陸上に植物が進出する前に大地は「菌の王国」だった可能性がある
私たちの多くにとって、菌類はひっそり暮らす地味な存在です。
もしそんな菌類たちが、はるか昔には地球の主役だったとしたらどうでしょう?
これは、地球史を描いた教科書の内容そのものを塗り替えるほど、大胆な話です。
私たちが学校で習ってきた地球の歴史では、陸地に植物が根を張る前の世界は「荒涼とした岩の荒野」だったと教えられてきました。
植物はおろか、動物すらまだ姿を見せない、砂漠よりもずっと寂しい世界が広がっていたと考えられてきたのです。
ところが最新の研究は、この「何もない世界だった」という常識を揺さぶっています。
キノコの仲間である菌類こそが、その「植物のいない荒野」に先駆けて地上を支配し、ひそかに世界を変えていた可能性が出てきたからです。
生物の歴史を少し振り返ってみましょう。
地球の歴史をひもとくと、私たちがよく知るような複雑な多細胞生物は、主に五つのグループで別々に進化しました。
動物、植物、菌類、紅藻(こうそう:赤い藻類の仲間)、そして褐藻(かっそう:昆布などの仲間)です。
この五つのグループは、それぞれ全く異なる単細胞生物の祖先から独立して進化し、大型化や複雑化を達成しました。
こうした生物がいつ頃出現したのかを調べるため、ふつうは地層に眠る「化石」を証拠にします。
化石を掘り出すことで、「○○は△△億年前には存在した」という進化の年表が見えてきます。
たとえば紅藻については、現在の紅藻につながる祖先と思われる化石が約16億年前の地層から見つかった可能性があります(この解釈には議論も残ります)。
動物では、エディアカラ紀(約6億年前)の地層から多細胞の不思議な生き物たちの化石(エディアカラ生物群)が大量に見つかっています。
このことから、6億年前ごろには動物が地球に登場していたことがわかります。
陸上植物については、オルドビス紀中期(約4.7億年前)ごろにできたクリプトスポア(胞子の化石)が最古の証拠です。
実際に植物が地上にはっきり根付いたのは、その後の約4.7〜4.3億年前の間だと考えられています。
このように、多くの生物グループの進化年表は、地層に残った化石をもとにおおよそ整理されてきました。
ところが、この進化年表に大きな空白を残してきたグループがあります。
それが真菌類です。
真菌といえば、カビやキノコなど、柔らかくて糸のような体を持つ生き物たちです。
真菌たちは細菌や古細菌よりも人間に近い生物であり、ときにキノコのように目に見えるサイズにまで集まることもできます。
ただキノコのような菌類の化石は非常に珍しいことが知られています。
化石は硬い殻や骨格が残りやすいため、菌類のような柔らかく壊れやすい生物はなかなか化石になりません。
このため、古生物学者たちは菌類がいつから存在していたのかという謎に長い間苦労してきました。
もし過去にキノコ王国が地上を支配していたとしても、その痕跡を探すのは容易ではないでしょう。
コラム:真菌は細菌と全然違う生命
真菌(キノコやカビの仲間)は、細菌や古細菌とは根本的に異なる生命グループです。複雑な細胞構造を持ち、多細胞化することで大きな体をつくってキノコになったり、他の生き物と共生して地衣類のようなユニークな生き物にもなれるのです。一方でで細菌(バクテリア)や古細菌(アーキア)は真菌に比べてシンプルな細胞をしており、多細胞化して目に見える複雑な体を作ることはできません。迷路を解いたり巣から脱走するタマホコリカビも真菌に含まれます。なお今回の記事ではわかりやすさのために真菌の代表として「キノコ」を多く引き合いに出していますが真菌=キノコという意味ではありません。
さらに菌類の進化は、他のグループよりも特別に難しいという事情があります。
動物や植物は、それぞれ「たった一回の多細胞化」から大きく進化しましたが、菌類の場合は、単細胞から多細胞への進化が複数回、異なる道筋で起こった可能性があります。
つまり菌類は、進化のスタートラインが一本ではないため、「菌類の多細胞化はいつ起きたか?」という根本的な問いに答えるのが非常に難しかったのです。
もし仮に菌類が植物よりもずっと前に地上で活動していたとしても、その正確な時期を知る方法がありませんでした。
そこで科学者たちは「分子時計」という手法に目を向けました。
分子時計とは、生物のDNAの変化が一定の割合で進むことを利用して、「化石がなくても進化の年代を推定できる」方法です。
ところが菌類の化石が極めて少ないため、分子時計を正しい年代に合わせるための「目印(校正点)」がほとんどありませんでした。
結果として、これまで菌類の進化史はぼんやりとした輪郭しか描けなかったのです。
果たして、この困難な菌類の進化の謎に、研究チームはどのように挑んだのでしょうか?