ライオンズ一筋20年で歴代最多165与死球「バッターの威圧に負けず投げきれた」東尾修氏が語る “ケンカ投法”と近鉄・デービス氏との乱闘裏話

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東尾氏は20年間の現役生活で歴代10位となる251の勝ち星を積み重ねたが、その一方で247の負けもある。この247敗という数字は、金田正一氏(298敗)、米田哲也氏(285敗)、梶本隆夫氏(255敗)に次いで4番目に多い。

東尾: これ、すごいですね。

徳光: この251勝247敗っていう成績ですが、負け数が多いっていうことに関しては、どう思ってらっしゃるんですか。

東尾: 「ここまでよくできたな」と誇りに思いますよ。

ツキもあるんですよね。僕の入団当時“黒い霧事件”がありましてね。

黒い霧事件とは、1969~1971年にプロ野球選手の八百長・賭博への関与が相次いで発覚し、6名が永久追放処分となった問題だ。その中心だったライオンズはエースの池永正明氏など4名が永久追放処分になった。

徳光: あの年にお入りになったんですね。

東尾: 入って1年目にあれがあって、それでエース級のピッチャーがいなくなった。普通は僕なんかが1年目に一軍で投げるチャンスっていうのはないんですよ。でも、それで投げさせてもらえた。

歴代最多165与死球…強気の内角攻め

徳光: 球史に残る165のデッドボールは東尾さんとしてはどうお考えですか。

東尾: バッターの威圧にも負けずに、よく投げきれた。怖い人もいらっしゃるし(笑)。

徳光: やっぱり内角攻めは自分の個性だという思いがあったんですか。

東尾: 器用さはあったんですけどパワーがないんです。でも、逃げるのはやっぱり嫌なんですよね。そういう気持ちの中で「攻めていかなきゃ」って。力むと、どうしてもすっぽ抜けるときがありますから。

わざと投げてるんじゃないんですよ。

徳光: そうですよね。東尾さんは確か「打者がよけるから当たるんだ」とおっしゃってましたよね。「よけなければ絶対当たってない。俺はそれだけのコントロールがある」って。

東尾: 当たりにくる人がいるわけですよ。例えば、昔はユニフォームの中にタオルを入れて当たりに来る人とかもいたんだから。

徳光: そんな人がいるんですか。ある評論家が「普通、ピッチャーはキャッチャーミットという点に向かって投げるが東尾の投球は線、つまりボールを離したところからミットに行くまでの線で投げてる。だからコントロールがものすごくいい」っていう話をしてました。

東尾: そうですか。へぇ。それはうれしいですね。

真弓明信氏が「プロ野球レジェン堂」に出演した際、「東尾さんのピッチング練習でバッターボックスに立っていて、インコースの高めのスレスレに来るボールを最初はよけていたが、東尾氏のコントロールが良いため途中からよけなくなった」と語っていた。

東尾: あいつ、いいこと言うな。あいつ、いいやつなんだよ(笑)。

徳光: 当てようと思って、わざとデッドボールを投げたわけではないということですね。

東尾: いや、1回だけありました。

徳光: ありましたか(笑)。

東尾: ええ。

徳光: 誰ですか、それ。

東尾: 西武の若い野手、1年目の野手がぶつけられたんですよ。

徳光: それは明らかに故意に当てられたと。

東尾: 「分かった。俺が仕返ししてやる。試合に勝つことが決まったら、1人や2人ぶつけてやるから」って。回が進んで、1人、足にぶつけました。

徳光: 足ですか。

東尾: ええ。ぶつけた人の名前はちょっと…。

徳光: 言えないですか。

東尾: 言えないです。

徳光: そうですか(笑)。

マウンドから逃げない…近鉄・デービス氏との乱闘

1986年6月13日の西武対近鉄戦で、東尾氏が近鉄の4番・デービス氏に投じたインコースのシュートが右ひじを直撃。激高したデービス氏はマウンドに突進して、東尾氏に4~5発のパンチやキックを浴びせた。東尾氏はグローブで応戦し、両チームの選手が入り乱れる乱闘となった。デービス氏はそのまま退場処分、東尾氏は顔面打撲などのケガを負いながらも完投勝利を飾った。

徳光: あの場面で、東尾さんは逃げずに立ち向かった。

東尾: ええ、そうです。僕は普段から若いピッチャーに、「当てても絶対にマウンドを捨てて逃げるな」と言ってたんですよ。センターのほうへ逃げるピッチャーとか…。

徳光: いましたね。

東尾: 逃げるピッチャーがいっぱいいたんですよ。「それはみっともないから、絶対やめろ」と言ってたんです。それを言ってる手前、私は逃げるわけにはいきませんし。

「やっぱりデービスは来たな、身構えなきゃ」と思って、僕は左手で防ごうとしたんです。

徳光: でも、映像を見ると実際に殴られてましたよね。

東尾: ええ、そうです。ちょっと頬のへん、かすりました。

徳光: かすった程度ですか。きれいに入ってるような感じがしたんですけど。

東尾: いや、入らなかったです。入ってたら、やっぱり、すぐマウンドには立てないでしょ。そのあと、投げられましたから。

徳光: かっこよかったですし、今、うかがってて、『東尾修は侍だな』と思いましたね。

“名将”尾藤公監督との出会い

東尾氏は和歌山の箕島高校出身。当時の箕島高校を率いていたのは尾藤公氏。1966年に野球部監督に就任すると春3回、夏1回の甲子園優勝に導き「勝負師」と呼ばれた名将だ。

徳光: 箕島高校って県立ですよね。

東尾: はい、そうです。

徳光: 試験があるし、難しかったでしょう。

東尾: いや、意外と中学生のときには勉強してたもんですから、あんまり苦労なしに入学はできました(笑)。

徳光: 笑いながら言うとウソになりますよ(笑)。

じゃあ、わりとスムーズに箕島高校で野球をされることになったわけですか。

東尾: 実は、僕はその前に(京都の)平安高校に行くことになってたんですよ。

徳光: へぇ。中学のとき、相当すごいピッチャーだったってことですね。

東尾: もう布団とか荷物とか平安高校に送ってたんですけど、尾藤さんが、「どうしても来い」って。

徳光: 尾藤さん、当時はまだ若いでしょ。

東尾: まだ監督にはなってなかったんです。

徳光: えっ。

東尾: 同時に入ったんです。次の年から箕島の監督になる尾藤さんが、中学生のとき僕が投げてるのを見てた。

徳光: へぇ。尾藤さんは後に、高校野球の名伯楽っていわれる人になりましたけど、東尾さんと一緒に箕島から出発したことによってなんですね。これは運命共同体ですね。

東尾: そんなことは全然考えてもなくて、分かんないし…。よく甲子園に出られたなって。

名門・箕島の夜明け…甲子園初出場でベスト4

徳光: 東尾さんが入る前までは箕島は甲子園に行ってないんですよね。

東尾: はい、行ってないです。

徳光: 尾藤さんが率いて箕島は、甲子園であれよあれよという間にベスト4まで行ったわけですが、尾藤さんは、やっぱり優れた監督ですかね。スパルタか何かで、怖いんですか。

東尾: 当時は「監督は怖い人」だと思ってましたけど、そういう意味では先を見ていて、例えばケツバットとかいろいろあったんですけど、そういうのを全部禁止にしました。

徳光: 民主的な方だったわけですね。でも、野球部の伝統としては、ケツバットがあったわけですか。

でも、尾藤さんが来たことによって、それがなしになった。

東尾: それがですね、練習が終わって尾藤さんがユニフォーム脱いで帰る。そのときに先輩からやられるんですよ、尾藤さんがいない間に。

徳光: 尾藤さんがいるときだけはないんだけど…。

東尾: そうなんですよ。

徳光: それで、3年生のときにセンバツに出場。

東尾: 秋季大会で準優勝したんですよね。それで選抜に選ばれて。

徳光: その秋季近畿大会ではノーヒットノーランをやってますよね。しかも2回も。

1967年秋季近畿大会。箕島高校の東尾氏は、1回戦で東山高、準々決勝で甲賀高を相手にノーヒットノーランを達成。箕島高校は準優勝し、翌年春の選抜出場を果たす。

徳光: やっぱりすごいピッチャーだったんですね。2年生でノーヒットノーラン2回ですから。

東尾: まさかノーヒットノーランができるとは思ってなかったです。

徳光: そうなんですか。

初めての甲子園はどうでしたかね。

東尾: もうガムシャラ。今はいろんなデータとかありますけど、当時は相手のバッターとかもう全然知りませんし。

徳光: でも、バットでも活躍された。甲子園でホームランも打ってらっしゃる。

1968年の春の甲子園の1回戦、東尾氏は苫小牧東から本塁打を放っている。

東尾: 1回戦でレフトスタンドに打ったんですよ。バッティングが好きだったんです。

徳光: これは推測の域を出ないんですけど、尾藤さんが後に名監督と言われるその礎には東尾さんがいた。東尾さんの存在があって、甲子園に行けた。そこから、尾藤さんの甲子園への道はスタートしたと思うんです。

東尾: そうですかね。

徳光: 自信をつけたことによって、後に次々と、島本講平さんとか吉井理人さんとか、こういった名選手を輩出してくるわけじゃないですか。

東尾: そうですね。その近くから結構、箕島高校にいい選手が来るようになったですね。

西鉄からまさかのドラフト1位指名

徳光: 箕島高校時代、これだけ活躍すると、プロのスカウトが来たんですかね。

東尾: ジャイアンツの方か来てたんですけど、尾藤さんは、スカウトが来たっていうことは、私には一切言ってくれないんです。

徳光: それは何でだろう。

東尾: のぼせ上がるからじゃないですか(笑)。

でももう、そのときはプロに行きたいっていう気持ちが90%になってましたね。ドラフト3位でも4位でも5位でも。「5位ぐらいまでやったら入りたいな」という気持ちはありました。

徳光: でも、まさか、そこで1位になるとは思わなかった。西鉄からの接触は事前にあったんですか。

東尾: 西鉄はないと思います。ジャイアンツのスカウトは来てたんですけど。

「西鉄って、えっ、どこ? 九州って…」。

徳光: あ、そうなんだ。

東尾: ええ。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/10/1より)

【中編に続く】

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