日曜に書く 論説委員・藤本欣也

香港・大埔の大規模火災の追悼集会にメッセージを添える人々=7日午後、東京都渋谷区(奥原慎平撮影)

果たして、現実の世界の出来事なのか、誰しもそう思ったに違いない。香港・大埔(だいほ)の高層住宅群で起きた大規模火災―。こちらからも、あちらからも、その向こうからも、炎と煙が立ちのぼる。建物にはまだ人がいるはずなのに…何もできない…。

160人以上の死者・行方不明者を出した火災から10日余りたった今月7日夜、東京・渋谷の駅前で追悼集会があった。

300人ほどの参加者とともに、香港人留学生の劉卓杰(りゅうたくけつ)さん(33)は黙禱を捧げた。火元の高層住宅のすぐ隣の建物2階に自宅があった。2年前まで自身も住んでいた場所だ。

病身で車いすを使っていた父親(75)の行方が分からないと連絡があったのは11月26日夜。東京郊外の住まいで独り、燃え盛る炎の映像を見つめ続けた。

焼け残った自宅のトイレで父親の遺体が確認されたのは2日後のこと。最期まで握っていた物、それは自らの身分証だったという。

言論弾圧と削除と

火災の被害が拡大した原因として、工事用の防護ネットが耐火基準を満たしていなかった点などが挙げられている。人災であることは明らかだった。

香港政府に対し業者への監督責任を問う声が上がり始めると、中国の習近平政権が背後で操る香港政府は批判の封殺に乗り出した。言論弾圧である。

火災発生から3日後、香港中文大の学生、関靖豊氏(24)を扇動容疑で逮捕した。関氏は①被災者の支援継続②独立調査委員会の設置③監督制度の見直し④政府の責任追及―という「四大要求」を掲げ、ネット上で賛同の署名を呼び掛けていた。署名は1万人を超えたが、逮捕によってサイトは閉鎖された。

関氏は3年前にも、中国の民主化運動が武力鎮圧された天安門事件(1989年)が起きた6月4日に、ビラを信号などに貼って罰金刑を受けている。ビラには「真実を話すことを恐れるな」と書かれていた。

市民は時勢に敏感だ。関氏が逮捕されるや、SNSに投稿した自らの政府批判を削除し始めた。2020年の香港国家安全維持法(国安法)の施行後、政治的発言を控えていたものの、未曽有の人災を前に、鬱積していた思いを吐露する香港人が少なくなかったのである。

正義を重んじた父

劉さんの父、劉文光氏は中国・広州生まれ。文化大革命の際に地元で紅衛兵のリーダーを務めた。その後、香港に渡って、内装業者として働き、子供3人を育てた。火災当時は家族が外出していて独りだった。

父親がよく自慢したのは紅衛兵の標的となった教師を守ったこと。「そのとき脚を撃たれたそうです。正義感が強く、誠実な人でした」と劉さんはいう。

寡黙な父親が政治の話をすることはなかったが、19年に反政府・反中国共産党デモが続発した際には、毎晩のようにラジオで政治討論を聞いていた。

「実は、天安門事件を伝える発生当時の香港紙を父は大切に持っていたんです。それも焼けてしまったでしょうね…」

燃え尽きない思い

渋谷の追悼集会を主催したのは香港民主派の元区議、葉錦龍氏(38)である。3年前に来日し研究活動に従事している。

「まるで香港そのものが、親中派政府や中国という炎に包まれて燃えているように見えた。香港が焼き尽くされてしまわないようにしないといけない」

そのためにどうすればいいのか。市民や当局が火災に関する投稿やサイトを削除・閉鎖し、政府に都合の悪い情報が消滅していく中、「記憶する、忘れない」ことが大切だ、と訴える。

「それこそが、亡くなった人々の思いを私たちの心に留(とど)め、火災の真相を求めて正義を守ることにつながるはずだ」

恐れることなく政府の責任を追及した関氏の思いも消滅せずに引き継がれた。元大埔住民が別のサイトで同様の要求を掲げて署名活動を再開。現在、署名は1万3千人を超えている。

劉さんの父親はなぜ、火が迫りくる中で自らの身分証を手にしたのか。発見時に身元が分かるようにしただけだろうか。

決して焼き尽くされないと信じたもの、家族にこれだけは残したいと願ったもの、それが身分証に明記された『劉文光』だったのではないか。

「父は香港に裸一貫でやって来て奮闘し、一生を懸けて家庭を築き上げた」と語る息子の記憶の中に、劉文光氏の思いはしっかりと生きている。「誇り」は燃え尽きなかったのだ。(ふじもと きんや)

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