東京に「長崎の平和祈念像」がある理由 彫刻家の足跡をたどると…

東京都北区にある平和祈念像=山野拓郎撮影

あれ?長崎にある平和祈念像にそっくり――。記者は先日、都内の路線バスから、長崎市の平和祈念像によく似ている像を見かけました。その理由を調べてみると、平和祈念像と東京には深い縁があること、平和祈念像に込められた彫刻家の強い思いがあることが分かりました。(withnews編集部・山野拓郎)

長崎市の平和祈念像は、原爆の犠牲者の鎮魂と核廃絶に向けたシンボルとして制作されました。原爆投下から10年後の1955年に完成しました。

高さ約9メートル70の青銅製の座像で、天を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸びる左手は平和を表しています。

記者がバスで見かけた像は、東京都北区のJR王子駅の近くにありました。

改めて訪れて見てみると、やっぱり長崎の平和祈念像にそっくりですが、長崎のものよりも小さく、高さは北区のホームページによると約2メートル40です。

台座には「平和を願う私たち北区民のシンボルとして、平和祈念像をここに建立します」と由来が記されていました。

北区の像も、長崎の像も、制作したのは彫刻家の北村西望さん(1884~1987)です。

37年間、北区に住んでおり、1981年に北区名誉区民に選定されました。

さらに詳しい由来を調べようとしていた矢先、同僚から「原型が武蔵野にあるのでは」という情報がもたらされました。記者は、電車とバスを乗り継いで東京都武蔵野市に向かいました。

作った場所が東京だった

長崎の平和祈念像の原型は、武蔵野市の井の頭自然文化園にありました。

井の頭自然文化園といえば、生き物たちの展示を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、園内の一番奥に「彫刻園」というエリアがあります。平和祈念像の実寸大原型は、そのエリア内の「彫刻館A館」に展示されています。

井の頭自然文化園にある長崎の平和祈念像の原型。通常は撮影不可ですが、今回は許可を得た上で学芸員の立ち会いのもと撮影しました=東京都武蔵野市、山野拓郎撮影

像の高さは32尺(約9メートル70)。鋳造のために104個のブロックに分割できるように作られており、原型ではブロックの合わせ目もそのまま見ることができます。

井の頭自然文化園の彫刻園学芸員の雨宮千嘉(ちか)さんは、「長崎の平和祈念像のことは知っていても、その原型が武蔵野市にあることはそこまで知られていないと思います。彫刻館を訪れて、『なぜこれがここに?』と驚かれる方も多いです」と話します。

その理由は、原型が作られた場所が武蔵野市だからです。

平和祈念像を制作した北村さんは長崎県の出身ですが、東京美術学校(現在の東京芸術大学)で学び、大正時代から東京都北区に住んでいました。

平和祈念像の原型制作をきっかけに、武蔵野市にある井の頭自然文化園内のアトリエに暮らすことになり、100歳を過ぎても武蔵野市に住み続けました。

北村さんは長崎市から像の制作を依頼され、当時東京都北区にあったアトリエで構想とひな型作りに取りかかりました。北区に平和祈念像があるのはそうした縁があったからで、北区の像も原型をもとに作られているそうです。

誹謗中傷でアトリエに投石

井の頭自然文化園が配布している「北村西望と井の頭自然文化園の彫刻」という小冊子によると、当初持ち込まれたのは「記念碑」の制作でしたが、北村さんが「像でなければ説得力がない」と強く主張した結果、平和祈念像を作ることになったそうです。

制作する像の大きさは32尺(約9メートル70)。実寸大の原型像は大きすぎて北区のアトリエでは制作が不可能だったため、東京都に相談し、井の頭公園に隣接する井の頭自然文化園の土地を使うことを許可されました。

井の頭自然文化園にある長崎の平和祈念像の原型=東京都武蔵野市、山野拓郎撮影

北村さんはそこに当時の木造建築では限界に近い高さのアトリエを建て、そこで実寸大の原型作りに取り掛かったのです。

北村さんは「たくましく、力感あふれる男性像」を得意としていました。

雨宮さんによると「細部までリアルにこだわって作るというよりも、デフォルメも効かせ、大胆に形を捉えて力強さを表現しました。平和祈念像はそうした作風がよく表れています」。

北村さんは1年半かけて何十回もひな型を試作し、最終的な像の構想を固めました。しかし、「女神像のほうが良かった」「裸はいけない」などと誹謗(ひぼう)中傷を受け、アトリエに石を投げつけられたことさえあったそうです。

しかし、北村さんは思いを貫き、「孫子の代までかけてでも完成させたい」とまでこだわり、像を完成させました。完成した原型は104個のブロックに分割され、東京都板橋区に建てた工房に送られて鋳造されました。

「作者がこめた情熱」感じて

北村さんはなぜこの像の完成にこだわったのでしょうか。

雨宮さんは「平和祈念像は北村西望にとって最大の仕事だったはず。だからこそ自分の最も得意とする男性の肉体の像を作ろうと思ったのではないでしょうか」と推察します。

北村さんが実際に原型を作ったアトリエが現在も残されていると聞き、訪ねました。アトリエは原型がある彫刻館A館の隣にあります。

原型が制作されたアトリエ=東京都武蔵野市、山野拓郎撮影

当時、像の上部を作るために使っていた昇降機も残っていました。10メートル以上ある天井のアトリエには冷房がなく、熱気がこもっていました。一歩足を踏み入れた瞬間、汗が噴き出すほどでした。汗だくになりながら一心不乱に像を作っていた北村さんの姿が目に浮かびました。

雨宮さんによると、戦後の北村さんの彫刻作りには大きな特徴があったそうです。

戦前の北村さんは、まず木材で芯を作ってその上に粘土像を作り、粘土像をもとに石膏(せっこう)像を作り、さらにその石膏像を使ってブロンズ像を鋳造する方法をとっていました。

石膏のパートは専門の職人が担っていましたが、戦時中に北村さんが東京から埼玉県に疎開。職人を呼ぶことも難しくなったことから、粘土像を作る工程を省略し、木や竹でこしらえた芯に自分で石膏を塗りつける「石膏直付け法」という手法を編み出しました。平和祈念像にもこの手法が使われています。

平和祈念像の原型。鋳造のために104個のブロックに分割できるように作られ、その合わせ目が分かります=東京都武蔵野市、山野拓郎撮影

原型に近づいてみると、表面はなめらかではありません。雨宮さんによると、北村さんが固まった石膏をノミで彫ったあとや、あとから石膏を盛り足したあとがよく見えるといいます。

雨宮さんは「作った人の手を感じることができるはず。その熱意や息づかいまで感じ取ることができるかもしれません」と話します。

「原型を間近で見て、北村西望という芸術家がどんな思いでこの像を作ったのか、モニュメントとして見慣れた像が、人間が情熱をこめて作ったものなのだと実感してもらえたら」

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この記事を書いた人

山野拓郎
デジタル編成本部
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コミュニケーション・情報教育

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