自殺未遂するほど辛くてもやめられない… 「快楽婚ビジネス」急拡大の理由
インドネシア西ジャワ州の山岳地帯、プンチャック Photo: 69farhan_ / Creative Commons
Text by Stephanie Yang and Dera Menra Sijabat
当初は、家族や知人を通じて少女や若い女性たちが観光客に紹介されていたが、現在では仲介業者がその役割を担っている。
ジャカルタのシャリフ・ヒダヤトゥラー・イスラム宗教国立大学でイスラム家族法を教えるヤヤン・ソピャン教授は、この慣行が普及しているインドネシアの多くの町には、他に経済的な見通しがないと指摘する。パンデミックによって、状況はさらに悪化した。
「現在、この慣行は拡大の一途を辿っています」とソピャン教授は指摘する。「観光が経済的なニーズに応えているのです」
インドネシアで小規模事業を経営するブディ・プリアナは、20代の頃にサウジアラビアで料理人として働いた経験があり、そこでアラビア語を習得した。彼が契約結婚について初めて耳にしたのは、30年前、中東からの観光客を案内していた際に、「一時的な妻」を探してほしいと頼まれたときのことだった。
その後、彼は観光客と契約結婚を希望する女性を仲介業者に紹介して収入を得るようになった。それは割のいい副業となった。
ブディによると、知人の仲介業者たちは近年ビジネスを急拡大しており、月に25件もの結婚を仲介する者もいるという。55歳のブディは、運転と通訳の報酬として結納金の10%を受け取ることもあるが、自分はあくまで女性の就労を手助けしているのであり、できる限り女性の保護を図っているのだと主張する。
「契約結婚を希望する女性たちから引っ切りなしに連絡がありますが、自分は仲介業者ではないと伝えています」と彼は話す。「経済状況の悪化に伴い、女性たちは必死に働き口を探しているのです」 チャハヤが「契約結婚」について知ったとき、彼女はすでに一度結婚していた。13歳のときに、祖父母の勧めで村の同級生と結婚させられたのだ。4年後、夫から離婚を言いわたされ、幼い娘を一人で育てなければならなくなり、経済的な支えも失った。
靴工場や雑貨店で働くことも考えたが、それでは給料が低すぎて、暮らしていけそうもなかった。
彼女が生活費の工面で悩んでいるのを知った姉は、自身の契約結婚の経験を打ち明け、妹にブディを紹介した。ブディはチャハヤを仲介業者に引き合わせた。
チャハヤは一回の契約結婚ごとに300〜500ドルを稼ぎ、家賃や食費、病気の祖父母の治療費に充てた。それでも充分な額とは言えなかった。「何とかして母と家族を経済的に助けたかったんです」と彼女は言う。
現在28歳のチャハヤは、契約結婚で生計を立てている事実を恥じて、友人や親族には長期不在の理由を「家政婦の仕事を転々としている」と偽り続けている。
「契約結婚のことは誰にも話していません」と彼女は言う。「もし知られたら、死にたくなるでしょう」
3年前、友人が恋人になったときも、彼女は嘘をつき通すと決意し、自分の携帯電話から証拠となるメッセージを削除するほどだった。
契約結婚は、法的に登録されていない、定義の曖昧な広義の宗教婚という分類に入る。これはイスラム教徒が多数を占める多くの国で広く見られ、特に若い少女の保護という点で、政府に難題を突きつけている。
インドネシアの法律は婚姻の法定最低年齢を19歳と定めているが、宗教的結婚の多くは政府の監視が及ばず、未成年で花嫁になるケースが後を絶たない。
「国民は政府が宗教的な事柄に介入すべきではないと考えています」とイスラム家族法の専門家であるヤヤンは説明する。「法律は婚姻の正当性を定義しておらず、宗教の規定に委ねています。そこに問題があるのです」
イスラム教徒の間でも契約結婚は議論の的となっている。シーア派は、預言者ムハンマドがこの慣行を容認したとして、比較的寛容な立場を取る。この慣行はイスラム教以前から、既婚の男性旅行者が姦通を犯すことなく性的交渉を持つ手段として存在していた。
一方、スンニ派はムハンマドが当初はこれを許可したものの、後に撤回したと解釈している。とはいえ、両派とも、多くは事実上の売春だとみなしている。
インドネシアの最高位のイスラム指導者組織であるインドネシア・ウラマー評議会は、「一時的な契約結婚は違法である」と宣言している。
ところが、この慣習を取り締まろうとする試みは、女性たちが契約結婚の経験を報告することを躊躇する傾向に加え、結婚仲介業者、宗教指導者、汚職官僚らの癒着によって阻まれてきた。
「法的保護がまったく存在していません」と、活動家団体「ジャカルタ・フェミニスト」でプログラム・ディレクターを務めるアニンディア・レストゥビアニは指摘する。「法律はあるのですが、その執行は極めて困難です」
インドネシアの女性エンパワーメントと児童保護省のビンタン・プスパヨガ大臣は、声明文のなかで「金銭的対価を伴う一時的な夫婦関係の契約は違法である」と明言した。2021年には、プンチャック地域の地方自治体が、この方針を周知するためにタスクフォースを立ち上げた。 2018年、チャハヤは複数の女性たちと一緒に車に乗り込み、一時的な妻を希望する2人の観光客のもとへ向かった。男性一人がチャハヤを、もう一人がニサと名乗る女性を選んだ。
ニサにとってはそれが最初の契約結婚だった。カラオケバーで男性たちと戯れて飲み物を買わせる仕事では家賃を払えなかったため、父親の同意を得て、契約結婚を試すことにしたのだ。チャハヤと同じく、ニサも以前の結婚で生まれた娘を育てていた。
ニサもチャハヤも、契約結婚の申し出を断ったことは一度もない。それは、離婚後40日間は再婚を控えるというイスラム教の規定を無視することを意味している。選ばれる確率を上げるため、男性が好む19歳未満と年齢を偽ることもよくあるという。
現在32歳のニサは、最初の契約結婚についてこう語る。「心の奥では泣いていました。誰が老いた男性と関係を持ちたいと思うでしょう? 純粋にお金のためにしたことです。両親の食いぶちと兄弟の学費を稼ぐために」
ニサの勧めで彼女の妹も契約結婚に踏み切り、処女であることを理由に初回の結納金として3000ドルを得たという。ニサの契約結婚の回数は20回にも及ぶ。
だが、チャハヤと違って、ニサは足を洗った。シンガポールの就労ビザを申請中に入国管理事務所で働くインドネシア人男性と出会い、4年前に恋愛結婚をしたのだ。現在、夫婦は2人の幼い息子と、ニサの12歳の娘と共に暮らしている。
「夫は私の過去を知っていますが、それでも受け入れてくれました」とニサは語る。「いまはもう、契約結婚の世界に戻るなんて考えられません」 チャハヤもまた、この生活から抜け出したいと切望している。
チャハヤが最後に契約結婚をしたのは2023年のことで、相手の男性は「サウジアラビアに帰国すれば女王のように扱う」と約束した。結納金2000ドルのうち1300ドルが手元に残り、さらに月500ドルを支給するという申し出は、あまりにも魅力的で断れなかった。不在中の娘の世話は母親に頼んだ。
ところが、2023年10月にサウジアラビアの沿岸都市ダンマームに到着すると、男性は彼女を奴隷のように扱ったとチャハヤは言う。大勢の親族が暮らす大きな家の3階で生活しながら、無報酬ですべての家事を強いられた。男性は彼女の食事に唾を吐き、毎晩のように怒鳴り声を浴びせ、物を壊し、眠ろうとする彼女を蹴り起こすなど、しばしば暴力を振るった。
彼女は何度も逃亡を試みたが、その度に捕まった。最終的にブディに連絡を取り、彼は数ヵ月にわたり、ジャカルタのサウジアラビア大使館やインドネシアの各省庁に救助を要請し続けた。
チャハヤの絶望は日増しに深まり、祖母の危篤を知らされた際、ナイフで左手首を切って自殺を図り、病院に運ばれた。ブディによると、この事態を受けて大使館での手続きが加速し、3月には相手の親族が彼女の帰国便のチケットを手配した。
インドネシアに戻ってから、チャハヤはバイクで乗客や食事を運ぶことで月に77ドルほどの収入を得ている。また、ブディ夫妻の本業のミートボール販売を手伝い、携帯電話代や食事代、電気代に充てている。
いつかまた正式な結婚がしたいと思ってはいるが、契約結婚の過去が恋人にばれて捨てられることを恐れている。
一方で、次の契約結婚に向けて、ふたたび仲介業者と連絡を取りはじめてもいる。チャハヤは言う。
「本当はいまでも怖くてたまりません。それでも、機会があれば喜んで受けるつもりです。生活のために必要なんです」