「先生、結婚できましたよ」伝えられなかった悔しさ 北新地放火事件から4年も爪痕深く
令和3年12月の大阪・北新地ビル放火殺人事件では、心療内科クリニックの院長や患者ら計26人が犠牲となっただけでなく、院長に支えられていた多くの患者が心のよりどころを失った。患者らは喪失感と戦いながら懸命に生き、大切な人を亡くした遺族は癒えぬ悲しみを抱えながら現実と向き合ってきた。事件は17日で発生から4年となったが、残された爪痕はなお深い。
「先生の死で行き場を失い、傷ついたままの人が多くいる」。現場となった「西梅田こころとからだのクリニック」の元患者の女性(41)=大津市=は、亡くなった西澤弘太郎院長=当時(49)=への感謝とともに、自身と同じく、院長を頼っていた患者に思いをはせた。
休職を余儀なくされた人たちが多く通っていた同クリニック。女性も短大卒業後に医療事務の仕事に就いたが、発達障害もあり、うまく仕事をこなせなかった。上司から「親の顔を見てみたい」と罵(ののし)られるなどして鬱病を発症し、退職した。
当初は別の心療内科に通ったがなじめず、転々としていた。そんなとき、インターネットで西澤院長のクリニックを見つけ、再就職を目指して令和2年3月から通うようになった。
「大丈夫。あなたが就職できることを証明してあげるから」。診察初日から西澤院長の言葉は力強かった。予約が取りにくい心療内科も多い中、このクリニックは気軽に立ち寄り、うまく表現できない心情も丁寧に聞き取ってくれた。「厳しいことも言われたけど、誰よりも真剣に向き合ってくれたからこそ信頼できた」。
最後の診察となったのは4年前の12月9日。志望先の最終選考を控えていた女性を、西澤院長は「あなたはもう大丈夫。就職できるよ」と笑顔で励ましてくれた。事件が起きたのは8日後。院長の無事を願ったが、まもなくネットで亡くなったことを知った。
現場で献花するクリニックの患者だった女性=9日午後、大阪市北区(南雲都撮影)これからどうすればよいのか。信じられず、茫然(ぼうぜん)自失となった。だが、院長の言葉に背中を押されて年明けの選考に臨み、3月にホームセンターへの就職が決まった。
女性は今もホームセンターで働き、昨年には結婚もした。新たな人生を歩み出したが、信頼できる人を失った心の隙間は埋まらず、今の自分を見てもらえなかった悔しさも残る。
ガソリンをまいて火を放った男=当時(61)=は死亡し、真相は不明なまま。男への怒りは消えないが、それでも「先生に支えてもらった分、この先、前向きに生きていきたい」と自分に言い聞かせる。
毎年、12月9日には現場を訪問。今年は「華やかなものが好きな先生が喜ぶのではないか」とバラの花を供えた。「こんな私でも結婚できたと自分でも驚いている。先生に『結婚できましたよ』と伝えたかった」。充実した生活を導いてくれた恩人に静かに手を合わせた。
遺族の「これから」支える制度を
事件では、復職を目指してクリニックに通い、犠牲となった患者らが「無職」とみなされ、遺族らへの補償が低額になるといった問題が生じた。昨年6月に国からの給付金が増額されるなどしたが、遺族からは「被害者や遺族のこれからを支える制度であるべきだ」とさらなる支援拡充を求める声が上がる。
「ある日突然どん底に突き落とされても、『明日を生きていこう』と思える制度に近付いてほしい」。16日に大阪市内で開かれた「犯罪被害補償を求める会」の記者会見。事件で夫を亡くした女性は4年間の身体的、精神的、そして経済的な苦しみを吐露した。
国が支給する「犯罪被害者等給付金」は事件当時の収入を基に算出される。犠牲者の中には、心身の不調で休職中やいったん離職した人もおり、十分な補償を受けられないケースがあった。女性の夫も「復職のめどが立った」と語った直後に事件に巻き込まれた。
昨年6月の制度改正で、遺族給付金の最低額は320万円から1060万円に引き上げられたが、女性は算出方法について、被害発生時の収入ではなく、将来得られるはずだった収入「逸失利益」の考え方を取り入れるべきだと指摘。「あったはずの未来を、制度の中に感じられない」と現状を疑問視する。
事件では放火した男も死亡。損害賠償を求める訴訟を起こすこともできず、「代わりの手立ても今回の制度改正には盛り込まれていない」と訴えた。
同会は被害者支援に特化した「犯罪被害者庁」の設立などを提唱しており、奥村昌裕弁護士は「国が音頭をとって被害者支援に取り組むことが大事だ」と述べた。(鈴木源也、木下倫太朗)