劇的な変態を遂げる虫の不思議 「昆虫の世界はセンス・オブ・ワンダーの宝庫だ」生物学者・福岡伸一

 各界の著名人が気になる本を紹介する連載「読まずにはいられない」。今回は生物学者の福岡伸一さんが、『ビジュアル図鑑 昆虫 驚異の科学』(デイヴィッド・A・グリマルディ編集顧問 丸山宗利日本語版監修 中里京子訳)を取り上げる。AERA 2025年10月13日号より。 【写真】生態写真、顕微鏡写真、イラストなどを駆使して、読者を驚異の世界に招待する一冊 *  *  *  ニューヨーク・セントラルパーク西側にあるアメリカ自然史博物館は私にとって夢のような場所である。ティラノサウルスの巨大骨格化石から、きらめくような岩石標本、リアルな生態ジオラマの数々……とりわけ私が好きなのは昆虫展示のコーナーだ。ハキリアリの長大な採集経路と巣をそのまま生体展示したり、生きた蝶が飛び交うバタフライガーデン、『ロリータ』を書いたナボコフの蒐集した標本まである(ナボコフは専門家も顔負けの蝶研究者だった)。この博物館の昆虫部門学芸員のグリマルディが、昆虫を巡るあらゆる最新情報をまとめあげた“昆虫大全”が本書である。  現在、地球上には数百万種の生物が生存しているが(未発見のものを含めればもっと)、そのうち最も数が多いのは昆虫である。現存する生物種のおよそ半分は昆虫であり、未発見の種も含めて350万種は存在と推定される。つまり昆虫は進化史上もっとも成功した生物なのだ。その理由が次々と解き明かされる。本書によればその秘密は、身体の体制と小ささ(内部に骨がなく外骨格で構成される。そのため軽くて丈夫で多様な形態をとれる)、世代交代の早さ(それだけ素早く変化できる)にある。

 私は子どもの頃、虫の変態に魅了された。イモムシが大きくなりある日、ピタリと止まって蛹となり、その中から蝶が生まれてくる変態の妙に心底驚かされた。蛹の中で一体何が起きているのか、好奇心にかられて(残酷ながら)開いてみたことがあった。幼虫は溶けてなくなり黒い液体がどろりとこぼれ出てきた。これまではすべてが破壊されて置き換わると考えられてきたが、CTや細胞標識の技術の進歩で大きく解明が進んだ。溶けるのは脂肪や部分的な組織で、気管網や基幹細胞は残る。ここから成体が構成されるとわかった。とはいえなお変態の謎は残る。  変態には不完全型(バッタのように蛹がない)と完全型(甲虫や蝶のように蛹がある)がある。化石の記録から完全変態は不完全変態から進化したことがわかるが、どのように進化したのかは論争がある。仮説の一つは、不完全型の胚内の成長が、完全型の幼虫期にあたるとするもの、他の仮説は、不完全型の最終段階が凝縮されて蛹となったとするもの。私は後者のような気がする。  それにしてもなぜ虫はここまで劇的に変態を遂げるのか。幼虫期と成体期で異なる環境・食料で生存することは、競争競合を避け、生態圏をより広範囲に拡げることに役立ったからだと説明される。昆虫の世界はまさにセンス・オブ・ワンダーの宝庫である。ぜひ多感な時期の少年少女に読んでもらいたい。科学も芸術も、哲学も文学も、あらゆる人間の文化活動は驚きから始まる。 ふくおか・しんいち◆生物学者、青山学院大学教授。著書に『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』『生命の逆襲』『生命海流』『新ドリトル先生物語 ドリトル先生ガラパゴスを救う』『生命と時間のあいだ』など。 ※AERA 2025年10月13日号

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