ウクライナ戦争は「パックス・アメリカーナ」を終わらせたのか…小泉悠が現地で見た世界秩序の転換(クーリエ・ジャポン)

──2026年に入り、実際にウクライナを訪れたとのことですが、現地の様子をお聞かせください。 小泉 第一印象は、街の様子がびっくりするほど変わっていないということでした。戦争一色の悲壮感が漂う雰囲気もなく、建物が次々と破壊されているという惨状もそこにはありませんでした。 戒厳令が出ているので夜中になると外出禁止になりますが、バーも営業していますし、若者たちも道端で音楽に合わせて踊っています。ところどころに軍隊の募集ポスターがあったり、役所の窓が土嚢で塞がれたりと戦時の雰囲気はありますが、たとえば戦時中の日本のような追い詰められた感じはありません。 これには「キーウまで敵が攻めてくるかもしれない」という本当の危機は、戦争の初期段階で去ったというのが理由の一つ。それと、私のような外国人から見て、ウクライナは豊かな国だと思われるように、首都は見栄えよくしておかないといけないという考えがあるようです。「キーウは空爆を受けても、とにかく一瞬で修復する。爆撃で壊れ、見すぼらしくなった建物は残さない」と現地の人からも聞きました。ところが、修復できないままかなり破壊された状態で残っている、前線により近い地方の街も多く「そういう現実を忘れないでくれ」とも言われました。 ──なぜここまで、戦争が長引いているのでしょうか。 小泉 おそらくプーチン大統領は「ウクライナに一瞬で勝てるはず」と考えていたのでしょう。しかし2022年から4年も戦争が続くなかで、何らか一定の答えを出していると思います。 ウクライナは小さな国というイメージがありますが、じつは近辺のEU加盟国よりもはるかに大きな国です。開戦前の人口はおよそ4400万人。かなり古くはありますが重工業と食料自給ができ、軍隊も大きく国力もあって、旧ソ連で言えば、2番目に国土が広く人口も多い。これらはプーチン大統領も熟知しており、ウクライナを一発で殴り倒すのは物理的に難しいと考えて、心理的なショックをウクライナに与えるために、キーウ占領に踏み切ったのでしょう。しかし、それがうまくいかなかった。キーウ市内への突入が叶わず、ゼレンスキー大統領も逃げなかった。 実はロシアは入念な欺瞞作戦を仕掛けており、ウクライナ軍の主力を引き剥がすために「東から攻めていくぞ」というポーズを取りました。実際にウクライナ軍の主力はそれにつられて東側へ移動してしまい、その隙を狙ってベラルーシから別のロシア軍の部隊が一気にキーウを襲撃しました。 首都に残されていたのは、ごく少数の警備隊や内務省の部隊(警察)、そして一部の特殊部隊だけでしたが、訓練部隊から古い大砲を引っ張り出し、わずかな兵力と火力だけでとにかく2週間持ちこたえました。その間に、主力部隊が東部の前線から引き返してきたので首都陥落は免れた。こういう凄まじい綱渡りがありました。 ただし、この綱渡りがなぜうまくいったのかは、正直なところ誰にもわかりません。数値化しにくい「現場の凄まじい頑張り」だけで持ちこたえていたので、ゼレンスキー大統領が首都を脱出していてもおかしくはなかったと思います。 最近になって、ゼレンスキー大統領は、開戦当初に米国や英国から「特殊部隊とヘリを送るから、首都から逃げてこい」という打診を受けたと明らかにしています。しかし、ゼレンスキー大統領はそれを断りました。 もともとお笑い芸人であったゼレンスキー大統領に対し、プーチン大統領はおそらく「どうせすぐに逃げ出すだろう」と高を括っていたのだと思います。たしかにゼレンスキー大統領はポピュリスト政治家という側面もあります。しかしそうした芸人としての一面を持つからこそ「ここでウケたい」という芸人としての本能が働いたのではないかと私は見ています。あそこで首都から逃げずに踏みとどまれば、「ドッカンドッカンウケる」という絵を描いていたように思います。 大統領府長官のイエルマークはゼレンスキー大統領の芸能活動にかかわっていた仲でした。命がけのショーとして首都に留まり「我々は誰も逃げていない」というビデオメッセージまで発表した。これがウケるのか、それともシラけてしまうのかはやってみるまでわからなかったはずですが、大ウケした。その結果、国民的結束が弱いと言われていたウクライナの人々があの瞬間に結束し、普段は醜い争いをしている政治家たちも一時的に闘争をやめて一丸となりました。

クーリエ・ジャポン
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