「トヨタの非を認める判決が出る可能性は、限りなくゼロ」裁判で“勝ち目がない”と伝えたけれど…《池袋暴走事故》父・飯塚幸三を説得できなかった「長男の葛藤」(文春オンライン)

〈「上級国民は逮捕されなくて良いですね」自宅住所がネットに流出、嫌がらせ電話も…《12人死傷の池袋暴走事故》飯塚幸三の長男が直面した「加害者家族への暴力」〉 から続く 【写真】この記事の写真を見る(2枚)  2019年4月に発生した「池袋暴走事故」。逮捕が見送られ、世間で「上級国民」へのバッシングが加熱するなか、退院した飯塚幸三(受刑者)はハットにサングラス、マスクの完全防備で警察署に姿を現した。  世論の猛反発を恐れ、警察車両ではなくタクシーで移動させられる緊迫した状況。その陰で、父を支える長男は「トヨタの非を認める判決が出る可能性はゼロだ」と、車の異常を訴え続ける父親を説得しようと試みる。しかし……。  長年取材を続けてきたTBSテレビ守田哲氏の新刊『 池袋高齢者暴走事故 遺族と加害者家族の2060日 』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/ 最初から読む ) ◆◆◆

 飯塚の妻は怪我の症状が極めて重く、長期入院を強いられていた。事故の記憶は、車が何かにぶつかった「ガン」という衝撃音と、「とめて」「とめて」と叫んだという程度しかない。しかし、その声はドラレコ映像には記録されておらず、直前に通った道を「目白通り」と誤認し、事故の事実関係をそもそも理解していなかった。  妻は警視庁の事情聴取に対し、夫を食事に誘ったことの自責の念や、被害者への謝罪を述べた。  飯塚は妻より先に退院が決まり、退院直後に目白署での事情聴取が設定された。数回の聴取で終わるような生易しい事故ではなかった。世間の関心も日に日に高まっていた。  五月一八日の土曜日の朝、捜査の動向を察知していたテレビ局のカメラクルーが、飯塚が入院する国立国際医療研究センター病院の大久保通り側の歩道に張り込んだ。私の取材不足が原因で、そこにTBSはいなかった。いわゆる「抜かれ」である。

 午前九時四五分、飯塚は看護師が押す車椅子に乗り、病室から正面玄関ではなく地下駐車場に向かった。マスコミ各社の裏をかくという目論見は成功し、付き添いの親しい知人とともにタクシーに乗車した。不測の事態に備え、警察車両がタクシーの後ろに続いた。この車間距離が、当時の世論を象徴していた。  仮に飯塚を警察車両に乗せれば、「警察に守ってもらった上級国民」と「上級国民を守った警察」として、双方に批判が及びかねない。そこで「聴取の任意性の確保」を理由に、タクシーで移動させることにした。  明治通りから目白通りにさしかかるあたりで、付き添いの知人が捜査員に連絡した。当初は目白署の脇から敷地内に入って下車するという段取りだったが、「署に想定以上の報道関係者が集まっている。車で敷地内に入ると、『容疑者を守っている』と非難される可能性があるので、署の前で下ろしてほしい」と言われたという。世論にわずかな隙も見せられなかった。  飯塚は午前一〇時ごろ署に着き、カメラの放列をくぐって三階の取調室に到着した。そして、事情聴取が始まった。指紋と写真を撮られた飯塚は、この日の日記に〈犯人扱い〉と感想を綴っている。  私は一連の動きを全く知らなかった。「事情聴取始まる」という他社の速報を見た上司から電話が入ったとき、私は子供の保育園の遠足に同行していたが、途中で妻子を置いて、目白署に急行した。最終的に記者やカメラマン約五〇人が狭い歩道に集結し、聴取終わりの飯塚を待ち構えた。  飯塚は昼食としておにぎりを食べた。三時二八分、警察官の動きがあわただしくなる。正面玄関の自動ドアの内側に、捜査員に付き添われた飯塚がうっすらと見えた。私は自動ドアのすぐそばに陣取っていた。


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 眼前に現れた飯塚はハット、大きめのサングラス、マスクで完全防備していたため、表情は全く読み取れない。両手で杖をつき、摺り足のような仕草で歩いた。  いや、前に進んだという表現の方が正確かもしれない。歩幅は極めて短く、よちよち歩きのような印象も受けた。  玄関に設置されている簡易スロープの勾配はわずかだが、飯塚は体に負担がかかるのか、杖を持つ手が震えていた。カメラ助手が持つテレビ用の集音マイクが杖に当たりそうになる。  付き添いの捜査員が右手でガードし、左手で飯塚の手を支える。報道陣から容赦のない言葉の石礫が飛ぶ。 「事故について一言」「被害者の方に一言お願いします」。整列していたメディアの陣形が雪崩を打ったように、飯塚の前を塞ぐ。捜査員が「はい! 前空けて! 前空けて!」と叫ぶ。 「誠に申し訳ございません」  飯塚の初の肉声は震え、消え入りそうだった。路肩に待機していたタクシーに辿り着くまで、十数メートルにわたって報道陣に囲まれ続けた。転倒してもおかしくなかったが、何とか耐えた。私はタクシーの後部ドアの横に先回りしてしゃがみ込んだ。  飯塚が後部座席の助手席側に乗り込む瞬間、その足をデジカメで撮影しようと考えたのだ。レンズと飯塚の足の間は三〇センチメートルくらいだった。飯塚は震える足をゆっくり上げ、やっとの思いで乗り込み、車が出発した。事故のダメージによる衰えを差し引いたとしても、この足で本当に車を運転できたのか。強い疑問を抱いた。  飯塚の行き先を確認するため、追走用のメディア各社のオートバイもエンジン音を上げた。

 この日、飯塚はどこに向かったのか。長男と警視庁は、飯塚の退院後の生活について協議を行っていた。住所はネット上にさらされ、自宅に帰れば身に危険が及ぶ可能性があった。  そこで、池袋のウィークリーマンションと目白署を往復する案が浮上した。これならマスコミの目を避けることができ、近隣住民に迷惑をかけることもない。しかし、長男が賃貸契約の際に入居者として飯塚幸三の実名を書いたところ、「急な工事」を理由に入居を拒否された。  警視庁サイドは、外から出入りが見えないという条件で、警視庁本部庁舎での事情聴取や、ホテルへの滞在などを提案した。助け船を出してくれたのは、長男の友人だった。その友人は、目白署から車で五分ほどの高級ホテル「椿山荘」と交渉をまとめてくれた。幸いにしてホテル側の担当者らの理解もあり、何とか予約にこぎつけることができた。といっても、金銭的な余裕があったわけではなく、「椿山荘」しか選択肢がなかったのだ。  この事情聴取の日、長男は仕事のため同行できなかった。しかし、父親の付き添い人からの電話で目白署でのメディアスクラムを聞き、「このままだと父親がホテルに滞在することが露見する」と危惧した。  そして、やむなくキャンセル料を払い、自宅に帰すという決断に踏み切った。あとから振り返れば、これは極めて重要な判断だった。  まず、飯塚の姿が報じられたことで、「なぜこんな体で運転していたのか」と批判が沸騰した。そのうえ、高級ホテルに連泊して毎日タクシーで警察署に向かう姿が放送されたら、ますます炎上したことは想像に難くない。

文春オンライン
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