言われたんですよね。まだ高校生ぐらいの方たちの恐怖心っていうのを考えたらね、ものすごく怖かったと思うんですよ。そこからですよ。協力しようと思って」

 刑事から説得を受け、何の落ち度もない被害者が突然命を奪われたことについて考えるようになり、“自分が知っている情報を伝えることで捜査が進むのであれば”と協力するようになったという。

 今は麻薬密売の仕事から離れ、静かに暮らしているというカルロス氏。数十年前の話でも、関係者は各地にいるため、関連の情報をテレビカメラの前で証言することにはリスクがある。それでも「一度、警察に話したことだから、吐いたつばは飲まない。風化せず解決に向かってほしい」と今回の取材にも応じた。

 さらに捜査線上に浮かんだ関係者への取材を進めると、日本人死刑囚やK氏をよく知る元暴力団員の男性にもたどり着いた。今回、複数の関係者が重い口を開くことで、当事者でなければ分からない当時の状況などが徐々に浮き彫りになっていった。彼らが発生30年にして改めて語った証言について、詳しくは番組で紹介したい。

事件を風化させない。関係者は事件解決を思い、証言した

 番組では全国にいる捜査関係者をはじめ、200人以上から当時の話を聞く機会を得た。取材をはじめたのは、今から1年ほど前。同僚から「30年も前の事件で、話してくれる人はなかなかいないのでは」などと声をかけられたが、「事件が少しでも動いてほしいから」と多くの人が取材に応じた。

 今回、当時のことを丁寧に思い出してくれた方、リスクがある中でも証言してくれた方、1990年代の捜査の実態や、町の変遷などを教えてくれた方、時間が経っていることで、「今だから言えるけれど、実は……」と証言してくれた方々がいたおかげで放送につなげることができた。

「何かあったら逆に教えてほしい」「今も新しい情報を心待ちにしている」「ちゃんと取材を進めていってほしい」と声をかけられたことに応えられるような番組につなげたいと考えてきた。この場をお借りして、すべての皆様に感謝を申し上げたい。

情報提供などをもとに、警視庁の捜査は続いている

 今も八王子署にある、特別捜査本部。これまで、現場に残された指紋やDNAの分析などをはじめ、地道な捜査が続けられてきた。30年間にわたって、数千人の人が捜査対象となる中で、さまざまな見立てが浮かび、沈んだ。グレーの対象者を捜査対象から外すための、いわゆる“潰し”の捜査も入念に行われてきたという。

 特別捜査本部・担当理事官(取材当時)の大井英世氏は、「警視庁にとっても絶対に忘れてはいけない事件。1つ1つ確実に捜査しており、絶対に検挙しなきゃいけない事件だと捉えています」と語った。

 本部内には、犯行時間の午後9時15分を示す時計、被害者3人の遺影、被害者の友人らが作った千羽鶴が今も置かれている。年々少なくなっているものの、毎年届くという情報などを元にした捜査は今も続いている。

(NHK「未解決事件」取材班,中村 宝子)

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