コラム:「国際金融のトリレンマ」に直面する日本、円防衛策にほころびも=佐々木融氏
[東京 26日] - 日銀の植田和男総裁は先週21日、衆院予算委員会で「長期金利が急激に上昇するような例外的な状況では、機動的に国債買い入れの増額を実施する」と発言した。もっとも、一方で「(最近の長期金利上昇は)基本的には景気の緩やかな回復が持続していることや、基調的な物価上昇率が高まってきていることを反映した動き」ともしており、現在までのところ動きが急激だと判断しているわけではなさそうだ。筆者は長期金利急上昇をいずれ政府関係者がけん制するかもしれないと考えていたが、植田総裁自らがこんなに早いタイミングでけん制してくるのはやや意外だった。
日本のインフレ率(消費者物価指数前年比)は既にプラス4%台まで上昇している。生鮮食品を除く総合指数(コアCPI)は前年比プラス3.2%だが、消費者が直面しているのはプラス4%のインフレ率だ。さらに言えば、生活必需品に絞った基礎的支出項目のインフレ率は前年比プラス5.4%となっている。こうした中で、人手不足から賃金の上昇率も5%近くとなっているのだから、長期金利が1.4%まで上昇したとしても水準としては低過ぎると言っても良いだろう。
筆者は今後も人手不足の状況がさらに深刻化することから、日本のインフレ率は高止まりし、日銀は今後も利上げを続ける必要性に迫られると考えており、それに従って、長期金利も上昇していくことになると考えている。しかし、政府債務残高が異常な水準までに膨れ上がった日本では、長期金利が上昇して高水準での推移が続くと、利払い費が増加し、債務残高も加速度的に大きくなる。日本が債務残高が大きくても財政支出をちゅうちょなく進めてこられたのは、四半世紀に渡りマイナス─ゼロ金利の状態が続いた結果、利払い費が減少傾向であったためである。こうした状況下で長期金利が上昇し始めると、歳出のためのコストが上昇するため、政府から長期金利上昇を抑制するよう圧力がかかると予想される。
以前であればそうした圧力は「中央銀行は長期金利をコントロールできない」と突っぱねることができたが、日銀はイールドカーブ・コントロール(長短金利操作、YCC)政策の下、長期金利上昇を止めることができることを見せてしまっているため、最終的には政府からの圧力を突っぱねることができなくなるだろう。その結果、日本の金利はインフレ率に比べて極めて緩やかにしか上昇しないであろう。つまり、実質金利の大幅マイナス状態は恒常化する。
日本は1930年代に日銀による国債引き受けによる財政支出の増大でデフレを脱却した経験がある。しかし、デフレは脱却したものの、地政学的リスクが差し迫る中で結局こうした政策を止めることができず、財政ファイナンスを続け、結果的には戦争に突き進み、戦中・戦後の紙幣増発でハイパーインフレとなった。そうした状況を受けて、戦前には1ドル4円台だったドル/円相場は1ドル360円に設定された。要するに、日銀が国債を大量に購入することにより、財政支出を拡大する政策は、一度始めたら止められないということを日本は経験している。それなのに、その教訓は今回も活かされなかった。
米国のトランプ政権による、対外援助事業を担う国際開発局(USAID)の縮小・閉鎖に向けた動きが、なぜか日本では財務省解体を訴えるデモ行動に繋がっていると聞く。米国の動きは財政支出削減方向の動きなのに、どこでどうロジックが変わっているのか定かではないが、「閉鎖・解体」という点に注目が集まり、日本では緊縮財政反対に繋がっているようだ。日銀はいずれ財政支出拡大を支えるためにさらなる国債購入を迫られ、利上げも行いづらくなってくる可能性がある。「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という言葉が思い出される。
今後人手不足がますます深刻になり、インフレ率が高止まりするような状況下で、政府が歳出を増やす一方、日銀が十分に金利を上げられず、再び国債買い入れを増やして長期金利が上昇しないように国債市場に介入を行ったりすると、実質金利のマイナス幅が大きくなり、為替市場では円安が進むことになる。
そうなると、財務省が再び円買い・米ドル売り介入を行うことになると考えられるが、円安を止めるための原資である日本の外貨準備は160兆円程度しかない。日本企業は今でも巨額の対外直接投資を行っており、ここから年間10兆円弱の円売りが発生していると推計される。トランプ米大統領の対米投資要請や米国製品の購入要請でこの円売りはさらに増加してもおかしくない。新NISA(少額投資非課税制度)を通じた外国株投信への投資に伴う円売りも、今年は年間10兆円を超えそうだ。その他、貿易・サービス収支と第二次所得収支の赤字も10兆円を超える。そして円売り予備軍として、家計が保有する1000兆円以上の現金・預金が存在する。もちろん、第一次所得収支の黒字の一部で日本に戻ってくる部分やその他の円買い要因もあるが、年間30兆円の実需の円売りフローがあり、潜在的にさらに多額の円売りが発生してもおかしくない国が、160兆円程度の外貨準備(もちろん、実際には全部は使えない)で自国通貨の下落を止めることはできないであろう。
「国際金融のトリレンマ」として有名なように、「1)自由な資本移動、2)固定相場制、3)金融政策の独立性」の3つのうち、同時に達成できるのは2つのみだ。つまり自由な資本移動の下では、金融政策で独自路線を貫こうとすれば(日本の場合にはインフレ下での超低金利)、円安が進むのを受け入れざるを得ず、円安を止めようとすれば、金融政策で行うべきことはおのずと決められる(日本の場合は金利を大幅に引き上げる)。つまり、円安を止めるために為替市場で円買い・米ドル売り介入を行い、かつ国債市場に介入し国債を大量購入することにより金利上昇を食い止めるという政策は両立できない。移民の受け入れも拒否し、財政支出は続け、金利上昇もなるべく抑えたいという姿勢が続くなら、最も政府のコントロールが効かない円相場が犠牲になることになると考えられる。
編集:宗えりか
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*佐々木融氏は、ふくおかフィナンシャルグループのチーフ・ストラテジスト。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。2010年にマネージングディレクター就任、2015年から2023年11月まで同行市場調査本部長。23年12月から現職。著書に「弱い日本の強い円」、「ビッグマックと弱い円ができるまで」など。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」, opens new tab