冷戦期、中東アルジェリアで国際電話盗聴の洗礼 「お前、ゆっくり話せ。聞き取れない」 国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏(5)

パレスチナ解放闘争のシンボル、ヤセル・アラファト元PLO議長。PLOはかつて、アルジェリアの隣国、チュニジアに本部を置き、アルジェリアとも密接な関係にあった

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。戦後最年少(50歳)で大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。

電話の盗聴はザラ

《1984年、アフリカ北部のイスラム国家、アルジェリアに赴任した》

電話の盗聴はザラで、国際電話で話をしていると、受話器の奥からフランス語で、「お前、もっとゆっくりしゃべれ」といった声が聞こえてきました。「よく聞き取れないんだよ」とも言う。私は日本の外交官ですから、盗聴の対象。それを前提にし、外務省に情報を届けていたわけです。

《当時は東西冷戦の真っただ中だった》

1993年、クリントン米大統領(中央)の前で握手するアラファト氏(右)とイスラエルのラビン首相(ロイター)

アルジェリアはどちらかというと東側陣営に属していた。イスラム国家でありながら、社会主義国家だからです。この国では、パレスチナのテロ関連の情報を取りました。イスラエル軍が82年、レバノンに侵攻したのを機に、パレスチナ解放機構(PLO)がチュニジアに本部を移し、アルジェリア政府から支援を受けていたからです。

外交官の走り、のような仕事

アルジェリアにはPLOのメンバーがおり、彼らから情報を取った。情報を理解し、分析したものを報告書にし、東京に送りました。

外交官の走り、のような仕事。米国などには、なかなか取れない情報でした。それは米国がイスラエル寄りだからですが、そもそも欧米の外交官たちは、赴任先のバックグラウンドの文明にまで入り込み、現地社会に溶け込んで物事を理解する、という姿勢があまりない。私はイスラム教の勉強などと言いながら、ディープなイスラム世界へと入っていきました。

下宿の隣は、内務大臣の豪邸

祈りをささげるイスラム教徒たち=カタール・ハリファ(小松大騎撮影)

《イスラム社会に実際に触れると、多くのことを学んだ》

私の下宿の隣は、内務大臣の豪邸だった。庭が広く、いつもそこで子供が何十人も遊んでいました。イスラム教では奥さんを4人まで持てるため、裕福な男性は子沢山で、結構なご身分だと思っていました。

ところがその子供たちは、みんな孤児。内務大臣は裕福だから、孤児を何十人も引き取っていたわけです。「すごい慈善家だ」と感心したのは私だけ。裕福な家が孤児を引き取るのは普通のことで、誰も彼を褒めてもいないのです。

羊の丸焼きパーティー

羊を丸焼きにして盛大なパーティーをする「羊祭り」の日に、内務大臣の家に大勢の客が来て、ご馳走になっていました。ところが、客たちは大臣の知人や友人ではなく、地域の貧しい人々。「豊かな人は、貧しい人に分け与えるのが当然」ということのようでした。これも普通にやっており、誰も彼を褒めていない。

イスラム教では、人はみなアラーの前に平等です。その象徴がお墓であり、豊かでも貧しくても、死去すれば土に埋められ、頭と足の先に1つずつ石の墓標が立てられるだけ。誰も同じ墓で、名前さえ書かれません。

《所有の概念についても、考え方が違うという》

私たちの社会では、所有権は絶対です。しかしイスラム教では全てはアラーのもの。人にはそれを管理する権限が認められているだけで、自分の物だといって好き勝手にはできないそうです。

経済的な富も、自然も、アラーの意向に従って、善良に管理しなければならない。私には、格差、環境といった、資本主義が抱えるグローバルな問題は、このイスラム教の考え方であれば解決できるようにさえ思えました。

「日本人女性、ガリガリに痩せている」

顔をベールで被うアフガニスタンの女性たち(共同)

イスラム教は女性の顔を隠し、女性の運転を許さず、女性の権利を抑圧する宗教だ、とか、人類の進歩や科学を否定し旧弊を押しつける宗教だ、また、「目には目を、歯には歯を」の残酷な教えでテロリストの源泉となっている、などの見方が、欧米でかなり広がっています。

しかし、そんな宗教なら、どうして世界にこれだけの信者がいるのか? イスラムの教えを間近で見ると、意外にも人間性にあふれていると実感します。

あるアルジェリア人から聞かれたことがあります。「日本人はなぜ、奥方を大切にしないのか?」と。どうしてそう思うのかと聞くと、「日本人の女性はみな、ガリガリに痩せている。きちんとご主人に食べさせてもらっていない」。文明や文化が異なると、物事はまったく違って見えるのです。(聞き手 黒沢潤)

〈おかむら・よしふみ〉 1958年、大阪市生まれ。東大法学部卒。81年、外務省入省。軍備管理軍縮課長、ウィーン国際機関日本政府代表部公使などを経て、2008年にコートジボワール大使。12年に外務省アフリカ部長、14年に国連日本政府代表部次席大使、17年にTICAD(アフリカ開発会議)担当大使。19年に経済協力開発機構(OECD)代表部大使。24年から立命館アジア太平洋大学副学長を務める。

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